第六話 畑に現れた魔物
翌朝。
アルヴェインは、目を覚ますなり外へ出た。
昨日の夜、土の表面に小さな亀裂を見つけた。
もしかすると。
そんな期待を抱いて、畑へ向かう。
「……」
最初の畝。
アルヴェインはしゃがみ込んだ。
そして、しばらく動かなかった。
「……出たな」
土の間から、小さな緑色の芽が顔を出している。
一つ。
その隣に、もう一つ。
さらに少し離れた場所にも。
昨日までは何もなかった土の上に、小さな命がいくつも顔を出していた。
「……」
アルヴェインは指先で土に触れた。
芽には触れない。
ただ、その周りの土をそっと確かめる。
「よく出てきたな」
誰に言うでもなく、呟いた。
その顔には、魔王を倒した時にも見せなかったような、穏やかな笑みが浮かんでいた。
◇
「アルじいさん!」
遠くから声がした。
ミレアだ。
「おはようございます!」
「おはよう」
「どうですか?」
ミレアは畑へ駆け寄る。
「……!」
芽を見つけた瞬間、顔が明るくなった。
「出てる!」
「ああ」
「本当に出てる!」
「そうだな」
「昨日まで何もなかったのに!」
「土の中では、昨日も何かが起きていたんだろう」
ミレアはしゃがみ込んだ。
「小さい……」
「踏まないようにな」
「分かってます」
ミレアは芽をじっと見つめた。
「なんだか、嬉しいですね」
「ああ」
アルヴェインも頷いた。
その時。
「芽、出た!?」
トーマが走ってきた。
「おい、走るな!」
「うわっ!」
トーマが急停止する。
靴の先が、畝からほんの少し離れたところで止まった。
「危なかった……」
「畑では走るな」
「ごめんなさい」
トーマはしゃがみ込んだ。
「これ?」
「ああ」
「これが豆になるの?」
「まだ芽だ」
「じゃあ、ここから豆になる?」
「ちゃんと育てばな」
「ちゃんと育てよう!」
トーマが拳を握った。
アルヴェインは笑った。
「そうだな」
◇
その日の午後。
アルヴェインは二本目の畝を整えていた。
芽が出たことで、畑への気持ちが少し変わっていた。
今までは「土地を耕している」という感覚だった。
今は違う。
ここには、守るものがある。
アルヴェインは土の状態を確かめる。
「少し乾いているな」
水を汲みに行く。
畝にゆっくり水をかける。
水が土へ染み込んでいく。
その様子を、トーマがじっと見ていた。
「アルじいさん」
「なんだ?」
「水、いっぱいあげればいいんじゃない?」
「多すぎても駄目だ」
「どうして?」
「根が息をできなくなる」
「根って息するの?」
「植物も生きているからな」
「へえ……」
トーマは真剣な顔で芽を見る。
「じゃあ、僕たちと同じなんだ」
「似ているところはある」
「じゃあ、大事にしないと」
「ああ」
アルヴェインは頷いた。
その時だった。
森の方から、低い唸り声が聞こえた。
アルヴェインが顔を上げる。
ミレアも振り返った。
「……また?」
木々の間から、灰色の魔物が現れた。
ガルだった。
昨日よりも足取りがしっかりしている。
傷も少し治っている。
「ガル!」
トーマが嬉しそうに叫ぶ。
ガルは畑の前まで来る。
しかし――。
昨日までとは様子が違った。
畑を見ている。
芽を見ている。
そして、鼻を動かした。
「……」
アルヴェインはすぐに気づいた。
「お前、これを食べたいのか?」
ガルの耳が動く。
「まだ駄目だ」
ガルが首を傾げる。
「これは食べるものになるまで、まだ時間がかかる」
ガルは畑を見る。
そして、ゆっくり前足を出した。
「待て」
アルヴェインの声が低くなる。
ガルが止まった。
「畑には入るな」
しばらく睨み合う。
ミレアが心配そうに見ている。
「アルじいさん、大丈夫ですか?」
「ああ」
アルヴェインはガルから目を離さない。
「こいつは分かる」
「分かる?」
「言葉は分からなくても、意味は分かる」
アルヴェインは畑を指差した。
「ここは駄目だ」
ガルはじっとアルヴェインを見る。
そして――。
前足を引いた。
「……よし」
アルヴェインは頷いた。
「賢いやつだ」
ガルはその場に座り込んだ。
「ただし」
アルヴェインは籠から干し肉を取り出した。
「こっちなら食べていい」
ガルの目が輝いた。
干し肉を投げる。
ガルは空中で咥えた。
「食べた!」
トーマが笑う。
ミレアも笑った。
「なんだか、本当に犬みたいですね」
「犬ではない」
「でも似てます」
「……否定はできんな」
◇
夕方。
ガルはまだ畑のそばにいた。
アルヴェインが家へ戻ろうとすると、ガルも立ち上がる。
「帰らないのか?」
ガルは森を見る。
そして畑を見る。
「……好きにしろ」
アルヴェインは家へ入った。
しばらくして、窓から外を見る。
ガルが畑の前で伏せている。
まるで見張っているようだった。
「番犬か」
アルヴェインは笑った。
もちろん、本人にそのつもりがあるのかは分からない。
だが、夜になってもガルは動かなかった。
◇
その夜。
村では小さな騒ぎが起きていた。
「森に魔物が出る?」
村長のガルドが顔を上げる。
報告に来た村人が頷く。
「ああ。最近、森の近くで見かけるんだ」
「大きさは?」
「狼くらいだ」
「人を襲ったか?」
「いや。今のところは」
ガルドは少し考えた。
「アルヴェインさんの土地に近いな」
「新しく来た老人のところですか?」
「ああ」
ガルドは窓の外を見る。
辺境の森。
夜の闇。
「一応、明日様子を見に行くか」
その頃。
当のアルヴェインは、そんなことなど知らずに眠っていた。
そして畑の前では、灰色の魔物が静かに夜を見張っている。
小さな芽が風に揺れる。
月明かりが畝を照らす。
アルヴェインが作った小さな畑。
そこには今、
育ち始めた豆と。
一人の老人と。
一匹の魔物がいた。
まだ誰も知らない。
この小さな魔物との出会いが、やがてアルヴェインの「余生」を大きく変えていくことを。




