第三十四話 天使
広場で解散してからおよそ三十分後。
「大統領〜こっちですぞ〜」
再集合場所に指定されたフードコートの前でフェルナンデスが僕に居場所を知らせようと手を振っている。
もっとも、彼女の場合はそんなことをしなくても遠くから見てすぐ分かるというのに、律儀なやつ……なのだが、こんな場所でその呼び方をされると流石に恥ずかしいな。
「お早い到着でしたな。もう少し服選びに時間がかかるのではないかと踏んでいたのですが」
「君こそ。流石に僕が一番だろうと思っていたのに」
「言ったでしょう、私には選択肢が少ないと。このようなモールであっても私のような巨人用の服を置いている店はそう多くはないのです。ですがご安心を! このフェルナンデス、大統領のお眼鏡に適うであろう服装をチョイスできた自信がありますぞ!」
「それはいいんだけどフェルナンデス、ちょっといいかい?」
「ええ、何なりとお申し付けください」
彼女に声量を落とすか、呼び方を変えるように伝えなければ。
本当なら耳元でひっそりと伝えたいところだが、残念ながら僕の背では彼女の耳になど到底届かない。
「……あのさ、こんな往来でプレジデンテって呼ばれるの、少し恥ずかしいんだけど」
「ほうほう、それはとんだ粗相を。いやはや申し訳ありませんなぁ」
そこで僕は仕方なしに背伸びをしてなるべく小さい声で言ったのだが、それを聞き届けたフェルナンデスは今までに見たことがない笑みを浮かべた。
ニヨニヨと、意図の読めない表情。
何だ。僕に何を伝えようとしている?
「……じゃあ、これからは紗人って呼ぶね」
「っ⁉︎」
突然耳元に温かい息がかかり、僕は慌てて飛び退いた。
油断していた。
読めない意図を読もうとするあまり、フェルナンデスが僕の方へ屈んだ瞬間に反応できなかった。
もう離れているのに、囁かれた左耳にはまだ存在感というか、余韻のようなものがまとわりついている。
「あれ、どうしたの紗人。もしかして突然名前で呼ばれてドキッとしちゃった?」
「なっ、き、君が突飛なことをするから驚いただけだ!」
「ふぅん、そうなんだぁ」
ニヨニヨ笑いをやめないフェルナンデスは、今度はなぜか僕に向かって前進し始めた。
ずん、ずんと大きな一歩で確実に僕へと迫ってくる。
「あの、何で近づいてくるの?」
とす、と背中がフードコートの柱に当たる感触がした。これ以上は後退できない。
一方でフェルナンデスは前進をやめない。
僕は追い詰められてしまったのだ。
「フェルナンデス⁉︎ もしかして僕を圧殺するつもり⁉︎」
「二人きりの時は私のことなんて呼ぶんだっけ、紗人?」
「アンヘラっ! アンヘラって呼びます! それで怒ってるのか⁉︎ 僕が悪かったから!」
弁明も虚しく、いよいよアンヘラは僕を覆うように柱に手を突くところまで来た。
しかも彼女はまだ僕を柱と自身の間に挟もうとしてくる。
体格差は絶望的、逆転は不可能。
そして彼女の身体はもう文字通りに僕の目と鼻の先、これで非接触を貫くのは相当な困難だ。
「なぜ前進をやめない⁉︎ このままだと君の身体に触れちゃうよ!」
「紗人は海で私の胸を触ってるんだから、一回も二回も変わらなくない?」
「それなら触っちゃったら今度はどこに埋められるんだ? コンクリートの下か⁉︎」
「じゃ、じゃあ私が触ってもいいよって言ったら?」
「申し出はありがたいけど断固拒否する! だいいちこんな場所でできるわけないだろ!」
「なるほどね……」
いったい何がなるほどなのかは分からないが、アンヘラの動きが停止した。
ひとまず彼女の胸部下から腹のあたりに顔をうずめてしまうような事態は避けられたようだ。
「あの、アンヘラ?」
「離れて、って私にお願いしてみて」
「え……?」
さっきから彼女の意図が全く読めない。
だがそろそろフードコート中の人間から注目を集めてしまいそうなのも事実。
「じゃあ、えっと……アンヘラ、離れてくれる?」
「分かった」
促された通りに言ってみたら、彼女ははすんなり僕を解放してくれた。
「ね、紗人。知ってた? あなたは気づいていないみたいだけど……」
強行姿勢は完全に消え去り、アンヘラは片手で髪をくるくるといじりながら言う。
「たとえ“大統領”じゃなくたって、紗人が頼めば私、何でもしちゃうよ?」
天使の微笑み。
僕がこの時見た彼女の表情を形容するとしたら、月並みながら、この言葉以外になかった。
「あ、えと……」
で、僕は何と返答すればいい?
というかこれは問いなのか。
言われたことだけ素直に読むならただの事実確認だ。
ただ一言「そうなんだ」と返せば終了……な、わけはない。
アンヘラが求める何か。
うっすらと分かっているようでいて、同時に頭の中で声がした。
あれだけのことをしておいて、お前はまた“他人”を知ったかぶるつもりか、と。
僕は中学に上がってから今までのアンヘラをヘッドホン越しにしか知らない。
彼女の身体的な変化すら初見だった。
僕はゲーム中の雑談以上のことを、何も知らないのだ。
だから僕には求められている何かを、少なくともそれに近い答えを、返すことなどできない。
「じゃあ……」
代わりに言えることは、ひとつ。
「僕はまだ、君のことをよく知らない。だからこれからは、願わくば君のこれまでを、僕の知らない思い出話を、聞かせてほしい」
「……」
「僕が答えられるのはここまで。これだけ、だ」
「……小さい頃はずっと一緒にいたのにね。お互いのことなら何でも知っていたはずなのに、もうこんなに遠くなってたんだ」
アンヘラは少し俯き、呟くように言った。
今回はハッキリと聞こえたが、彼女が返答を求めていないことくらいは僕にだって分かった。
「……よし!」
静寂を破り、少女が顔を上げた。
その目を見れば分かる。
彼女は天使を心の中にしまって、フェルナンデスとして戻った。
「頼みは聞くと宣言しましたからな。このフェルナンデス、お望みとあらば何でも聞かせましょう。それにまあ、男子三日会わざれば刮目して見よ、ということわざもありますから。私の方からも色々聞かせてもらいますよ、大統領?」
「お手柔らかに頼むよ、フェルナンデス。でもその呼び方は辞めてくれないんだ?」
「他の何を差し置いてもこれだけは譲れませんな。ただひとつだけ辞めさせる方法がありますが、お聞きになりますか?」
「……やめとくよ。もっとお互いを知ってからでも遅くはないはずだ」
「それはよかった。正直私も心の準備ができておりませんでしたので……いつか、相応しい時にお伝えするとしましょう」
フェルナンデスはにへ、といつも通りの笑顔を浮かべ、さっと僕の手を取った。
「では綺羅子ちゃんを探しに行くとしましょうか。これだけ言い合っていても来ないのですから、もしかしたら私たちの助言を待っているのかもしれませんし」
「そうだね、行こう」
フェルナンデスは他人を気遣えるやつだ。
それは僕が彼女に関して知っている、唯一のことかもしれなかった。
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