20.金木犀の薫る日
線香花火の良いところも弱点も、その儚いところ。
ほんのわずかの風や手の震えで、火花が咲かぬうちに落ちてしまうこともしばしば。
なお、うっかりしていましたが。
この話での線香花火は、すぼ手でなく和紙を使った長手をイメージして頂きたい。
「熱っ」
彩夏は思わず飛び上がった。
悪い、と悪びれもせずロウが言った。彼の手の線香花火は先端の火玉が無い。彩夏の手の甲に火傷を呈したのがそれだろう。
そしてその玄い眼で彩夏を刺した。—―否、それは不吉な夜の魔鏡。世界のすべてを映し出す。
「さいか」
玄い眼に閃いたのは、何という感情だったのだろう。
「俺は許さないぞ」
鮮烈な、ただ鮮烈なこころ。
雪風を切り裂いて散る。
火花。
花火。
金木犀。
ロウは背を向け、次の線香花火に火を点けた。そのまま何も言わない。
けれどきっと、知っているのだ。
俺を。
私を。
金木犀の記憶と、この想いを。
彼女の、後姿を。
彩夏は自分の手元を見下ろした。育ちつつあった火玉は、案の定、飛び退いた衝撃で地面に落ちている。
所在なく紙縒りを弄んでいたが、ロウはともかく、海城さえ気づいてくれない。薄情な二人に小さく溜息を吹きかけてみても、花火の煙が鈍く渦巻くだけだった。
二本目の線香花火に火を点けようとして、もう一度手元に目を落とした。
薫る、薫る金蜜色の小枝に。
金木犀の枝に紙縒りを結わえ、そっと蝋燭の火に近付けた。
吹くでなく吹かぬでなく、巻くような滞るような微かな風にすら、頼りなげに揺れる花火の先で。儚げに震えながら、火の玉はしっかりと紙縒りにしがみついている。
そして、小さく呟きながら身震いする。
金蜜色の粉を激しく振り撒きながら。
金蜜色の涙を零しながら。
眼に、耳に、そして胸に。
強い感情が波のように押し寄せる。けれどその波はたちまち返し、そうしてそのまま去ってしまう。手にした欠片すらあっさり解けて、そこには記憶すら遺さない。
残酷にも、或いは。
慈悲深くも。
こころより深い場処を、深く抉り痛みを残し、けれど僅かな疵さえもそこに残してくれはしないのだ。
一瞬吹き込んだ風が、遠く喧噪を吹き飛ばしていった。
どこか遠くで、花火の上がる音を聞いた気がした。
あのとき。
あの娘は自ら手を放し、振り返りもしなかった。
だからこそ、いま。
私から言わねばならなかった。伝えねばならなかった。
さようなら。
胸の中で呟く。
さようなら、百年前の恋心。
本当はどちらが居なくなったのか。或はすべてが夢だったのか。そして私が誰だったのか。そんなことはもう、どうでも良いけれど。
この想いだけは、真実だったと思うから。
いつか再び出逢えたら。
いつか再び出逢うから。
そのとき一緒に花火をしよう。
そのとき一緒に花を見よう。
君の胸に咲く大輪の、君の掌に収まるほどの小さな花を。
金木犀の薫る日に。
帝都の大震災からもうすぐ百年。
私たちはあれから、進歩できたんでしょうか?
その日はまた、すぐそばまで来ているのかもしれないのに。




