(6)決意
伊勢寿丸を抱え、真岡へ向けて馬を走らせながら、高定はかつての出来事をあれこれ思い返していた。
(今が正念場である)
ここで踏ん張り、逆境を乗り切らねばならない。高定は何度も自分にそう言い聞かせて、馬に鞭を当てた。
真岡御前城へ到着した高定のもとに、宇都宮城が壬生綱房によって占拠されたとの報が届いた。高定はすぐに、飛山城の防備を固めるように指示を出した。
尚綱が討死し、宇都宮城まで乗っ取られたとなっては、宇都宮家は滅亡したと見られてもおかしくはなかった。
「いや、ここに伊勢寿丸様がおわす限りは、宇都宮家は健在である」
高定は力強くそう宣言した。
伊勢寿丸が真岡へ逃れたことが伝わると、宇都宮家の家臣たちが徐々に真岡御前城へ集まるようになった。高定の兄である益子安宗ほか、岡本宗慶、今泉泰高、君島高胤、多功長朝など、高定が信頼を置けると見た重臣たちも真岡御前城の伊勢寿丸のもとへ伺候した。
「壬生綱房の暴挙、断じて許さぬ」
みな口々にそう言い、一致団結して綱房に対抗しようと宣誓した。
(世の中、捨てたものではない)
下剋上が横行する世情にあって、主家への忠義を貫く人々も確かに存在する。中には利害を計算して忠義のお面をかぶる輩も居るだろうが、間違いなく道はつながっている。高定はそう手応えを感じていた。
「父上―、母上―」
伊勢寿丸は、父、尚綱の死を知ると、声をあげて泣いた。住み慣れた宇都宮城を離れ、母と別れた心細さも悲しみを増幅させたのだろうと高定は思った。
(無理もない)
伊勢寿丸は五歳である。だが、宇都宮家存亡の危機に瀕している今、幼童だからなどと甘えを許している場合ではない。
「伊勢寿丸様、あなたはそれでも武門の男子ですか?」
高定は、伊勢寿丸を叱った。いつもは優しい高定が怖い顔をしたためか、伊勢寿丸は泣きやんで、高定をじっと見つめた。
「よくお聞きなされ。伊勢寿丸様は父御を失い、かつ宇都宮城まで乗っ取られて、悔しくはないのですか? あなた様は、父御の後を継いで、宇都宮家の当主となられるお方です。父御の仇を討ち、宇都宮城を奪回して、宇都宮家の武門を天下に示す役割があるのですぞ。女々しく泣いていて、それが成し遂げられるとお思いですか?」
伊勢寿丸は、顔をしかめて、必死で泣くのを我慢している様子だった。
「もう、泣かぬ」
「よくぞ申されました」
高定は、伊勢寿丸を抱きしめた。
「この高定、身命を賭して伊勢寿丸様をお守り申し上げます。どうかお強くおなりなされ」
この小さな男児の身体が、宇都宮家の存続をつなぐ一本の細い糸であると思うと、高定は目頭が熱くなった。
(どんなに困難であろうと、宇都宮家再興を成し遂げなければならぬ)
「理非曲直を正す」
高定は、強く心にそう誓った。
宇都宮城を乗っ取った壬生綱房は、尚綱を討った那須高資と手を結び、かつ、芳賀高経の次男、高照を宇都宮城へ招き入れて、二者で共同支配する意向を示しているとの報が届いた。宇都宮家一門の塩谷義孝も綱房に付き従ったという。
幸い、尚綱の正室である伊勢寿丸の母は無事だという。結城家と誼を通じている綱房は、結城家出身の伊勢寿丸の母をぞんざいにはしないだろうと高定は読んでいたが、実際その通りになった。
高定は、さっそく重臣たちと協議し、幼少ながら伊勢寿丸を元服させることに決めた。
伊勢寿丸は、宇都宮広綱と改名、宇都宮家第二十一代当主となった。高定はその旨、京都の足利将軍家ほか、古河公方や関東管領、近隣諸家へ伝達した。
「芳賀家の棟梁は、あくまでも高定様です」
芳賀家の重鎮たちが、高定にそう言った。
「宇都宮城の高照は、主家に背いた高経の息子であり、高照自身、尚綱様に歯向かい、壬生めと結託した謀叛人です。芳賀家の血を引いているとは言え、彼奴を当主として認めるわけにはいきません」
「我らは、高定様に従います。何なりとお指図下され」
芳賀家を継いだ当初、冷ややかだった重鎮たちが、口々に高定支持の意向を示した。高定は、高照が宇都宮城へ入ったと聞いて、芳賀家中に動揺が走るのではないかと懸念していたのだが、そうならなかったことを意外に思い、同時に安堵した。
「みなさまのお言葉、高定の胸に響きました。我ら清党の武勇をもって幼い御屋形様をお支えすべく、どうかお力添え下され」
複雑な経緯から、因縁と怨恨とが折り重なった宇都宮家と芳賀家との関係ではあるが、ひょっとしたら、そういうしがらみを解消して、あるべき秩序に落ち着くことを多くの人々は望んでいるのかもしれない。甘いとは承知しつつ、高定はそんなことを思った。
広綱が宇都宮家当主になると、宇都宮家中は徐々にまとまりを取り戻した。真岡御前城で重臣による評議が行われ、城内で執務が行われた。
高定は、評議の議長格であった。
「高定殿は、清党の当主かつ先代尚綱様から命じられた御屋形様の傅である。しかも、高定殿の居城が御屋形様の御在所でもある。ゆえに、高定殿が評議を仕切るのが妥当である」
岡本宗慶ら重臣たちはそう言った。高定の意見、判断がつねに的確であり、温厚かつ私心が感じられないことから、その人柄に重臣たちが安心し、好意的に見ている節があった。
(宇都宮家の危急に及んで、むしろ家臣団の結束が強まった)
高定はそう感じた。
高定は、宇都宮家再興に向け、どういう手立てをとるべきかを考えた。最終目標は、宇都宮城を奪回し、広綱を宇都宮城主に就かせることである。
だが、すぐにそれを実現することは難しい。壬生綱房は、宇都宮城のほか、鹿沼城、壬生城を擁し、綱房に与力する者も多い。しかも那須高資、相模の北条氏康とも連携している。武力でもって綱房に対峙したとしても、勝ち取れる目処は立たず、もし辛勝できたとしても、双方ともに甚大な犠牲が生じることは目に見えている。それは愚策であった。
最小限の犠牲でもって目的を達成するためには、敵の主要人物、すなわち壬生綱房、芳賀高照、それに、二人に協力している那須高資の三人を仇敵として狙いを定め、除くこと。そうすれば、敵の統制に乱れが生じ、付け入る隙が生まれる。
そのためには、知恵を絞って謀略を施し、彼奴等を追い落とす必要がある。兵事を得意としない高定は、自分にはその手立てしかないと見定めた。
それとて簡単なことではない。安直な策に敵がやすやすとはまるはずもなく、巧妙に絵図を描かなければならない。高定は、痩せるほどに思案し、策を練った。




