19.幽霊話
本当のような嘘の話に、嘘のような本当の話を混ぜてお送りしております。
嘘か本当か。
それは私にもわからない。
幽霊。
その言葉と共に吹き付けた雪風に、一瞬にして視界を奪われる。
と思ったが、先ほど盛大に噴き出していた花火の残煙でしかない。それさえも夜風が緩やかに掻き乱し、溶かし込み、気づかぬうちに拭い去る。
ただの日常だけがそこにある。
「近年、凌雲閣の遺構が出たってニュースがあったじゃない?
調査もろくにできないまま壊しちゃったらしいけど。今までもちょくちょくあったのが、それからより一層頻繁に出るようになったって」
「何だい、時々思い出したように再建のうわさが流れるっていう、あれだろう?」
出たり消えたりするから幽霊話、という洒落てるのか洒落てないんだかよくわからない有名なヤツだ。最初に聞いたときは、てっきり詐欺がらみだと思ったが、本気で考えている人が今でもいるらしい。
それがさぁ、と海城。
「凌雲閣そのものの幽霊なんだって。見慣れないビルが増えたなーって思って、次見たら消えてるとか。写真もネットに流れてるって」
やっぱり未練なのかねえ、と知ったかぶりで肩を竦める。…自分もその知ったかぶりの一人だろうが。
凌雲閣の建っていたその付近は、今でも余り高い建物がない。再開発に制限を掛けているそうだ。そんなところなら、僅か十二階の建物でも頭一つ飛び抜けて目立つだろう。
「CG合成のだろ? 画像見たことあるけど、仮にも幽霊なら真昼の青空バックにくっきりは無い」
真昼の幽霊、という言い回しはあるが、うすらぼんやりという意味であって、昼間に幽的なモノが化けて出ることを言っているわけではないのだ。幽霊は幽霊なりにもう少し節操と言うものを持って欲しい。
そもそも現在、凌雲閣のあった付近には、最早化けて出るほどのものなど残されていない。
浅草の空に美しく映えたあの赤煉瓦。当時他の追随を許すことのなかった十二階。
その姿が消えて百年。
そう、百年。
たかが百年、されど百年。
記録媒体も情報拡散も、今とは比べものにならないくらい貧弱だ。さらに前後に幾つもの戦争を挟み、記憶も資料も喪われていった。
暴力的な猥雑さと、洗練された華やかさが、怒涛のように駆け抜けた、けれどある意味優しい時代でもあった。
そんな時代だった。そんな時代であったのだ。
そして、そんな日常が。いきなり消失するなどと、誰も考えもしなかった。
日が変わり、季節が移り、年を重ねても。
続く筈だった明日が、約束が。
あの展望が。
あの、約束、が。
断絶するなどとは。
不意にうそ寒さを覚え、彩夏は金木犀の小枝を振ってそれを追い払った。さらにそれさえ誤魔化すために、揺蕩う煙をもぐるぐるぐると大仰に掻き混ぜる。
混ぜて混ぜて、晩夏の夜に混ぜ込んでしまう。
未だ、夏の終わりも間近な風が、じんわり滲んだ汗を乾かしながら、煙った闇を掻き混ぜて吹く。
軒下の硝子風鈴が、面倒臭そうにチンと鳴った。
誰か、誰か。
何か言って欲しい。
何か、救いになる言葉を。
けれどそう求める言葉を私は持たない。
失くしたのか、忘れたのか、それとも最初からそんなものはなかったのか。それさえもただ白い闇に解けていく。
訳もわからぬ胸苦しさに、知らず拳を押し当てて、見知らぬ夜に身を竦ませる。
盛りを過ぎた夏の宵。そのはずなのに。
じわりと染み込んでくる。肌を刺す。この、風は。
身を震わせた彩夏の目の前、不意に視界を遮るようにロウが立つ。
「な、なに?」
彩夏は狼狽えた。自分の方が、何かを求めたというのに。
が。突き出された彼の手には、数本の線香花火が握られていただけだった。
「やりたかったんだろう? これ」
邪気の無い、玄い眼で。
狼狽えた自分を誤魔化すように、線香花火を受け取る。色鮮やかに染められた和紙で作られた、何の変哲もない、ただの線香花火。
花火。
花。
やはり、花火。
金木犀の花。
線香花火。
雪風に翳む夜。
と思えば、先刻から盛大に火花を噴いている吹き上げ花火の煙だった。
煙が残るのも当然のこと。夜風は気怠げに夜と煙とをかき混ぜるだけで、その場から立ち去る気配もない。今夜も寝苦しいのは確定らしい。
そのこってり重い夜の中。火薬の臭いに満ちた煙の奥底に。
金蜜色の香が混じる。
彩夏はしゃがみ込んで、手にした線香花火に火を点けた。
蝋燭にかざした線香花火は、暫く赤い薬筒から小さな炎を吹き、やがて雫のように丸まって火玉になった。火花が小さく散り始め、それだけで落ちそうになるほどに身を震わせる。
火玉の熱と光が顔を照らし、目を焼いた。
最後に見た夕日の色そのままに。
重なる視界。
重なる記憶。
金木犀は、咲いたというのに。
ギ、と音を立てて胸が軋む。その衝撃に負けて、膨れた火玉がまた、揺れる。
悲しいのか。
恋しいのか。
それとも只、懐かしいだけなのか。
判らない。
名も知らぬこころに胸を焦がす。
だけど、雪が降ったら。
「雪見といこうか、花見といこうか」
低い声でロウが囁く。その視線を花火の火玉に注いだままで。
その手元で弾ける火花の強さに目が眩む。
黒髪を乱す雪風に眼が惑う。
百年の恋が目を醒ます。
百年の本音を吐き出した。
私は。
私も。
或の娘と逝きたかったのだ。
えぇ、十二階のように低い建物でも。
…十階超える建物なんて、ご近所には片手の指ほどしかない田舎よりお送りしています。
たしか、あの病院と、県庁と、…えーと…




