(5)高定、芳賀家を継ぐ
天文十年(一五四一)、尚綱との政争に敗れた芳賀高経は謀叛を起こしたが、敗れて捕らえられ、死罪に処された。高経の長男、公高も処刑され、次男の高照は陸奥白河へと逃亡、三男の高継は捕縛され、益子家に身柄を預けられた。
事後処理が済んだ頃、宗之は、尚綱に呼ばれた。
「宗之、おぬしに芳賀家を継いでもらう」
「えっ? 今、何と言われましたか?」
「おぬしが、芳賀家の家督を継げ、と申したのだ」
宗之は、尚綱が言っていることの意味がよく理解できなかった。
芳賀家は、高経が謀叛を起こしたとは言え、宇都宮家の有力な外戚であり、宇都宮家中でも指折りの大族である。その芳賀家を、益子家の三男坊が継ぐなど、身分不相応である。それに、そんな家督相続を、芳賀家はもとより、家中の者が異議なく承諾するとはとても思えなかった。
「それはちと、私には身分不相応なことかと思いますが?」
「壬生綱房も、このことは承知している」
宗之は、綱房が承知した理由として、厄介な芳賀家の当主には、益子家の小倅でも配しておいた方が何かと好都合、とでも考えたのではないかと思った。
「しかし、芳賀家の一族が黙ってはいますまい。反発を招くのは目に見えています」
「高経は謀叛を起こしたのだぞ。芳賀家は取り潰されても文句を言えない立場であり、高経の息子たち三人もそれぞれに処置し、牙を抜いた。芳賀家の者たちは、他所から当主を招いてでも家を存続させたいと考えているはずだ」
「ですが、私には荷が重過ぎます」
「決して楽ではないであろう。だが、宗之には、何としてでも芳賀家をまとめ上げて、宇都宮家の支柱になってもらいたい。宇都宮家と芳賀家との確執は、人を得なければいっこうに解決しない。それができるのは、おぬししかいない。わしは以前からそう考えていた」
因縁と怨恨の連鎖を断ち切り、あるべき主従関係を構築し直すこと。宗之は、ずっと抱き続けてきた悩みを解消するためにも、これは身命を賭してやる価値のある仕事だと思った。数々の困難が予想されるにせよ、それを避けて通るわけにはいかない。
しばし思案したのち、宗之は返答した。
「承知しました。不肖、この宗之、御屋形様の御引き立てに添えるよう、全身全霊で励む所存です」
「よくぞ言った」
二十一歳の益子宗之は、芳賀家の家督を継ぎ、芳賀高定と名乗ることとなった。
芳賀家当主の居城は、宇都宮城から南東五里にある平城、真岡御前城である。この城から南へ二里下ると下総国であり、結城家の領地に近接していた。また芳賀家には、宇都宮城から二里東方、鬼怒川を天然の外堀として利用した飛山城があった。この二城が芳賀家の主城であるが、ほかにも芳賀家はいくつかの城郭を有していた。
芳賀家当主となった高定は、真岡御前城へ入ると、芳賀家の重鎮たちと初めて対面した。
案の定、一同から冷ややかな目で見られた。中には露骨に嫌味を浴びせてくる者もいた。
「紀党の益子勝宗殿の三男坊が新当主とな。御屋形様も、これまたずいぶんと大胆な人事を断行なされたことよ」
「まだ二十一歳だそうな。いくら紀党出身とは言え、戦場で干戈を交えたこともない若造に、誇り高き清党を率いることなど果たしてできるだろうか?」
高定は、もとより覚悟していたことなので、終始笑顔を絶やさず、鷹揚な態度でそれらに応対した。芳賀家当主を引き受けた理由は、叛いた、叛かれたなどという際限のない運動律を絶つためであり、そのためには一つ一つ困難を乗り越えていく必要がある。
「理非曲直を正すこと」
高定は、自分に与えられた仕事の方針をそう規定した。
当初は高定に対し舐めた態度をとっていた芳賀家の重鎮たちだが、高定の仕置がつねに明快であること、歴代当主の祭祀儀礼を欠かさないこと、それに居丈高な態度をとることなく、かと言って卑弱でもなく、重鎮たちへの礼を失しないことなどから、徐々にこの若き当主を畏敬するようになった。
天文十四年(一五四五)、尚綱に男児が生まれ、伊勢寿丸と名付けられた。生母は、尚綱の正室であり、結城家当主、政勝の妹である。
「おぬしが、伊勢寿丸の守り役をせよ」
高定は、尚綱からそう命じられた。清党を率いる芳賀家当主、かつ尚綱の側近であり、さらに伊勢寿丸の守り役も兼ねる。高定は、尚綱が最も信頼を置く家臣となった。




