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(7)那須家重臣、大田原資清


 那須家当主、高資(たかすけ)には、十二歳年下の異母弟、資(すけ)胤(たね)がいる。

 資胤の母は、那須家重臣、大田(おおた)原資(わらすけ)清(きよ)の娘である。つまり資胤は、資清の孫になる。

 大田原資清はかつて、那須家重臣の一人である大関宗増(むねます)の讒言(ざんげん)に遭って失脚し、那須を退去した。その後、資清は知人を頼って越前へと逃れ、曹洞宗大本山、永平寺の僧侶として二十年以上も過ごした。

 五十七歳のときに許されて、那須家に復帰すると、かつて自分を失脚させた大関宗増の子、増(ます)次(つぐ)を襲って殺害し、自身の長男に大関家を継がせた。また、別の那須家重臣、福原家へも自身の次男を当主として送り込み、資清は那須家随一の実力者となった。

 それだけでは飽き足らず、資清はさらに、孫の那須資胤を那須家当主にし、自身は外戚の祖父として大いに権勢を振るいたいという野望を抱いている形跡があった。那須家当主の高資には息子がいないため、もし高資が死ねば、後継当主の座は資胤に帰着する公算が高い。

 そんな資清の邪心を察知し、身の危険を感じた高資は、常陸の佐竹家から養子をもらい受けて後継者に据える算段をした。その一方で、火種である資胤を密かに除こうとし、一夜、資胤へ刺客を差し向けた。

 だが、資胤は事前にそれを察知し、危うく難を逃れた。資胤は行方をくらまし、その所在は今もって不明だという。

(大田原資清は、孫の資胤を亡きものにしようとした高資のことを恨んでいるに違いない)

 那須家中には、そんな火種がくすぶっている。高定はそこに着目した。

 まず、大田原資清あてに、時候のあいさつなどの手紙を何度か送り、誼(よしみ)を通じた。それから高定は、かなり踏み込んだ内容の手紙を出した。

「那須高資公は、当家先代、宇都宮尚綱公を討ち、あまつさえ、当家叛臣、壬生綱房とも手を結んでおり、当家にとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵と申すべき存在。私は当家幼主、宇都宮広綱公の傅(ふ)として、どうにかしてこの恥辱をそそぎたいと思案しておりますが、その方策が見つからず、夜も眠れずに苦悶している今日この頃です。

 このような悩みを、当家と敵対する那須家重臣の資清殿へ吐露するのは非礼であることは重々承知しておりますが、越前永平寺で長年修行を積まれた経験をお持ちの資清殿ならば、私の苦悩をお察しいただけるのではないかと思い、筆を走らせた次第です。資清殿におかれましては、私の悩みを打開する知恵なりとも授けていただけましたら幸いです」

 高定がこの手紙に込めたのは、資清の手で高資を除いてほしい、という意趣である。

 高資が亡き者になれば、資清にとっては、孫の資胤が那須家の家督を継ぐ芽が出ることにつながり、一方宇都宮家にとっては、仇敵の一人を屠(ほふ)ることになり、双方にとって好都合である。

 資清から、すぐに返信が届いた。

「あのようなぶしつけな手紙を寄越(よこ)すとは無礼千万、馬鹿にするにも程がある。この資清、那須家重臣として看過することはできない。いずれ真岡御前城へ攻め入り、広綱もろともおぬしを血祭りに上げるゆえ、首を洗っておくがいい」

 手紙にはそう書かれてあった。資清は、怒り心頭に発した様子である。

 資清の手紙を運んできた使者は、それとは別に、資清から言伝(ことづて)があると言った。

「千の木が茂る森に宝あり」

 使者は口頭でそう伝えた。その意は何かと問うたが、使者は分からないと言う。

 だが高定は、しめた、と思った。

 高定の無礼な手紙に対し、資清が表面上は憤る体を示すことは想定範囲内だったが、それとは別に、資清は何らかの示唆を与える手がかりをもたらすのではなかろうか。

 高定はそれを期待していたが、見事に的中した。

(やはり資清は、高資を廃し、孫の資胤を那須家当主に据えたいと望んでいることは疑いない)

 高定は、資清の言伝の謎をおおむね理解した。

 那須家には、千本資(せんぼんすけ)俊(とし)という重臣がいる。那須領の最南端、茂木(もてぎ)郡内にある千本城主であり、宇都宮領と接する最前線を守備する部将である。この男は、主君の高資に対し何かと反抗的だとの噂がある。

 「千の木が茂る森」とは、茂木郡の千本資俊を指し、「宝」とは、高資から命を狙われ、行方をくらました資胤を指すのではないか。

 つまり、資俊が資胤を匿(かくま)っている、という暗示ではないかと考えられる。当然、資俊と資清とは内々に結託しているのであろう。

 もしそうだとしたら、資俊はかなりの危険を冒していることになる。資胤を匿っていることが高資に露見すれば、ただで済むわけがない。資俊は気が気ではないはずだ。

 資清は、高定が接触してきたのを好機と捉え、みずからは手を下さずに、高定から資俊へけしかけて、高資を除く算段をとるようにとの意を言伝に込めた。高定はそう解釈した。

 資清の老獪ぶりに感心すると同時に、心が冷えた。主従間の確執は、ひとり宇都宮家中だけの問題ではなく、那須家中もまた同様であった。

 高定はさっそく、千本資俊へ密書を送った。

「当家は、先代宇都宮尚綱公が那須高資公に討たれ、かつ宇都宮城も叛臣壬生綱房に奪われ、幼主広綱公を真岡御前城にて盛り立てるのに必死の昨今。私をはじめ、家中では、主君の仇、高資公に報復せずば当家の武門が立たぬと切歯(せっし)扼腕(やくわん)する者あまたの状況である。

 憚(はばか)りながら、資俊殿は、以前から高資公の仕置に異議をお持ちのご様子。ついては、芳賀領の塩谷郡高根沢(たかねざわ)村を貴殿に進呈する代わりに、高資公を亡き者とするよう、御手配方お願い申し上げる次第。私は愚直誠実をもって尚綱公の側近く仕え、芳賀家を継ぐよう申し受けた者にて、約束を違えないことを誓う。貴殿の速やかなる行動をただ渇望するのみ」

 この程度の内容でも、心中穏やかではない資俊は乗ってくるかもしれない。高定は、駄目で元々と考えていた。

 後日、千本資俊の使者が密かに高定を訪ねてきて、高根沢村割譲についての念書を資俊が要求していると述べた。

 高定は、資俊が反応を示してきたことに手応えを感じ、事が成就した暁には高根沢村を譲渡する旨の念書をしたため、使者へ渡した。

 天文二十年(一五五一)一月末、那須家当主、高資が病死したとの報が真岡御前城へもたらされた。

 その後、行方知れずだった高資の異母弟、資胤が那須家の主城、烏(からす)山(やま)城に現れ、後継の当主の座に就いたという。

 真岡御前城内では、宇都宮家の仇敵である高資の死の報に接し、歓喜する声があちこちから上がった。

(高資は病死ではなく、きっと千本資俊が手を下したのであろう)

 高定はそう思った。

 果たして、日をおかずに資俊からの使者が高定を訪ねてきた。約束を履行したゆえ、高根沢村割譲を要求するとの口上であった。

 高定が詳しい状況を訊ねると、使者ははじめは言葉を濁していた。だが、状況が分からぬまま割譲はできないと突き放すと、使者はついに話し始めた。

 資俊は、駿馬を入手したからご覧じあれと言って、馬好きの高資を千本城へ招待した。

 その宴席の場で、資俊は高資を襲い、殺害したという。

 対外的には、高資は病死と公表してあるため、資俊の手にかかったことは内密に願いたいと使者は言った。

 高定は、資俊への高根沢村割譲を了承した。

 那須家ではその後、那須資胤の祖父、大田原資清が、外戚として絶対的な権力者となり、千本資俊も、資胤の腹心として幅を利かせるようになった。

 やがて、資俊が高資を弑したことは世間の知るところとなったものの、資俊は処罰されることなく、資胤の側近として仕え続けた。資胤も資清も、資俊の働きを多としていることは明白であった。

 高定がさらに探ったところによると、資俊は当時、資胤を匿っていることが高資にいつ露見するか気が気ではなく、先手を打って高資を殺す決意を固めていたらしい。そこへ高定からの密書が届き、その決行に拍車をかける形になったという。

(まずは、仇敵の一人を屠った)

 高定は自室で黙想し、次なる策を練った。


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