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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第一部 鍬を持つ大賢者

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第八話 村の食卓



 初めての収穫から、三日ほど経った。


 アルヴェインは朝から畑にいた。


 収穫を終えた豆の畝を整え、残しておいた種をどうするか考えている。


「次は、もう少し多く植えるか」


 独り言を呟いた。


 すると、道の向こうからミレアが歩いてきた。


「アルじいさん、おはようございます」


「ああ。おはよう」


「今日は畑、何してるんですか?」


「収穫した後の手入れだ」


「もう次のことを考えてるんですね」


「畑は待ってくれんからな」


 ミレアは畑を眺める。


「そういえば、あの豆」


「ああ」


「まだ残ってます?」


「少しな」


 ミレアは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、今日はうちで食べませんか?」


「うち?」


「おじいちゃんの家です」


 アルヴェインは少し考えた。


「ガルドの家で?」


「はい」


「俺も?」


「もちろんです」


「……」


 アルヴェインは畑を見る。


「今日は特にすることもない」


「じゃあ決まりですね」


 ミレアが笑った。


     ◇


 夕方。


 アルヴェインは、収穫した豆を少しだけ籠に入れて村へ向かった。


 手土産のつもりだった。


「アルじいさん!」


 途中でトーマと出会う。


「どこ行くの?」


「ガルドの家だ」


「僕も行く!」


「なら一緒に来い」


「うん!」


 トーマが隣を歩く。


「今日は何食べるの?」


「豆だろう」


「豆だけ?」


「それはガルドに聞け」


「じゃあ、肉もあるかな?」


「祭りじゃないぞ」


「……残念」


 アルヴェインは苦笑した。


     ◇


 ガルドの家に着く。


「おじいちゃん!」


 ミレアの声が家の中から聞こえた。


「もうアルじいさん来たよ」


「分かった」


 ガルドが出てくる。


「来てくれたか」


「ああ」


 アルヴェインは籠を差し出した。


「少しだが、これを」


 ガルドは中を見る。


「豆か」


「俺の畑で採れたものだ」


「ありがたい」


 ガルドは豆を一つ手に取った。


「初めての収穫だったな」


「ああ」


「なら、今日はこれを使おう」


 ミレアが嬉しそうに言った。


「じゃあ、私が料理します」


「私も手伝う」


 ガルドが言う。


「おじいちゃんは座ってて」


「孫に台所を任せきりにする祖父がどこにいる」


「ここにいる」


「……」


 アルヴェインは笑った。


「仲がいいな」


「いつもこんな調子だ」


 ガルドがため息をつく。


     ◇


 しばらくして。


 家の中に、料理の匂いが広がった。


 豆を煮たもの。


 焼いたパン。


 野菜のスープ。


 少しだけ肉もある。


「できました!」


 ミレアが料理を並べる。


 アルヴェインは食卓を見て、少し驚いた。


「ずいぶん作ったな」


「せっかくですから」


 トーマが椅子に座る。


「早く食べよう!」


「まだだ」


 アルヴェインが言う。


「いただきます、だろう」


「あ」


 トーマが姿勢を正す。


「いただきます!」


「いただきます」


 ミレアとガルドも続く。


 アルヴェインも小さく頭を下げた。


「いただきます」


 豆を一口食べる。


「……」


「どうです?」


 ミレアが尋ねる。


「うまい」


「よかった」


「自分の畑で採れたものだから、余計にそう感じるのかもしれんな」


 ガルドが笑う。


「農夫らしくなってきたじゃないか」


「まだ始めたばかりだ」


「それでも、最初の収穫は大事だ」


 ガルドは豆を一粒食べる。


「うん。いい豆だ」


「本当?」


 ミレアが嬉しそうにする。


「お前が作ったわけではないだろう」


「アルじいさんが作ったんです」


「なら、本人に言ってやれ」


 ガルドがアルヴェインを見る。


「うまいぞ」


「ありがとう」


 その言葉が、アルヴェインには妙に嬉しかった。


     ◇


 食事をしながら、他愛もない話が続いた。


 村の天気。


 今年の作物。


 近くの森のこと。


 トーマが学校で起こった出来事。


 ミレアの料理の失敗談。


 そんな話を聞きながら、アルヴェインは黙って食事をしていた。


 ふと気づく。


 自分がほとんど喋っていないのに、居心地が悪くない。


 昔は食事の席にも、いつも意味があった。


 誰が何を言ったのか。


 どんな情報が必要なのか。


 誰と交渉するのか。


 食事さえ、仕事の一部だった。


 今は違う。


「アルじいさん?」


 ミレアが呼ぶ。


「なんだ?」


「豆、もう一つどうです?」


「ああ」


 ミレアが皿から豆を取ってくれる。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 それだけ。


 それだけなのに、アルヴェインは少し笑った。


     ◇


「そういえば」


 ガルドが言った。


「アルヴェインさん」


「ああ」


「この村に来て、もうしばらく経つな」


「そうだな」


「暮らしには慣れたか?」


「ずいぶん慣れた」


「畑も順調そうだ」


「まだまだだ」


「それでも、荒れ地だった頃に比べれば大したものだ」


 アルヴェインは少し考えた。


「土を触るのは、思っていたより悪くない」


「そうか」


「むしろ、気に入っている」


 ガルドは満足そうに頷いた。


「それならよかった」


     ◇


 食事が終わる。


 ミレアが食器を片付け始めた。


 トーマも手伝っている。


「アルじいさんは座っててください」


「俺も手伝う」


「お客さんですから」


「客だったのか?」


「今日はそうですよ」


 ミレアが笑う。


「いつも畑を手伝ってもらってるんですから、たまには休んでください」


 アルヴェインは黙った。


「……そうか」


 椅子に座る。


 窓の外を見る。


 夜の村。


 小さな明かり。


 静かな道。


 遠くには自分の畑がある。


 そこにはガルがいるはずだ。


 食事を終えた今。


 帰る場所がある。


 そう思った瞬間、アルヴェインは少しだけ戸惑った。


 昔の自分なら、こんな感覚を持つことはなかった。


 王都にある大きな屋敷。


 弟子たち。


 研究室。


 魔法書。


 それらは確かに「自分の場所」だった。


 けれど――。


 今感じているものとは違う。


「……不思議だな」


 アルヴェインが呟く。


「何がです?」


 ミレアが振り返った。


「いや」


 アルヴェインは首を振る。


「豆一つで、こんなに話ができるとは思わなかった」


 ミレアが笑った。


「また作ればいいじゃないですか」


「ああ」


「今度はもっとたくさん」


「そうだな」


     ◇


 帰る時間になった。


「今日はありがとうございました」


 アルヴェインが言う。


「こちらこそ」


 ガルドが答える。


「またいつでも来てくれ」


「ありがとうございます」


 ミレアが手を振る。


「また明日!」


「ああ」


 アルヴェインは村を後にした。


 夜道を歩く。


 少し先をガルが歩いている。


「お前、いつの間に来た?」


 ガルが振り返る。


「待っていたのか」


 尻尾が動く。


「そうか」


 アルヴェインはガルの隣を歩いた。


 やがて、家が見えてくる。


 小さな畑。


 月明かり。


 風に揺れる葉。


 アルヴェインは畑の前で立ち止まった。


「……悪くない一日だったな」


 誰に言うでもなく呟く。


 ガルが隣に座る。


 アルヴェインも腰を下ろした。


 静かな夜だった。


 何も起こらない。


 魔物も来ない。


 敵も現れない。


 ただ、今日一日を終える。


 それだけだった。


 けれど――。


 アルヴェインは思った。


 こういう一日を、もっと過ごしてみたい。


 大賢者としてではなく。


 英雄としてでもなく。


 ただ土を耕し、野菜を育て、人と食事をする。


 そんな余生を。


 月明かりの下、小さな畑を眺めながら。


 アルヴェインは静かに笑った。

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