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(4)紀清両党


 芳賀高定は、大永元年(一五二一)、益子家当主、勝宗の三男として益子城で生誕し、益子宗之と命名された。

 益子家は、芳賀家とともに、平安時代末期から宇都宮家の郎党として各地に従軍した。源頼朝による奥州藤原氏討滅のための合戦で武功を挙げた際、両家はともに頼朝から源氏の白旗を一流ずつ賜った。

 南北朝時代、北朝方に味方した宇都宮家は、南朝方の楠木正成と対峙したが、正成は、

「宇都宮家は坂東一の弓矢とりである。その両翼たる()氏(益子家)、(せい)氏(芳賀家)の()(せい)両党は、戦場において命を捨てることを厭わない」

 とその武勇を恐れ、兵を退いたという。

 益子家の本姓は紀氏、芳賀家の本姓は清原氏であるため、益子家と芳賀家は「紀清両党」と称され、宇都宮家の武勇の象徴として畏怖されてきた。

 そんな両家だが、近年では、芳賀家が宇都宮家の外戚となり、家政を取り仕切るほどに擡頭(たいとう)したのに比べて、益子家は重臣の一翼とは言え、家政における発言力はさほどでもなかった。

 幼少期から聡明だった宗之は、やがて益子家における苦い歴史を知ることになる。

 すなわち、宗之の祖父、益子正光は、当時の益子家当主であり、兄でもあった益子勝家を息子もろとも殺害し、当主の座を簒奪した、という事実である。

 その正光は、宗之が九歳のとき、八十九歳の天寿を全うして亡くなったが、宗之の目には、祖父はいつも笑顔を絶やさない好々爺(こうこうや)として映っていた。兄とその息子を(しい)してその地位を奪った人物にはとても見えなかった。

「人間とは、分からぬもの(かな)?」

 少年ながら、宗之はそんな疑問を抱くようになった。

「兄を殺し、自分が当主に収まる。それで果たして平静を保っていられるのだろうか?」

 宗之には、二人の兄がいる。十歳年上の長兄、安宗と、五歳年上の次兄、勝忠である。

「兄を殺すことなど、わしには想像すらできない」

 そう考えて、ときには夜、眠れなくなることもあった。

(本来ならば、わしは益子家傍流の三男坊に過ぎないわけだが、祖父が当主の座を簒奪したゆえに、嫡流の子弟として収まっている)

 そう思うと、胸が苦しくなった。

 天文三年(一五三四)、宇都宮興綱が芳賀高経によって隠居させられ、尚綱が宇都宮家当主となった。

 このとき十四歳の宗之は、父、勝宗に呼ばれた。

「お前は宇都宮城へ出仕し、新たに御屋形になられた尚綱様の身の回りの御世話をせよ」

「嫌です」

 甥の忠綱を締め出して、宇都宮家当主に収まった興綱のことを、宗之は毛嫌いしていた。そのため、興綱の息子である尚綱に近侍するなど、考えただけでも吐き気がした。

「否も応もない。尚綱様直々の御指名である。それに益子家にとっても、お前が御屋形様の御側近くにお仕えするのは何かと好都合である。紀党の顔になったつもりで、すぐに宇都宮へ向かえ」

 重臣の子弟が、主家の側近として仕えるのは武門の慣例であり、それが主従関係を緊密にし、結束を強める方策でもある。嫌だなどというわがままが通用しないことは、宗之にも分かっていた。

 宗之は観念して宇都宮城へ登城し、尚綱の近習として出仕することになった。

「住み慣れた益子を離れての出仕、寂しくもあり、心細くもあろうが、宗之に無理なことを強いるつもりはない。まずはこの城に慣れることを専一に心がけよ」

 尚綱は、凛として涼やかな青年当主であった。簒奪者の子息なれば、さぞかし面相の悪い人物であろうと勝手に想像していたのだが、それが見事に外れた。つい先日まで僧籍に入っていたためか、心胆が温厚に練られていて、それが挙措動作にも表れているのかもしれないと宗之は思った。

 尚綱は気さくな質で、九歳年下の宗之には何でも率直に話した。宗之は尚綱のことを、主君である以上に兄のように慕うようになった。

 重臣による評議の場で尚綱に近侍していると、議題のほとんどは芳賀高経によって主導され、決議も高経の意見で着地するのが常であった。尚綱はほとんど発言せず、議論の行方を大人しく見守っているだけだった。

 宗之ははじめ、そんな尚綱を物足りなく感じていた。

(恐れ多くも御屋形様なのだから、決議の最終判断は鶴の一声、御屋形様が行うべきではないのか?)

 実際、尚綱にそう質問したことがある。すると尚綱は、

「確かに、わしが主君として最終判断を下すのが望ましい姿なのであろう。だが、残念ながら、世の中はあるべき論で成り立っているわけではない。現実を見据えながら、時機を見て少しずつ望ましい姿に変えていく以外、ほかに方法はない。辛抱が肝心である」

 と言った。尚綱が現状を是としているわけではないことを宗之は徐々に理解した。

 やがて、尚綱は芳賀高経と対立するようになり、壬生綱房に接近した。宗之は、綱房は高経以上の野心家であると感じていた。

 そのことも尚綱に問いただしたことがある。尚綱は笑って、

「それはよく分かっている。古来から、『毒をもって毒を制す』と言うではないか。高経の毒を除くには、綱房の毒が必要なのだ」

「ですが、事が成就した暁には、綱房殿が専横を振るうようになる懸念があります」

「そうかもしれない。もしそうなった場合、また別の手段を講じることになるであろう」

「きりがないですね」

「そう、きりがない。だが、後任に人を得て、忠義の有力家臣が現れれば、いずれ終結することになるかもしれない」

「そうなれば良いですね」

「そうだな」

 家中に忠義の家臣がいないわけではない。岡本宗慶、今泉泰高、君島高胤(たかたね)、多功長朝など、宗之の目から見ても尊敬に値する人物はいるが、それ以上に芳賀高経や壬生綱房が力をもっていて、他の重臣たちを圧していた。


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