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第二十六話 晒し首

「位置について!」


 腹這いになった僕の頭上から久々に聞く定型文が響き、全身に緊張が満ちる。


「よーい、ドン!」

「うおおおっ!」


 僕は起き上がりながら素早く身体を反転させ砂浜を疾走する。

 目指すは遥か十メートル先の赤き三角旗。

 小学生の頃よりも本気で、全力で前へ。


「遅えっ!」


 だが、上には上がいるものだ。

 僕を追い抜いた綺羅子の背中が遠ざかる。

 ふと、小学三年生の体力測定でも同時測定の女子に完全に置いて行かれ、体育教師に女子の方が成長が早いからなどと慰められた記憶が蘇った。


 でも僕の成長は遅いどころか止まってしまっているんだが?

 この理不尽はどこに訴えればいいのだろう。神様かな。


「だから言っただろ。ハンデは三割じゃなくて半分でいいぞって」


 数秒後、僕が息を切らしながら駆け寄ると、綺羅子は砂まみれの顔でドヤ顔をキメていた。

 勝利はほぼ確実だったはずだが、律儀にも旗にダイブしたせいである。


「君、足、速すぎだろ……」

「あたしはややチビだけど走りは速いのさ。中学じゃ陸上部にもスカウトされたし」

「おま、元陸上部って、勝てるわけ、ないじゃんか」

「ああいや、陸上部には別に入らなかったんだけどさ。誘われただけで」

「なんで入らなかったんだ?」

「……それよりさ、次はフェルナンデスとの勝負だろ。待たせちゃ悪いし早く戻ろうぜ」

「あのねぇ、僕は君たちと違って一回走ったら限界なんだけど」

「限界なんてぶっ飛ばせ! だ。根性論最高!」

「最悪だよ」

 

 明らかに誤魔化された。

 

 僕は本人が話さないと決めた事柄を根掘り葉掘り聞くほどデリカシーのないやつではない。

 というかそうありたい。

 ありたいのだが……結局僕は綺羅子と歩いてスタート地点に戻る間、彼女が何を隠したのか考えていた。


「それじゃ大統領! お疲れのところ申し訳ありませんが、次は私と勝負ですぞ」


 綺羅子が何かしら酷い目に遭ったのは間違いない。

 それでも本人がぽろっと言ってしまうのだから、きっと陸上部に誘われたこと自体は彼女も嬉しかったのだろう。


「位置について、よーいドン!」


 となると、おそらくは外部的な要因。

 何らかの出来事で、あるいは理由で、彼女は陸上部に入りたくても入れなかった。

 この手の話でよく聞くのは親の反対。あるいは友人関係のトラブルが考えられるが、問題を解決できたタイミングは遠い過去に過ぎ去ってしまっている。


 過去は過去、今は今。当たり前の話だ。


「ちょっ、あなた結構速っ……⁉︎」


 だというのにどうして僕は今さら、当時知り合いですらなかった彼女の思い出話を知りたがり、勝手に想像して憤っているのだ。

 ただエネルギーが無駄になるばかりで、詮索すれば彼女との関係にも余計な傷をつけかねないと分かっているはずだ。


「わわわわっ! 大統領そんなところで転んだらっ!」


 僕が綺羅子を好いているのか。

 それで彼女の悲しい過去に怒りを覚えているのか。

 いいや、違う。あるわけがない。

 なぜなら僕は無能力者で、少ししか知らない綺羅子の婚約者になど「おぼふっ⁉︎」

 僕の身体は砂浜に叩きつけられ、思考が強制的に中断された。


「いてて……そうか、次のビーチフラッグが始まってたのか」


 紛れもない僕自身が走っていたはずなのに、完全に上の空だった。

 我ながら今日の僕はやはりおかしい。

 心なしか頭がぼーっとするし、考えがすぐに暴走して前が見えなくなってしまう。


 というか見えないと言えば、今現在の僕の視野は比喩ではなく本当にゼロになってしまっている。

 何だ、頭の打ちどころが悪くて目に影響が出てしまったのか。

 僕は目を開けようと試みたが、何かがまぶたに押し付けられていて開かない。

 なるほど、頭を打ったのではなくて単に物理的に塞がれているだけなのか。

 安心すると同時、じゃあ視界を塞ぐこれは何? と当然の疑問が湧いた。

 手でどかそうとするとむにゅ、と変形した。

 そして結構な弾力と重量感。あとは化学繊維的な手触りが……。


「えっと、その……確かに昨日私自ら提案はしましたが、こんな場所で堂々と揉まれるとは。なかなか衝撃的というか何というか、か、感服致しましたぞ大統領プレジデンテ?」

「ハッ⁉︎」


 そんなまさか、と思うだろう、だが事実だ。

 僕は転んだ拍子にフェルナンデスの胸を……胸に、えっと、触れてしまっていた。


 いいや誤魔化すまい。

 ああ、僕は揉んださ。揉んだとも。自称Fカップの胸を揉んだんだ。


 胸は高鳴りっぱなしだが、現実を認めたら何やら晴れやかな気分だ。

 教会の懺悔室で日夜行われている告解とは、おそらくこういう感じなんだろうね。

 さて、あとやることはひとつ。


「死んで詫びます。本当にすみませんでした」

「ああ顔面を砂にっ⁉︎ 待って、顔を上げてください大統領プレジデンテっ!」

「なんだなんだ、転んだと思ったら何やってんだお前らさっきから」


 ざふざふと砂を踏む音と綺羅子の低まり切った呆れ声が近づいてきた。


「なんで紗人は砂に顔を突っ込んで土下座してんの」

「それがその、転んだ拍子に大統領が私のその、胸をですね……」

「なるほど重罪だな。死刑か?」

「いかなる罰も受け入れる所存です」

「よく聞こえなかったけど、お前いま何されてもいいって言ったか?」


 綺羅子はしゃがみ、僕の顔を掴んで上向けた。これまでにないほど邪悪な笑顔と目が合う。


「い、言ったよ……」

「だよなぁ? よーしフェルナンデス、紗人の制裁を手伝ってやるよ」

「お気持ちはありがたいのですが、私としては大統領を罰する気はあまりないというか……」

「いやいや。こういうのはちゃーんと罰してやった方がお互い気持ちよく過ごせるってもんだ。それにな、この日本じゃ重罪に対する罰は昔っから決まってるんだぜ」

「な、何をするつもりなんですか綺羅子ちゃん……」

「そりゃ当然、晒し首だ」

「ええっ⁉︎ さ、晒し首⁉︎」


 悲鳴を上げたフェルナンデスに、綺羅子はニッと笑った。


 そんなわけで数分後。

 僕は仰向けに首から上だけを出し、手際よくビーチに埋められた。

 よかった、斬首されなくて。綺羅子は晒し首の意味を勘違いしているらしい。


「完成! いい出来だ!」


 綺羅子は心底楽しそうにケラケラ笑いながら、スマホで撮った僕の現状を見せてきた。

 彼女の手によって僕の股間の辺りには小山が盛られ、その山頂にビーチフラッグがはためいている。

 小学生男子みたいな感性してんなコイツ。


「ふぅむ、確かになかなかの力作になりましたな。埋めている最初は少しかわいそうな気もしましたが、我ながら途中からはすっかり夢中になってしまいましたぞ」


 一方フェルナンデスは僕の上半身に盛った砂を細かく整え、まるでやりすぎのマッスルスーツのように仕立てていた。

 こっちもこっちで小学生レベルの発想なのは変わりないが、なまじ技術があるせいで埋められている僕から見ても感心してしまうほどだ。


「それじゃあ最後の仕上げだ。周りの人にも見てもらおう」


 そして綺羅子がなんか恐ろしいことを言い出した。


「き、綺羅子ちゃん⁉︎ 一般人の隅々にまでインターネットが普及した今それはあまりにも残虐な罰になり得ますぞ!」

「何言ってんだ、だからこそだろ。“晒し”首は名の通り、殺すことじゃなくて恥をかかせるのが目的の罰だったらしいじゃんか。むしろ胸をどさくさで揉んだ罰としては軽いくらいだぜ」

「晒し首ってそういう意味じゃ……えっと、大統領プレジデンテは、どう思います?」

「罰されている本人に聞かれてもな……」


 こちらを伺うように見るフェルナンデスは心なしか少し泣きそうに見える。

 どうやら彼女は僕を勢いでこんな状態にしてしまったことには罪悪感があるらしい。

 罪人に情けをかけるとは、なんて優しいんだ。聖女かな? 

 自然とため息が漏れる。聖女をその苦しみから解放できるのは僕しかいないようだ。


「君らは集中して気づかなかったみたいだが、実は僕ら、もう結構注目されちゃってる」

「なんだ? もしかしてそれで許してくれって言うつもりなのかよ」

「その逆さ……ここまで来たら、もうとことんまでやってくれ」

「よく言った! よぉし野次馬ども、もっと近寄って見ていいぜ!」


 綺羅子が叫ぶと、僕らを遠巻きに眺めていた衆人たちに少し反応があった。

 大概はそれでも近づいてこないが、いくつかのスマホレンズが僕へと向けられ、カシャカシャと音が聞こえた。


「ああ、大統領の醜態がインターネットへ拡散されてしまう……」

「いいんだフェルナンデス。これは君への謝罪なのだから。それに君たちが飾り付けてくれたおかげで、重罪人というよりはオブジェとして拡散されるだろうし」

大統領プレジデンテ……」


 そういう感じで、結局五分ほど僕は写真を撮られ続けた。

 撮った野次馬たちは特に何も言っちゃいないが、写真はフェルナンデスの懸念通りインターネットの海に流れていくことだろう。

 それ自体は僕の罪なので、どうこういうつもりはない。


 ただひとつだけ……僕の写真をきっかけに“本物”のネットストーカーこと白鳥星河がトラブルを運んでくる確かな予感だけが、僕の胸中で膨らみ続けるのだった。

読んでいただきありがとうございます!

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