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妖精の待つ公園で、ビールを一缶飲み交わす  作者: 新道 梨果子


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第19話  健太 Ⅲ  店名

 あやかママが、亡くなった人? 俺は酔った頭でぐるぐると考える。


 ということは、あれは幽霊だったのか。いや、とてもそんなふうには見えなかった。あんなケラケラと笑う明るい幽霊なんて、おかしいだろう。それに肩を叩かれた。頭にチョップをくらわされた。ちゃんと感触があったのに。


 そんなことを考えているうち、内ポケットにあるスマホが震える。取り出して見てみると、先ほどの紗耶香ちゃんからのメッセージだった。

 店内を見回す。先ほど入った男性客でちょうどカウンター席が埋まってしまったようだ。かえでママも樹里ちゃんも、忙しなく動いている。


「元木さん」

「あっ、はい」


 なにごとかを考え込んでいた元木さんに話しかけると、ハッとしたように顔を上げてこちらを見てくる。


「もうカウンターが埋まっているから、そろそろ出る?」

「ああ、はい、そうですね」


 かえでママや樹里ちゃんの手前、俺は声をひそめて耳打ちする。


「もしよかったら、なんだけど、さっき会った紗耶香ちゃんて子がいる店に行かない?」

「え?」


 彼女は軽く眉根を寄せる。これが本当にヤキモチ、とかいうものなら嬉しいが、どうなんだろう。


「いや今、営業メッセージ、来てさ」


 俺はスマホの画面を元木さんに見せた。


『助けて! まだ流川におるんじゃろ? 坊主はマズいよー!』


 というメッセージと、泣きながら土下座する犬のスタンプが押された画面だ。

 元木さんは驚いたように目を見開いた。


「えっ? 髪を剃られるんです? 暴力ですよ、それ。警察に通報しないと」


 おろおろしながら元木さんはそんなことを言う。ああなるほど。そう取られるのか。


「違う違う。営業メッセージって言っただろう? 坊主、っていうのは、客がゼロ、っていう意味」

「あ……ああ」


 元木さんは、ほっとしたように胸を撫で下ろした。

 そのときまたピロン、とスマホが鳴った。見てみると、『勉強させてもらうから!』というメッセージが追加されていた。お安くしてくれるらしい。それはありがたい。


「部長がよく使う店なんだけど、坊主っていうことは、いないと思うし」

「はあ……」

「もう少し、一緒にいたいと思って」


 そう付け加えると、元木さんが目に見えて赤くなった。

 可愛いな、と思う。やはりあやかママが言う通り、これは恋というものなのだろう。


「かえでママ」


 そう呼びかけると、彼女は振り向く。なので両手の人差し指でバツを作った。


「あら、もう帰られるんです?」

「また来ます」


 そう返事しながら、腰を浮かせる。ヘネシーのボトルは四分の一ほどが減っていた。

 かえでママは料金を書いた小さな紙をカウンターの上に置いた。二万五千二百円。二人分、しかもヘネシーを入れてこれは、安い。あやかママが『高うないけえ、安心しんさい』と言っていた通りか。


 財布を取り出すと隣から、元木さんがスーツの袖を少しつまんで引っ張った。なんだろう、と振り向くと、彼女は自分の財布を手に持っていた。


「あの、私も払います」

「いいって」

「でも、さっきも払うてもろうたし」

「甘えときんさい。好きな子にはカッコつけたいんじゃけえ」


 そう樹里ちゃんがカウンターの端っこから声を張った。店内の他のお客さんも、その言葉に肩を震わせている。

 それで元木さんは顔を真っ赤にして、大人しくなって俯いてしまった。うん、俺も顔を真っ赤にして俯きたい。


 くすくすと笑いながら、かえでママが俺からお金を受け取る。


「ありがとうございましたー」

「ありがとうございました」


 かえでママが俺たちについて、ドアまでやってくる。これは、ビルの下までお見送りする、というヤツだろう。


「ここまででいいですよ。忙しそうだし」

「あら、ほんま? ごめんなさいね」

「いえ」

「でも、二人きりの時間は長いほうがええですしね」


 そう続けると、口元に弧を描いた。それでまた元木さんは顔を真っ赤にしてしまう。

 その様子を見ていると、これはなかなかの苦行なのではないか、という気になった。指一本触れずに帰したいのだが、俺の理性はどこまで耐えられるのか。


「またお越しください」

「はい、また」

「ありがとうございました」


 かえでママは、そう礼を述べて腰を折る。俺たちも会釈しながらその場を離れた。


 エレベーターに乗り込む直前、振り返ってみると、かえでママはまだそこにいて手を振っている。

 ふと、店の扉の上にある看板が目に付いた。


『エスケープ』。


 ああ、そうか。


「この店くらい、緩うやろうや」、という言葉がよみがえる。


「堅いこと言いんさんな」と言っていたあやかママ。「確かにウチは面倒くさがりよ」とも言っていたか。


『エスケープ』。なるほど、『逃げ場』か。


 確かに逃げ場なのかもしれない。正しいことにがんじがらめにさせられてしまったとき、お酒を飲んで、愚痴を吐いて。それでちょっとスッキリして。人間には、そういう場所が必要なのかもしれない。


 確かにその店名は、あやかママが名付けたものなのだろう、と感じられた。


 エレベーターの扉が閉まる直前、かえでママが頭を下げているのが見える。

 また近いうちに二人で来られたらいいな、と俺は口の端を上げた。

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