ライバル(笑)の最後
魔王の息子は救おう、だがジグ、お前はダメだ
今回格闘シーンが多めです
魔王の息子との因縁を付けたワイアット達、
生贄の街を出た一行が次に訪れたのは
決闘の都と呼ばれる国、エスペラシオン。
石畳の大通りには闘士たちの像が並び、道行く人々は剣や銃を提げ、日常のように決闘を語り合っていた。
そんな街に、ワイアット一行が足を踏み入れた瞬間──。
「ワイアットオオオ!!」
地鳴りのような叫び声が響き渡った。
現れたのは、派手なマントを翻し、血走った眼で突進してくる一人の男。
──我らがギャグの星、ジグ・バルカローネである。
「よくもやってくれたなああああ!!」
憤怒MAXの形相。
頬には過去の屈辱の痕があり、髪は乱れ、目の下には寝不足の隈すら見える。
その姿は哀れでありながらも、妙に迫力があった。
広場に集まった人々が「おおっ!?」とざわつく。
決闘の国でこの叫び声を上げることは、即ち宣戦布告。
避けられぬ因縁の戦いが、ここで幕を開けようとしていた。
決闘者の街エスペラシオンに響き渡るジグの絶叫。
その姿に、しかし一番近くで見ていた仲間たちの反応は冷め切っていた。
「……また始まったよ」
リィナが額に手を当て、深々とため息をつく。
「無駄な恥はもういいから、帰りましょう」
エルミナは冷ややかな視線をジグに向け、踵を返そうとする。
「ふふ……でも、その怒った顔も素敵♡」
ミュラは頬を染めて両手を組むが、次の瞬間には肩をすくめて言い捨てた。
「……ま、金以外に興味はありませんわ」
観衆の前でただ一人、憤怒を燃やすジグ。
だが彼の背にある仲間たちの視線は、憐れみと呆れでいっぱいだった。
──もう誰もが分かっている。
ジグ・バルカローネが、ワイアットに敵わないことなど。
顔を真っ赤に染め、ジグは観衆を前に大声でまくし立てた。
「貴様ぁぁぁ!!」
喉が裂けんばかりの絶叫。
「ドアを溶接して、俺たちを丸一日閉じ込めた、あの卑怯千万な行為!!」
広場に集まった人々が「溶接……?」とざわつく。
ジグはさらに手を突き出し、震える指でワイアットを指さした。
「挙句の果てには、“逃げた”って風評までばら撒きやがって!!」
その目は血走り、全身を怒りで震わせている。
「──あれは!死よりも屈辱だったんだあああああ!!!」
観衆は一瞬静まり返った後、どっと笑い声を上げた。
「溶接!?」「逃げたってのは本当だったのか!?」と口々に囁き合う。
ジグの怒声は、もはや自らの恥を全力で宣伝しているようにしか見えなかった。
地面をドンッと踏みつけるジグ。
スーツは砂で汚れ、威厳ゼロ。
だが、プライドだけは山より高く──
額に青筋を浮かべ、胸を張る。
「ワイアット! お前は卑怯な手段でしか勝てない男だ!!」
その言葉に観衆が再びざわつく。
だが、すでに広まっている“溶接事件”の噂を知っている者たちは、思わず吹き出して肩を震わせた。
「俺こそが! 真正面から戦い、誇りを重んじる……真の勇者なんだ!!!」
拳を高々と掲げ、必死に吠えるジグ。
だがその声は、哀れにも笑い声の渦に飲み込まれていった。
リィナは眉をひそめ、深々とため息をつく。
「また言ってる……」
エルミナは顔を覆い、呆れたように首を振った。
「……いい加減にしてほしいものね」
ミュラは口元に扇子を当てながら、うっとりと呟く。
「はぁ……なんて凛々しい♡ ……まあ、だからどうでもいいですけど♡」
観衆と仲間すら温度差を隠せない中、ジグだけが自分を奮い立たせるように吠え続けていた。
ジグは顔を真っ赤にしながら、広場の中央でベラベラと自説を語り続けていた。
「卑怯者! 俺こそ真の勇者だ! 名誉と誇りにかけて──!」
だがその声は、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
ワイアットに勝てるところなど、最初から一つもない。
──強さも、頭の回転も、人望も。
彼が持っているのは、かつて授けられた「勇者の称号」ただ一つだけ。
薄々、自分でも気づいているのだろう。
それでもなお、その称号に縋りつき、「勇者である」という自我だけで己を保っているのだ。
哀れにも、必死に吠えるジグの姿は──観衆の目には、すでに喜劇としか映っていなかった。
だからこそ、必死に喚く──
誰よりも、虚しく。
ベラベラと自説を語り続けるジグを、ワイアットは欠伸をひとつして聞き流していた。
やがて、肩を竦めながらぼそりと口を開く。
「……そっちが一方的に絡んで、勝手に負けてるだけだろ?」
その軽い声は、怒号を張り上げるジグとは正反対に冷静で、しかし決定的な差を突きつけていた。
「勘違いすんなよ。俺たちは──お前なんてどうでもいいんだ」
淡々と告げるその一言に、ジグの顔が真っ赤に染まる。
「ぐぬぬぬぬ……!!!」
両手を握り締め、足をバタバタと踏み鳴らす。
広場の石畳を揺らさんばかりに地団駄を踏む姿は、もはや勇者の威厳など微塵もなかった。
観衆は失笑を漏らし、仲間たちすら目を逸らす。
決闘の国において、これほど哀れな勇者がいただろうか。
地団駄を踏んでいたジグだったが、やがて肩で息をしながらも、少しずつ声の調子を整えていった。
その瞳には、今までの滑稽さとは違う必死さが宿っていた。
「……俺はな、ワイアット」
唇を噛みしめ、低く言葉を紡ぐ。
「ただ吠えていただけじゃない。お前と……本気で戦うための餌を、用意してきたんだ」
観衆がざわつく。
ジグは懐から一冊の古びた書物を取り出し、高々と掲げた。
「──とある国の古書店に眠っていた、“エルムパレスへの地図”だ!」
その一言に、ワイアット一行が思わず目を見開く。
今まで馬鹿げた騒動にしか見えなかったジグの執念が、ここで初めて意味を持った。
「俺は死ぬ気で探した! この地図を、決闘の賭けにするためにな!!」
ジグの声は広場全体に響き渡る。
観衆も一転して「おお……!?」とざわめき、熱気が高まっていく。
「俺は真剣だ! 勝負しろ、ワイアット!!!」
憤怒と執念が入り混じった叫び。
それは、今までで一番“勇者らしい”ジグの姿だった。
ジグの叫びを前に、ワイアットは深くため息をついた。
本来なら、適当にあしらって立ち去るつもりだった。
だが、掲げられた地図の存在が、彼の気持ちを縛っていた。
「どうします? 我が君……」
ミレイナが真剣な眼差しで問いかける。
「……この話ばかりは乗るしか無い」
ワイアットは苦々しい顔で吐き出した。
「──あの地図は、今の俺たちには何よりも重要な宝だからな」
その言葉に、仲間たちもそれぞれの想いを口にした。
「仕方ないわね♡ ……でも、ジグ様の負け顔がまた見れるなら悪くないかも」
カレンは楽しげに肩を揺らし、口元に笑みを浮かべる。
「必要なものなら、迷う余地はありません」
アイネスは静かに頷き、凛とした声で答える。
「……でしたら、私も全力でお支えします」
エトラは胸に手を当て、少し震えながらも勇気を示した。
それぞれの覚悟が集まり、視線が一人の男へと集まる。
ワイアットは肩を竦め、にやりと笑った。
「──決闘、受けてやるよ」
広場に設けられた決闘場に、すでに観衆がひしめき合っていた。
誰もが「正々堂々の一騎打ち」を期待し、ざわめきは熱を帯びていく。
「条件はこうだ!」
胸を張ったジグ・バルカローネが、声を張り上げる。
「ワイアットが勝った場合──この俺が命を賭けて探し出した、エルムパレスの地図を渡す!」
観衆が「おお!」と湧く。
その一方で、ジグの口元にはいやらしい笑みが浮かんでいた。
「だが! 俺が勝った場合は──」
高らかに指を突きつける。
「ワイアットの全財産、愛馬レガシーロジストとリボーンズエスポワールを譲渡!」
観衆が「は?」と顔を見合わせる。
さらにジグは畳みかけた。
「それだけじゃない! ミレイナ! カレン! アイネス! エトラ! 貴様らも俺の仲間として引き抜かせてもらう!」
広場全体が、凍り付いた。
その沈黙は、あまりにも不平等すぎる要求に対する呆れだった。
「……子供のワガママか」
「正々堂々って言ったよな……」
観衆のあちこちからそんな声が漏れる。
仲間たちもまた、顔をしかめるばかりだった。
──所詮ジグはジグ、勇者の名にすがりついたまま、滑稽な要求を並べ立てるしかなかった。
ジグの要求が告げられた瞬間、広場の空気が凍りついた。
観衆はざわつき、あまりの不平等さに苦笑や失笑が漏れる。
「冗談ではありません!!」
ミレイナが真っ赤な顔で叫んだ。
「我が君を差し置いて……私が、あの男のものになるなど──天地がひっくり返ってもあり得ません!!」
「アタシを誰に渡す気よ、このナルシスト!!」
カレンは腰に手を当て、睨みつけるように叫ぶ。
「……さすがに頭が沸騰してるんじゃないでしょうか」
アイネスは冷ややかに目を細め、吐き捨てるように言った。
「え……ちょっと待って……わ、私たちって……物扱い……?」
エトラは頬を引きつらせ、困惑と屈辱を入り混じらせて呟いた。
だが、ジグはその反応すら快感にしているかのようにニヤリと笑う。
「“真の勇者”には、それに見合う褒美が必要なのさ」
わざとらしく胸に手を当て、白い歯を光らせる。
「君たちも……僕のパーティに入れば、きっと幸せだよ♡」
──その言葉に、広場の観衆までもがドン引きしていた。
ジグの歪んだ笑みと、場違いな甘言。
その一言一言に、ミレイナたちは顔を赤らめ、嫌悪と怒りを露わにした。
広場はざわめき、観衆の視線は一斉にワイアットへと集まる。
だが、当の本人は声を荒げるでもなく、拳を振り上げるでもなかった。
──ただ、静かに立ち尽くしていた。
帽子の影に隠れた瞳が、冷たい光を宿す。
普段のお調子者の顔はそこにはなく、肩を落としながらも確かな怒気を纏っていた。
「……お前さ」
ワイアットの声は低く、地を這うようだった。
「俺の仲間を……いや、俺の女たちをどうしようって?」
ジグが一瞬ひるむ。
だがすぐに虚勢を張り、胸を張った。
「な、何を怒る必要がある!? “真の勇者”には──」
「子供じみた欲望で、勇者を名乗るな」
ワイアットの言葉が鋭く遮った。
静かな怒りと、無様な虚勢。
その対比が、二人の立場の差を嫌というほど浮き彫りにしていた。
命と、女と、馬と、金、
そして“旅の目的”を懸けた、壮絶バトルの幕が上がる
夜。エスペラシオンの宿の一室に、ワイアットと仲間たちが集まっていた。
明日の決闘を前に、静かな緊張が漂う。
ワイアットは窓辺に立ち、月明かりを背にしながらゆっくりと口を開いた。
「……この戦いは、金でも、称号でもねぇ」
低く、だが確かな声。
「俺が守りたいのは──お前たち全員との“日々”そのものだ」
仲間たちが息を呑む。
ワイアットは視線を外に向け、淡々と続けた。
「ここが別の世界線だろうが、何度転生しようが……俺はもう、お前たちと一生を添い遂げた男だ」
拳を握り、静かに言い切る。
「渡す訳ねぇだろ……誰にもな」
その言葉に、ミレイナは静かに目を伏せて微笑んだ。
カレンは頬をかきながら、少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。
エトラは胸に手を当て、真っ直ぐな眼差しで彼を見つめた。
アイネスは、ただ穏やかに頷いた。
──言葉以上の確信が、全員の胸に刻まれた瞬間だった。
決闘の都エスペラシオン。
広場に設けられた決闘壇上に、ジグ・バルカローネが仁王立ちした。
マントを翻し、誇らしげに胸を張る。
「貴様には分かるまい!」
ジグの声が石畳を震わせる。
「民に希望を与える“称号”と、“理想”を背負う者の気高さが!!」
観衆はざわめき、固唾を呑んで次の言葉を待つ。
その前に、ゆっくりと歩み出た男がいた。
ワイアット・クレイン。
その仕草は飄々として、しかし一点の迷いもない。
「称号? 理想?」
軽く肩をすくめ、笑いながら言う。
「──そんなもんより、毎朝の『おはよう』と、隣で眠る女の寝顔の方がよっぽど価値あるわ」
一瞬、会場が静まり返った。
言葉の意味を噛みしめるように、誰もが息を呑む。
そして次の瞬間──。
「……!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
大歓声が爆発した。
観衆はこぞって拳を振り上げ、ワイアットの言葉を称える。
ジグの高尚ぶった理想論は、一瞬にしてかき消された。
──ゴォォン……!
鐘の音が鳴り響き、決闘の幕が切って落とされた。
中央に立つのは二人の男。
勇者ジグ・バルカローネと、銃を携えた放浪者ワイアット・クレイン。
「お前の全てを終わらせてやる!」
開始早々、ジグは喉が裂けんばかりの声で叫んだ。
ドヤ顔でマントを翻し、誇らしげに胸を張る。
「この俺をコケにしたこと、後悔させてやる……ワイアット・クレイン!!」
さらに観衆を見回し、得意げに宣言する。
「この決闘で勝利すれば──その誇りも、馬も、そして……美女たちも!」
「全てが僕のものになるのだぁぁぁ!!!」
会場の空気が、一瞬凍りつく。
あまりにも傲慢で子供じみた台詞に、観衆はざわめき合った。
取り巻きの女たち──リィナ、エルミナ、ミュラもさすがに顔をしかめる。
「……また始まったよ」リィナがため息。
「恥を重ねるだけだからやめればいいのに」エルミナが冷ややかに呟く。
「ふふ……それでも素敵♡……でもちょっと引きますわね」ミュラは苦笑交じりに扇子で口を隠した。
観衆も仲間も引き気味。
観衆の喧騒に包まれる決闘場。その片隅に腰掛けた四人のヒロインたちは、それぞれの表情で壇上のワイアットを見つめていた。
ミレイナは背筋を正し、組んだ手を胸の前に置く。
「……ワイアットなら負けません。──いえ、“負けられません”」
静かな声に、揺るぎない信頼と緊張が滲んでいた。
カレンは足を組み、肘を膝に乗せながらも笑みを浮かべる。
「絶対勝ってね。うちのダンナ♡」
気丈な調子の裏には、心からの願いが隠されていた。
エトラは膝の上で両手をぎゅっと握りしめる。
祈るように目を閉じ、震える唇からは小さな声が零れた。
「どうか……ご無事で……」
そしてアイネスは、青い瞳でじっと彼を見つめ続けた。
「……お任せします。私たちの“未来”を」
その声音は静かで、しかし誰よりも重い意味を宿していた。
──それぞれの想いが重なり、観客席の一角はただ一人の男のために祈りの場と化していた。
銃口が向けられた瞬間、ジグは高らかに叫んだ。
「これが……“勇者の覚醒”だ!!」
その身体から突如、黄金の光があふれ出す。
全身を包み込むオーラは眩しく輝き、まるで神々の加護を受けたかのようだった。
「な、なんだ!?」
「ジグ様が……まるで神だ!!」
観衆は総立ちになり、驚愕と崇拝の声を上げる。
「は?」
ワイアットが戸惑う間もなく、ジグの剣が空を裂いた。
──ズバァァァッッ!!
放たれた斬撃は衝撃波となり、ワイアットを襲う。
銃弾を撃ち込んでも、すべて光の障壁に弾かれる。
撃てば撃つほど弾かれ、撃てば撃つほど通じない!
「ば、馬鹿な……」
珍しく動揺するワイアットの声。
次の瞬間、黄金の剣が腹部に突き刺さり──
ワイアットは吹き飛ばされた。
「ぐああああっ!!!」
地面を転がり、砂塵にまみれるワイアット。
「ワイアット!!」
観客席からミレイナたちの悲鳴が上がる。
彼女たちの顔には、普段では見せない焦りと絶望が浮かんでいた。
最後の一閃。
ジグの剣がワイアットの銃を叩き落とし──
──ドッ!!
ワイアットが地面に膝をついた。
その瞬間、広場全体に凍りつくような沈黙が走る。
「はぁっ……これで証明された!」
ジグは胸を張り、天に剣を掲げた。
「僕こそが、真の勇者だ!!」
──静寂。
──そして。
「……っ! おおおおおおおお!!!」
「勇者ジグ! 勇者ジグ!!」
観衆が一斉に立ち上がり、嵐のような喝采を送った。
拳を突き上げ、涙を流し、地鳴りのようにその名を叫ぶ。
「勇者ジグ!! 勇者ジグ!!」
街全体が、ジグを称えるコールで揺れた。
──あまりに唐突で、あまりに都合の良すぎる“手のひら返し”。
観衆の「勇者ジグ!」コールが最高潮に達する中──
なんと、観客席にいたワイアットの仲間たちまでが立ち上がった。
「……素晴らしい……」
ミレイナがうっとりと見つめる。
「あなたこそ真の勇者……ワイアットとは比べ物になりません……♡」
「ジグ様〜♡ カッコよすぎる! もうアタシ、アンタのものになっちゃおっかな♡」
カレンが頬を赤らめ、胸に手を当てて叫ぶ。
「……なんて……強いお方……」
エトラは涙を流しながら、祈るようにジグを見上げる。
「ワイアットさんなんて最初から……相手にならなかったんですね……」
そしてアイネスは両手を胸の前で組み、恍惚とした声を漏らした。
「ジグ様……あなたこそが、私たちの未来……」
──全員が、ジグを讃えていた。
ワイアットを置き去りにして。
その光景に、ジグの口元は勝ち誇った笑みで歪む。
「フフフ……やはり僕こそが……選ばれし者……!!」
地面に銃が転がり、砂埃を巻き上げながらワイアットは膝から崩れ落ちた。
血に濡れた手で地を掴むが、力はもう残っていない。
「……く、そ……」
か細い声で呻くワイアット。
その姿に、ジグはゆっくりと歩み寄り、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「見たか……! これが力の差だ……!」
その瞬間、観客席から美女たちが駆け寄り、ジグの足元に集まった。
「ジグ様……! あなたはなんて偉大なお方……」
ミレイナは涙を流し、うっとりと頬を紅潮させる。
「ワイアットなんて……もう用無しですわ……これからは、ジグ様の剣となりましょう」」
「ジグ様♡ アタシを連れてって! もうワイアットなんか眼中にないんだから♡」
カレンが腕に絡みつき、甘えるように体を寄せる。
「ワイアットさん……弱かったんですね……ジグ様の背中に、光を見たんです……それが“本当の勇者”なんだって──」」
エトラは震える声でそう言い、ジグの背に縋りついた。
「ジグ様……どうか私たちを導いてください……」
アイネスがワイアットを一瞬だけ見つめる
300年……待っていたのは、貴方ではなかったようです」
微笑みながら、ワイアットの目の前でその唇をジグに預ける
「さようなら、私の過去──」
──瀕死のワイアットを背に、美女たちは皆、ジグに酔いしれていた。
「フフ……これが真の勇者の証だ!」
ジグは大仰にマントを翻し、勝者の笑みを広場へと振りまいた。
──全ては、すでに終わっていた。
地面に突っ伏すジグ・バルカローネ。
泥と砂にまみれ、剣もマントも無残に散っている。
その傍らに立つのは、黒髪の少女。
エトラ・セリエドールが静かに手をかざし、瞳を伏せて囁いた。
「……もう、終わりです。これ以上、苦しむ必要はありません」
「ジグ……お前は産まれてから今まで、夢を見過ぎてたんだ」
そう、現実では──ワイアットの最初の一撃で決着はついていたのだ。
ジグが見ていた“黄金の覚醒”も、“美女たちの讃美”も、観衆の熱狂も……すべてはエトラが施した幻術。
あまりに無様で、あまりに残酷な真実を、せめて幻で包んでやる。
それが、ワイアット一行の取った優しい作戦だった。
観衆は誰も騒がず、ただ沈黙のまま、終わりを受け入れていた。
埃の中に沈むジグ・バルカローネ。
幻の中では歓声に包まれていたその耳に、現実の静寂だけが重くのしかかる。
やがて──。
観客席から駆け寄ってきたのは、彼が誇らしげに従えていた三人の“取り巻き”だった。
しかしその瞳に、忠誠も誇りもなく。
リィナは膝をつき、悔し涙を浮かべて叫んだ。
「お願いです……ワイアット様! どうか私を救ってください……もう、ジグなんかじゃなく……!」
エルミナは冷ややかな視線をジグに投げ、ため息混じりに頭を垂れる。
「愚かしい夢に付き合うのは終わりです……。どうか、私を仲間に……」
そしてミュラは震える手で裾を握り、必死に訴えた。
「ジグ様は……弱すぎますわ……! どうか私を……ワイアット様のお傍に……♡」
三人の美女がひざまずき、ジグを捨てて泣きつく。
それは──ジグが幻の中で夢見た「栄光」とは真逆の光景だった。
黄金のオーラも、英雄の讃美も、何もない。
現実にはただ、敗北と屈辱だけが残されていた。
三人の美女が泣きすがる中、ワイアットは肩をすくめて小さく笑った。
「悪いな。俺んとこはもう、定員オーバーなんだよ」
そのままジグへと歩み寄り、懐に手を伸ばす。
ぐったりと動かぬジグの上着から、古びた羊皮紙──エルムパレスの地図を引き抜いた。
ワイアットはそれを軽くひらひらさせて見せ、帽子を目深に被り直す。
「用は済んだ。じゃあな」
それだけを言い残し、背を向ける。
仲間たちが後に続き、観衆の視線の中、静かに決闘場を後にした。
土埃にまみれたまま、ジグ・バルカローネは動かなくなった。
だがその顔は、不思議なほど穏やかだった。
まるで、安らかな眠りに堕ちる直前のように。
現実では──ワイアットの最初の一撃で倒れ、何ひとつ叶えることなく終わった。
だが、彼の意識はまだ幻の中を彷徨っていた。
民に讃えられ、美女に囲まれ、己こそが真の勇者と呼ばれる夢の舞台。
そこには屈辱も敗北もなく、ただ誇らしげに胸を張る自分だけがいた。
──まやかしではあった。
だが、最後までその夢から醒めることはなかった。
楽しい夢の中で幕を閉じたことが、せめてもの救いだった。
その夜。
買い物袋を片手に、ワイアットが宿へと戻る石畳の路地。
そこで彼を待つかのように立っていたのは──艶やかな紫髪の女。
ミュラ=ナージ。
彼の姿を見つけた瞬間、彼女は駆け寄り、揺れる胸元を押さえもせずに飛び込んできた。
「……ワイアット様ッ!」
足を止めたワイアットは、面倒くさそうに片眉を上げる。
「ん……誰だっけ?」
「ミュラ=ナージです!!」
女は必死に名乗り、声を張った。
「ジグ様のお側に……でも、でも今は違いますっ!」
満面の笑み。
だがその奥に潜む“打算”を、ワイアットの瞳は見逃さなかった。
「私……あの人とは違うんです。愚かだっただけ」
そう言ってそっと距離を詰め、柔らかな胸元を彼の腕に押しつける。
「あなたの強さも、優しさも、誰より知っています。だから……」
潤んだ瞳で見上げ、甘い吐息を漏らす。
「お願いです。私だけでも……連れて……」
艶やかな唇が近づく。
触れそうな距離。
夜の闇に、妖艶な匂いが漂った。
夜の路地に張りつくような沈黙。
ミュラの艶やかな唇が触れそうな距離で止まったとき、ワイアットはわずかに口元を歪めた。
「……俺が優しいのは、仲間にだけだよ」
冷たく笑うその声に、ミュラの全身が震えた。
見開いた瞳が潤み、次第に俯いて小さな声を漏らす。
「そんな……そんな……!」
ワイアットは袋を持ち直し、背を向けかけて吐き捨てた。
「悪いが、助けてもらう価値がある人間になってから出直しな」
乾いた言葉が夜気に溶ける。
だがミュラはなお、その背に縋りつくように一歩を踏み出した。
「待って……! お願い、見捨てないで……」
胸元を押しつけ、指先で彼の袖を掴む。
「私なら……きっとあなたの役に立てるはず……」
彼女の声には甘さと必死さが入り混じり、夜の闇に切なく響いた。
コツ、コツ……。
石畳に響く規則正しい足音。
現れたのは、銀の髪を揺らす女騎士。
月明かりを背に立ち、凛とした声で告げる。
「……遅いので、迎えに参りました、ワイアット」
その言葉に、ミュラの瞳が鋭く光った。
艶やかな笑みが、狩人のそれへと変わる。
「──二人とも!!」
掛け声と同時に、闇の物陰から二つの影が飛び出した。
リィナとエルミナ。
彼女たちは迷いなくミレイナに飛びかかり、その腕を羽交い絞めにする!
その隙に、ミュラがすかさず彼女の剣を蹴り飛ばした。
夜の路地に、緊張が一気に張り詰めた
銀髪の騎士を押さえつけ、闇夜の路地は一気に修羅場と化した。
ミュラは細い指先をミレイナの頬へと滑らせ、甘く囁く。
「動かないでね、騎士さん。
今ここで──〝私の毒〟でグズグズにされたくなければ」
妖艶な声に、ミレイナの眉がわずかに震える。
その背後でリィナとエルミナがにやりと笑った。
「──さぁ、今すぐ有り金全部置いて……」
「そのまま大人しく失せなさいよ!」
冷たい声が夜風に響き渡る。
三人の視線は獲物を狙う獣のそれで、明らかに本気の脅しだった。
リィナとエルミナがミレイナを羽交い絞めにし、ミュラが毒をちらつかせる。
追い詰められたかのように見える状況。
だが──。
ワイアットとミレイナの表情には、焦りの色など微塵もなかった。
むしろ、いつもの延長線のように淡々としている。
「……さっさと帰るぞ、ミレイナ」
買い物袋を肩にかけたまま、ワイアットは気怠げに言い放った。
羽交い絞めにされているミレイナも、涼やかな瞳を動かすことなく答える。
「──はい」
その何気ないやり取りに、逆に三人の女たちの背筋に冷たいものが走った。
「なにを平気そうな顔して……っ!」
ミュラの声は怒りと焦りを滲ませていた。
次の瞬間。
──ガッ!
ミレイナの踵がリィナとエルミナの足を容赦なく踏み抜いた。
「いっ……!?」
「ぎゃっ──!」
思わず拘束が緩んだその刹那、ミレイナは迷いなく動いた。
両手を伸ばし、リィナとエルミナの後頭部を掴み取る。
「甘いです」
乾いた音が夜に響いた。
互いの顔面を思い切りぶつけ合い、二人の女は呻き声と共にその場に崩れ落ちる。
石畳に倒れ込んだリィナとエルミナを見下ろすミレイナの瞳は、氷のように冷たかった。
リィナとエルミナが石畳に倒れ込み、残されたのはミュラひとり。
そこからは──
「手数、四つで十分でしょう」
拳、肘、膝、そして回し蹴り。ミュラは壁にめり込む、もう何も言えない
倒れた女たちを一瞥し、ミレイナは胸元で乱れた銀髪をすっと直した。
そして、穏やかな声で振り返る。
「……お時間、取らせました。我が君」
ワイアットは気怠げに肩をすくめる。
「いや、いいよ。帰ろうぜ」
その言葉に、ミレイナはふと一歩だけ彼に近づいた。
──チュッ♡
静かで、けれど確かなキス。
まるで仕事を終えた者同士が交わす挨拶のように。
心地よく、どこまでも自然な一幕だった。
次回最終回の予定です




