第七話 初めての収穫
朝。
アルヴェインは、いつものように畑へ出た。
空はよく晴れている。
風も穏やかだった。
「……そろそろだな」
しゃがみ込み、豆の様子を見る。
葉は十分に育っている。
そして、その根元には丸々と膨らんだ鞘がいくつもついていた。
アルヴェインは一つを手に取る。
指先で軽く触れる。
「よし」
今日は収穫できそうだった。
畑を始めてから、初めての収穫。
ほんの小さな一歩だ。
けれど、アルヴェインにとっては妙に嬉しかった。
「アルじいさん!」
背後から声がした。
ミレアだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「何してるんです?」
「見れば分かるだろう」
「……豆?」
「ああ」
アルヴェインは鞘を見せた。
「今日、収穫する」
「本当ですか?」
ミレアの顔が明るくなる。
「じゃあ、トーマを呼んできます!」
「待て」
「はい?」
「走るな」
「……はい」
ミレアは一度頷いた。
そして――。
早歩きで村の方へ向かった。
「……あれは走っているのと変わらんな」
アルヴェインは苦笑した。
◇
しばらくすると、トーマがやってきた。
「アルじいさん! 収穫するって本当?」
「ああ」
「やった!」
「騒ぐな」
「だって初めてでしょ!」
「そうだな」
アルヴェインは籠を二つ用意した。
「今日は全部取るわけじゃない」
「なんで?」
「まだ育っていないものもあるからだ」
アルヴェインは一つの鞘を指差す。
「これは取っていい」
「これは?」
「まだだ」
「じゃあ、これは?」
「それもまだ」
トーマが首を傾げる。
「同じ豆なのに?」
「同じ畑でも、育つ速さは少しずつ違う」
「へえ……」
「だから、一つずつ見るんだ」
アルヴェインは最初の鞘を摘んだ。
ぷつり。
小さな音がした。
「これが収穫?」
「ああ」
トーマの目が輝く。
「僕もやっていい?」
「いいぞ。ただし、よく見てからだ」
「分かった!」
◇
三人で収穫を始めた。
ミレアは丁寧に鞘を選んでいく。
トーマは最初こそ勢いよく手を伸ばしたが、
「トーマ、それはまだだ」
「……はい」
と、すぐに手を引っ込めた。
「じゃあ、これは?」
「それはいい」
「やった!」
ぷつり。
籠の中に豆が一つ増えた。
「アルじいさん!」
「なんだ?」
「一個増えた!」
「見れば分かる」
「でも嬉しい!」
アルヴェインは笑った。
「そういうものだ」
やがて、籠の中に少しずつ豆が増えていった。
けれど――。
「……これだけ?」
トーマが籠を覗き込む。
「ああ」
「少ないね」
「最初だからな」
ミレアも籠を見る。
「でも、ちゃんと豆になりました」
「そうだな」
アルヴェインは籠を持ち上げた。
ずしり、とまではいかない。
片手で十分持てる。
市場で買えば、たいした量ではない。
けれど。
これは、種から育てたものだ。
土を耕した。
種をまいた。
水をやった。
毎朝、様子を見た。
雨の日も畑を見た。
そして今日。
初めて、自分の手で収穫した。
「……」
アルヴェインは、しばらく籠を見つめていた。
「アルじいさん?」
「……いや」
アルヴェインは小さく笑った。
「嬉しいものだな」
ミレアが笑顔になる。
「でしょう?」
「ああ」
◇
昼。
収穫した豆をどうするか、三人で相談していた。
「食べよう!」
トーマが即答した。
「当然だな」
アルヴェインも頷く。
「でも、全部食べちゃうの?」
ミレアが聞いた。
アルヴェインは籠を見る。
「少し残す」
「種にするんですか?」
「ああ」
収穫したものを全部食べれば、次の作物がなくなる。
農業を始めて、アルヴェインが初めて覚えたことだった。
「食べる分と、次に植える分を分ける」
「なるほど」
「畑は、一度収穫して終わりじゃない」
アルヴェインは豆を一粒手に取った。
「また次を作るんだ」
トーマが首を傾げる。
「じゃあ、ずっと畑?」
「そういうことになるな」
「大変だね」
「大変だ」
アルヴェインは笑った。
「だが、嫌ではない」
◇
午後。
ミレアが簡単な料理を作った。
収穫した豆の一部を茹でる。
味付けは塩だけ。
それを三人で食べる。
「いただきます!」
トーマが一番に口へ運ぶ。
「……!」
「どうだ?」
「おいしい!」
ミレアも一つ食べる。
「うん。おいしいですね」
アルヴェインも食べてみた。
素朴な味だった。
特別な香辛料もない。
高級な料理でもない。
けれど――。
「……うまいな」
「でしょう?」
ミレアが笑う。
アルヴェインはもう一つ口に入れた。
王都で食べた料理とは、まったく違う。
なのに、こちらの方が心に残る。
「アルじいさん」
「なんだ?」
「来年はもっとたくさん作りましょうね」
「来年?」
「はい」
アルヴェインは少し考えた。
「……そうだな」
その言葉が、自然に出た。
以前なら、来年のことなど考えなかった。
引退したのだから、ただ静かに暮らせればいいと思っていた。
けれど今は。
来年も畑を作っている自分が、少しだけ想像できた。
◇
夕方。
アルヴェインは畑に戻った。
収穫した場所には、少しだけ空いたところがある。
まだ収穫していない豆も残っている。
別の畝では、次の野菜が育っている。
「……最初の収穫か」
アルヴェインは畑を見渡した。
荒れ地だった場所が、少しずつ畑になっている。
ほんの少しだけ。
けれど確実に。
「悪くない」
その時。
背後から足音がした。
振り返る。
ガルだった。
灰色の魔物が、いつものように畑の前まで歩いてくる。
「お前にも見せてやろう」
アルヴェインは収穫した豆を一粒差し出した。
ガルは匂いを嗅ぐ。
ぱくっ。
食べた。
「どうだ?」
ガルはもう一度、アルヴェインを見る。
そして尻尾を一度だけ振った。
「そうか」
アルヴェインは笑った。
「お前も気に入ったか」
夕日が畑を照らしている。
小さな籠の中には、今日初めて収穫した豆。
その横には、次のために残した種。
食べて終わりではない。
また植える。
また育てる。
そして、また収穫する。
それが農夫の暮らしなのだと、アルヴェインは少しずつ分かり始めていた。
かつて大賢者と呼ばれた男の人生で――
これほど小さな成果を、これほど嬉しく思ったことはなかった。




