第五十一話 秋風の向こうへ
古代龍との戦いが終わってから、しばらくの間。
村では、静かな復旧作業が続いていた。
崩れた水路を直す。
ひびの入った壁を補修する。
倒れた麦を起こし、傷んだ畑を整える。
誰かが号令をかけるわけでもない。
村人たちが、それぞれ自分にできることをしていた。
アルヴェインも同じだった。
「そこ、もう少し土を寄せてくれ」
「分かった」
ガルドの声に、アルヴェインが鍬を動かす。
昔なら。
魔法で一瞬だった。
今は、土を掘る。
汗をかく。
休む。
そして、また掘る。
「大賢者様が鍬を持っているとはな」
ガルドが笑う。
「大賢者は引退した」
「そうだったな」
「だから普通に働く」
「それが一番難しいんじゃないか?」
「そうかもしれないな」
アルヴェインは小さく笑った。
◇
数日後。
村の入口に、一台の馬車が止まった。
そこから降りてきたのは、見覚えのある少女だった。
「アルヴェインさん!」
「……エレナか」
王都へ戻っていたエレナが、再び村へやって来た。
王女としての身なりではある。
しかし、以前よりずっと村の空気に馴染んでいる。
「また来たのか」
「はい」
「研究は?」
「ちゃんとしています」
「そうか」
「だから来たんです」
エレナは胸を張る。
「研究者として、もう一度ここを見ておきたくて」
「古代龍の封印か?」
「それもあります」
エレナは少しだけ笑った。
「でも、それだけじゃありません」
「?」
「直接、聞きたいことがあるんです」
アルヴェインはエレナを見る。
「何だ?」
「七色の封縛について」
「……」
「王都では、いろいろな人が研究しています。でも、誰も最後のところが分からない」
「当然だ」
「当然?」
「俺にもまだ分からない」
エレナは驚いた顔をした。
「アルヴェインさんにも?」
「ああ」
「じゃあ、どうしてあんな封印を……」
「分からないことを考えるのが、魔法使いの仕事だろ」
エレナは少し黙る。
そして。
「……リディア先生も、同じことを言ってました」
アルヴェインは遠くを見る。
「そうか」
◇
昼。
エレナは畑にいた。
手には鍬。
「……」
黙々と土を耕している。
「アルヴェインさん」
「何だ?」
「私は王女ですよ」
「知っている」
「王宮魔導研究所の職員でもあります」
「それも知っている」
「なのに、どうしてまた鍬なんですか?」
アルヴェインは畑を見る。
「畑は待ってくれないからな」
「魔法でやればいいじゃないですか」
「それじゃ土の状態が分からない」
エレナは黙った。
「……なるほど」
「分かったか?」
「はい」
少しして。
「でも、やっぱり王女に鍬を持たせる人は、アルヴェインさんくらいだと思います」
「そうか?」
「そうです」
エレナは苦笑した。
だが。
以前よりも鍬の使い方は上手くなっていた。
「前より上達したな」
「本当ですか?」
「ああ」
「……少し嬉しいです」
◇
夕方。
二人は畑の端に座っていた。
「先生なら、どう思うでしょうね」
エレナが言った。
「誰が?」
「リディア先生です」
アルヴェインは少し考える。
「土の配合に文句を言うだろうな」
「やっぱり!」
エレナが笑った。
「先生、細かいところにうるさかったですから」
「ああ」
「アルヴェインさんもですけど」
「俺は細かくない」
「細かいです」
「そうか?」
「ものすごく」
二人の間に、穏やかな笑いが流れた。
やがてエレナは真面目な顔になる。
「私も、自分の魔法を作ります」
「そうしろ」
「先生の弟子だからじゃなくて」
エレナは北の山を見る。
「私自身の魔法を」
アルヴェインは頷いた。
「それでいい」
◇
翌朝。
エレナは王都へ戻ることになった。
村の入口。
「また来てもいいですか?」
「ああ」
「今度は畑仕事なしで」
「それは無理だ」
「どうしてですか!」
「畑は待ってくれない」
「……やっぱりですか」
エレナは諦めたように笑った。
「分かりました」
馬車に乗り込む。
そして、少しだけ振り返る。
「アルヴェインさん」
「何だ?」
「また来ます」
「ああ」
馬車がゆっくり動き出す。
アルヴェインは、その姿が見えなくなるまで立っていた。
◇
さらにしばらくして。
北の空から、巨大な影が近づいてきた。
「グラディオンだ」
アルヴェインが呟く。
黒い翼。
大きな身体。
村の外へ降り立つ。
「久しいな、アルヴェイン」
「会ったばかりだろ」
「細かいことを言うな」
グラディオンは笑う。
「北の山へ戻る」
「ああ」
「封印は安定している」
「そうか」
しばらく、二人は黙って山を見る。
グラディオンが村を振り返った。
麦畑。
家々。
宿兼酒場。
そして。
畑。
「……」
グラディオンの視線が、一角で止まる。
「何だ?」
アルヴェインが尋ねる。
「芋だ」
「そうだな」
グラディオンは満足そうに頷いた。
「この村は芋がうまい」
「……」
嫌な予感がする。
「収穫祭にでも顔を出す」
「やっぱり来るのか」
「当然だ」
「目的は?」
「村の様子を見る」
「芋を食べながら?」
「当然だ」
アルヴェインは呆れたように笑う。
「自分で掘れよ」
「それもいいな」
グラディオンは翼を広げた。
「では、またな」
「グラディオン」
「何だ?」
「芋は残しておく」
「うむ」
黒龍は満足そうに頷いた。
「では、収穫祭で会おう」
大きな翼が空を打つ。
風が畑を揺らす。
グラディオンは北の空へ飛び去っていった。
アルヴェインは、その姿をしばらく見送った。
◇
村は、少しずつ静かになった。
王都へ戻ったエレナ。
北の山へ戻ったグラディオン。
古代龍の脅威も、今は静まっている。
誰もが、それぞれの場所へ戻っていった。
アルヴェインも。
畑へ戻った。
鍬を手に取る。
土を掘る。
土を寄せる。
麦の根元を整える。
魔法は使わない。
必要がないからだ。
夕方。
宿兼酒場から、控えめな笑い声が聞こえる。
風が畑を渡っていく。
アルヴェインは手を止めた。
「……静かになったな」
誰に言うでもなく呟く。
それから。
ほんの少しだけ笑った。
この静けさを。
自分はずっと求めていたのかもしれない。
◇
季節が少しずつ進んでいく。
夏の暑さが遠ざかる。
麦畑の色が変わる。
朝の空気が冷たくなる。
村の木々の葉が、少しずつ色づき始める。
北の山にも。
秋の気配が近づいていた。
アルヴェインは畑に立っている。
手には、いつもの鍬。
遠くでは。
収穫祭の準備が静かに始まっていた。
今年の秋。
約束通り。
黒龍が戻ってくる。
王都からも。
エレナが来るかもしれない。
けれど。
アルヴェインは、もう急がない。
明日も畑がある。
明後日もある。
その先にも。
きっと、同じような朝が来る。
アルヴェインは空を見上げる。
夏の名残を残した空を。
そして。
ゆっくりと鍬を土へ入れた。
季節は。
静かに、秋へ向かっていた。




