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(8)次なる打ち手


 宇都宮広綱は、高定に庇護されて成長した。

 やや病弱な体質であり、ときどき熱を発することがあるのが心配ながら、漢籍や和学などの飲み込みが早く、武芸の稽古も厭わない賢い子であった。

 そんな広綱の姿に目を細めつつ、高定は、一日も早く宇都宮城を奪回し、この君の入城を実現せねばとの思いを強くしていた。

「御屋形様は、いずれ宇都宮城主となられて、あまねく文臣武臣らに号令を下されるようになるお方です。その日に備えて、日々の学問武芸に励まれますように」

 高定は、折に触れて広綱へそう言い聞かせていた。

 宇都宮城を奪った謀叛人、壬生綱房は、すでに七十歳半ばを過ぎていた。

 宇都宮家再興のために、高定が始末すべきと考えている仇敵三人のうちの一人だが、綱房は高齢のため、こちらが手を下す前に寿命が尽きるだろうと半ば見積もっていた。

 だが、綱房はいっこうに衰えを見せず、それどころか、壬生家支配地の周辺で盛んに軍事活動を起こし、領地蚕食(さんしょく)に精を出していた。芳賀領との境界区域でも小競り合いが頻発していて、清党は押され気味であった。

 仇敵三人のうちのもう一人、芳賀高照は宇都宮城に在って、自分が真の芳賀家当主だと主張しているらしいが、幸いにも芳賀家の重鎮たちは高照を認めず、あくまでも高定を当主として推戴し、その号令に従っている。高定にとって、このことが力の源泉であった。

 高照には身の回りの世話をする従者がわずかにいるのみで、軍権も手勢もなく、宇都宮城内での発言権もほとんどないらしい。綱房にとって、高照は芳賀家の血筋の者というだけのお飾りとしての利用価値しかなく、言わば飼い殺しの存在であり、ましてや、権限を持たれたり、余計な口出しをされるなどはもっての外なのであろう。 

 そんな高照が、綱房に不満を抱いているだろうことは想像に難くなかった。両者の間には溝があるとみて間違いない。

 高定は、両者間に楔(くさび)を打ち込むべく、高照へ密書を送った。

「貴殿の父、高経殿が尚綱公へ反旗を翻したのは、元はと言えば、高経殿が謀叛を企てていると壬生綱房がしきりに尚綱公へ吹聴したことが発端である。高経殿は徐々に尚綱公からの信用を失い、遠ざけられたため、やむなく児玉城へ拠ったのである。

 高経殿を追い落とすために、綱房が尚綱公へあらぬことを讒言(ざんげん)したのは間違いない。私は当時、尚綱公の側近として仕えていたため、その経緯をよく知っている。私は尚綱公へ、綱房の話は虚偽ではないかと諫めたこともあったのだが、時すでに遅く、尚綱公と高経殿との関係悪化は修復不可能であった。

 壬生綱房は、貴殿にとって正真正銘の父の仇である。そういう輩と手を組み、宇都宮城に拠り続けるのはいかがなものだろうか。どうか真実を見極め、賢察善処を望む」

 綱房と高経との間に権力闘争があったことは事実であり、手紙にしたためた内容は、大筋においては嘘偽りではなかった。

 しばらく日をおいてから、高定は再び高照へ密書を送った。

「貴殿は綱房と共同で宇都宮城を支配しているとのことだが、果たして貴殿の立場は城主に準ずるものだと言えるのだろうか? 真岡で伝え聞くところによると、綱房が軍権を占有し、城内や領地の運営一切を掌握しているとのことであり、残念ながら、貴殿が運営に参画しているという話はまったく聞こえてこない。実際、貴殿には手兵は愚か、家臣と呼べる者すらほとんど居ないのではあるまいか? そんな状況で、貴殿と綱房との共同運営と呼ぶのはいささか無理があるのではないだろうか?

 これ以上、綱房と手を組み続けることの是非について、よくよく熟慮されんことを願う」

 高照からの返信はなかったが、その後、高照と綱房との間がぎくしゃくしているとの噂が頻繁に漏れ伝わってくるようになった。

 芳賀家ではほぼ毎年、歴代当主の法要を営んでいた。先代当主の高経は謀叛人ではあるものの、施主である高定は、高経の位牌も仏壇に安置し、他の歴代当主同様に供養を行っていた。

 弘治元年(一五五五)三月、高定は、高照へ手紙を送った。

「某日、真岡にて芳賀家歴代当主の法要を執り行うが、貴殿も法要に参列し、父、高経殿の仏前に拝跪(はいき)したらどうか? 芳賀家の重鎮らも、貴殿の帰還を待ち望んでおり、また今後のことについて相談に乗ることもできる。よろしく手はずを整えられよ」

 高定は、高照が法要に出向いてくる可能性は極めて低いと考えていたのだが、意外にも、高照から法要に参列するとの返信が届いた。

 高定は、このことを重臣たちや、芳賀家の重鎮たちへ知らせた。すると、みな一様に驚き、かつ憤慨した。

「あの芳賀家の面汚しめ、よくものこのこと顔を出せるものだ」

「真岡へやって来たら、すぐに首を刎ねるべきだ」

 ほとんどの者が手厳しい反応を示した。

 真岡御前城には、十一歳になった宇都宮家当主、広綱がいる。高照は、広綱の父、尚綱とは怨恨浅からぬ関係にある。謀叛を起こした高照の父、高経は尚綱に処断され、逃亡した高照は那須高資と組んで尚綱を攻めて敗死させ、さらに壬生綱房と組んで宇都宮城を奪い、今なおそこに居座っている。そんな高照は、どの面下げて広綱に拝謁(はいえつ)し、また芳賀家の重鎮たちと顔を合わせるつもりでいるのだろうか。

 普通の神経なら、とても真岡へやって来ることなどできないであろう。宇都宮家へ刃を向けた謀叛人であり、やって来たのをこれ幸いとばかりに、広綱の家臣らに捕らえられて手討ちにされてもおかしくない。

 にもかかわらず、法要に参列するというのは、綱房との関係がよほど悪化し、高照が宇都宮城に居たたまれないほど追い詰められている証左なのではないか。高照はこれを機に綱房から離れ、一か八か平身低頭して広綱へ詫びを入れて、宇都宮家家臣に復帰したい意向なのであろう。高定はそう考えた。

 高定は事前に、高照の処置については一任願いたいと重臣や芳賀家の重鎮たちに取り付けてあった。宇都宮家へ大逆を為した叛(はん)臣(しん)だと憤って、有無を言わさずに切りつけたりすることがないようにと強く言い含めておいた。


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