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第三十一話 化け物

「お、おれ、水泳っ、習ってて……見せたら、凄いって、なると思って……!」

「バカなやつだ。一人で行かなくても、あたしが戻ってきてから見せればよかっただろ?」


 血まみれで泣きじゃくるナチュ。綺羅子はその頭をゆっくりと撫でて慰めつつ問いかけた。


「……嫌な人が、来たから」

「嫌な人? なんか署名を頼みに来たとかって言うやつか」

「見つかりたくなかったから、泳いで逃げた。そしたら、思いついてっ!」

「分かった分かった。その辺の話もお前の親が見つかったらゆっくり聞いてもらいな……それで紗人、ナチュの親は見つかったか?」

「監視員さんが知ってた。フェルナンデスが一緒に呼びに行ってるよ。そろそろ戻るはずだ」


 少なくとも今は意気消沈してはいられない。

 僕はナチュの面倒を見ている綺羅子の代わりに、周囲に目を走らせる。

 多数の野次馬。

 その中でもスマホのカメラを向けてくるやつを睨みつけつつ、フェルナンデスが戻ってくるのを待った。

 時折心配そうな顔をした観光客がタオルや水などを渡してくれて、ありがたくナチュの応急処置に使わせてもらった。代金を渡そうとしたが、大概断られた。


 いい話に聞こえるかもしれない。

 だが親切な人も皆、綺羅子ではなく僕に話しかけてきた。


 彼女の背中は未だに剥き出しだ。

 当然、グロテスクに血走った痣が周囲を睨んでいる。

 あの異能力者いい人そうだけど、背中の痣が怖いので近づきたくない、と。

 普段異能力者へ向けられている視線の意味を直接浴びるようで居心地が悪い。

 けど、それこそが僕の今までの愚行への罰かもしれなかった。


「ちょっと、どきなさいあなたたち! 全く、他の監視員は何をしているの⁉︎」


 群衆を掻き分け、女性のヒステリックな叫び声が近づいてくる。

 嫌な予感しかしないが、どうやらフェルナンデスが戻ってきたようだ。

 群衆からひとつだけぴょこ、と飛び出した頭が声と共に近づいてくるので分かりやすい。


志然ナチュラルっ! あなた……そんな血まみれでっ!」


 しかして痩身で眼鏡の中年女性が群衆の中から姿を現し、ナチュに駆け寄った。

 この暑い砂浜で真っ白なパンツスーツを着ていて、正直かなり異様な雰囲気だ。


「フェルナンデス、あの人が……」

「はい。ナチュくんの母親だそうです。何か抗議団体のようなものの会長さんらしくて……」

「もしかして、君に署名を求めてきたあの団体?」

「その団体みたいですな。“ワールド・アズ・イット・イズ”で、WAISワイズ。全然話を聞いてくれないので、ここまで連れてくるのにかなり骨が折れましたぞ……」


 続いて現れたフェルナンデスはもう表情からして疲労困憊だった。


「ねえケガは大丈夫なの? 志然、誰がこんなことを……」

「……」


 母親の問いかけにナチュは答えない。

 傍に立っている綺羅子は気まずそうに頭を掻き、はぁとため息をついた。


「あのー、ナチュのお母さん? ナチュにケガをさせたのはあたしだ。ナチュが溺れていたから、あたしの能力で岸まで引っ張る時にケガをさ」


 パァン、と、砂浜に音が響く。

 ナチュの母親が綺羅子の頬を思い切りビンタした音だと僕が気がつくのに一秒は必要だった。


「オマエが犯人かぁっ! この化け物、息子に穢れた手で触るなっ‼︎」


 ナチュの母親は突如激昂し、呆然とする綺羅子の顔をさらに一発殴った。


「ちょっ、何してるんですかっ⁉︎」

「放せっ! この化け物、私の大切な子供を辱めたんだ! 許せない許せない許せないっ」


 監視員さんがナチュの母親を抑えにかかるが彼女は暴れ、更に綺羅子を蹴りつけた。


「綺羅子っ!」


 あまりの出来事に脳からの命令を受け付けなくなっていた僕の身体がようやく言うことを聞き始める。

 暴力に反撃をすることもなくただ耐えている綺羅子の肩を掴み、引き離す。


「あんた、いきなり何なんだよ⁉︎ ロクに子供の面倒を見ずに放っておいて……綺羅子は溺れたあんたの子供を助けたんだぞ⁉︎ そのお礼が暴力だって言うのかよ!」

「地球に居てはならない不自然の化け物なんかに触られたら穢れるでしょうがっ!」

「なっ」


 絶句。怒りを通り越して理解不能だった。

 まさか、とは思うが。

 この女は今、綺羅子の存在を否定したのか?


「このっ……!」

「やめろ紗人っ!」


 僕が振りかぶった拳は綺羅子に掴まれて止まった。

 それで気づいた。

 僕は反射的に、ナチュの母親に殴りかかっていた。


「なんで止めるんだ! この女は今」

「慣れてる。大丈夫だ紗人、怒ってくれてありがとう。けど殴っちまったらおしまいだ」


 綺羅子は静かに首を横に振った。

 その頬は赤く腫れ、殴られた場所はすでに黒く内出血を起こしているように見える。


 それでも、綺羅子は怒りも悲しみも抱いていないようだった。

 そこにあったのは、諦め。


「ふん、化け物に味方するようなのはやっぱり野蛮ね。あなた、学校はどこかしら?」

「……」


 僕が拳を下げたのを見るや、ナチュの母親は勝ち誇った顔で喚いた。


「黙っていても結構! みんな、こいつのタグを読み取ってやるのよ! 警察に通報して!」


 ナチュの母親が叫ぶなり、野次馬の中から手にスマホを持った人間が何人も出てきた。

 全員がWAISと書かれたハチマキを巻き、僕や綺羅子の耳を掴もうと我先に手を伸ばしてくる。


「オイ、紗人は異能力者じゃねえぞ! 狙うならあたしだけにしろっ!」

「ダメだ綺羅子、こいつら何も話を聞いちゃいないっ」


 無数の手が僕らの肩を引っ掻き、掴んだ布を裂き、髪を引っ張り、スマホを押し付けてくる。

 僕が手に持ったままになっていたタコ焼きそばも地面にはたき落とされ、無惨に踏み荒らされて砂へと混じっていく。

 このままでは僕らも同じ運命を辿る。直感がそう警告する。


「やめろっ! こんなことが許されると思っているのか⁉︎」

「先に会長の子に暴力を振るったのはお前たちだ! 異能力者特別法の“特例条項”は珊瑚島内でしか適用されない。我々には不当にチカラを振るった異能力者の身元を知る権利がある!」


 僕の訴えは、無数の手の内の誰かに嘲笑された。

 侮辱の限りを尽くすこいつの方が正しくて、僕らが間違ってるって……?

 視界が真っ赤に染まる。もう限界だ。


「綺羅子っ! もういっそ……」

「やめてぇっ‼︎」


 それは悲鳴のような甲高い声だった。

 僕らの声には一切耳を傾けなかった無数の手は急に動きを止める。

 そしてWAISの連中が視線を向けた先には、ナチュが拳を握って立っていた。


「綺羅子姉ちゃんたちはぼくの命の恩人だぞ! ひどいことをするなっ!」

「でもね志然、あれは人間じゃなくて穢れた……」

「母さんの嘘はもう全部分かってる!」

「え……?」


 少年は驚愕を露わにする母親を睨みつけた。


「日焼け止め、塗っても痒くならないし死なない。ジュースもしょっちゅう飲んでるけど、全然死んでない! ピアスをしていても綺羅子姉ちゃんは悪い人じゃなかった! 母さんはおれが溺れてても何もしなかったけど、異能力者の綺羅子姉ちゃんはおれを助けてくれた!」

「違うのよ志然ナチュラル、全部誤解で」

「うるさいっ! 変な名前で呼ぶな! おれはナチュだ! 母さんも母さんの友達もみんな嫌いだっ! 死ねっ! 死んで綺羅子姉ちゃんに謝れっ!」


 ナチュは怒りの感情を爆発させ、最終的には泣き崩れた。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返ったのも束の間、遠方からサイレンの音が近づいてきた。


「警察が来たっ!」


 群衆の誰かが叫び、人々にパニックが伝播する。

 逃げ出す者、むしろ警察の方へ向かおうとする者、そして僕らを捕まえようとする者。

 だが僕らを捕らえようとする手は、僕らの盾になるように立ちはだかった人々によって防がれていた。


「大丈夫。私はあなたたちが何をしたのか、全部見たから。ほら、この上着を持ってって」

「警察なんかに絡まれると夏休みが台無しになるぜ。今のうちに逃げな」


 全員知らない人だ。

 だが彼ら、彼女らは僕らに微笑みかけてくれた。

 中には明らかに日本語を分かっていなさそうな外国人観光客までいる。


「さ、綺羅子ちゃん、大統領。ご厚意に感謝して退散致しましょう。警察にはWAISの集会が暴徒化していると通報しておきましたので」


 そして人混みを掻き分け、フェルナンデスが僕らの元へとやってきた。


「フェルナンデス、まさかこれは君が……?」

「悪政はいつだって民衆の力で倒されるもの。そのためには適切な根回しと印象操作、そして蜂起のタイミングが最も重要です。あなたもよく知っているでしょう、大統領プレジデンテ? まあ我々は、あのゲームじゃいつも倒される側ですがね」

読んでいただきありがとうございます!

遅くても3日ごとに更新予定!

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