12.その日
何時か來ると知っていても。
それが今日だと、誰も知らない。
大正十二年九月一日。
地獄だつた。
あの瞬間、下宿の縁臺から庭に放り出された私は、大地の鳴動する中で家屋が數瞬のうちに紙細工のやうに潰れていくのを見た。
重い地鳴りと次々上がつていく火の手に追はれ、何處とも知らず逃げ惑うた。人の流れに攫はれ、或いは逆らつて走り續けた氣がする。
正氣に戻つた時には、西郷さんの足元でぼんやりと坐つて居つた。傍には何故か大家が同樣にへたり込んでおり、大家の手首から先が白くなる程に未だ私が握り締めてゐた。
落ち着ける譯もなかつたが落ち着かねばならぬ。晝飯前だつたので食はずにゐた貰ひたての大福を、大家と二人で分け合つて食つた。
近くまで炎と煙が近附いたが、上野の公園には及ばずに濟んだ。
知らなかつたのだ。
二人してへたり込み大福を食うてゐた其のとき、數多くの避難先に炎煙がなだれ込み、大勢が生きた儘業火に喰らわれてをつたとは。
知らなかつたから食うた。
知らなかつたから正氣を保てた。
地震による大破壞と餘りの大火に消火など追ひつく筈もなく、自然鎭火を待つ内に數日が經つた。
日毎夜毎の餘震も確實に其の數を減らし、代はりと云うては何だが流言蜚語が帝都中を搖るがしてゐた。實際其れで撲殺された朝鮮人らしい屍躰も見た。
帝都中が狂氣だ。
或いは日本中がさうなのか。
判らぬまま數日を公園で過ごした。
朝のニュースで見えた神戸の街は、爆撃を受けた後のようで。
倒れた橋脚、横たわった高速は、なんだか理解できなくて。
被害の情報が入っていない、というのは、被害が大きすぎる、ということでもあると知りました。