第五十話 七色のその先
夜明け前。
北の山が、唸っていた。
地面が揺れる。
窓が震える。
宿兼酒場では、まだ眠っていた村人たちが次々に目を覚ましていた。
「何だ……?」
「地震か?」
誰かが外へ出る。
北の山。
その山頂を覆うように、巨大な魔力の渦が生まれていた。
七色の光が、夜空を切り裂いている。
そして。
――ピシッ。
何かが割れるような音が響いた。
アルヴェインは畑の中で顔を上げた。
「……来たか」
北の山。
七色の封縛に、亀裂が走っている。
十九年間、古代龍を閉じ込めてきた封印が。
今までにないほど大きく揺らいでいた。
◇
「アルヴェイン!」
ガルドが走ってくる。
「封印が!」
「ああ」
「どうする?」
アルヴェインは北の山を見つめる。
「まだだ」
「まだ?」
「待つ」
ガルドには意味が分からない。
だが、アルヴェインは動かなかった。
ただ魔力の流れを感じ取っている。
山から流れてくる古代龍の魔力。
大地を伝わる魔力。
七色の封縛を押し広げる力。
そして。
封印の内部で生まれている、わずかな反発。
「……もう少し」
アルヴェインは呟いた。
◇
王都。
魔導研究所では警報が鳴り響いていた。
「北方魔力、急上昇!」
「封印出力、低下!」
「このままでは危険です!」
研究員たちが慌ただしく動く。
エレナは魔力測定器を見つめていた。
「……違う」
「エレナ殿下?」
「もう一度、数値を確認してください」
「ですが、封印は確実に――」
「違います」
エレナは画面を指差した。
「確かに一度、出力が落ちています」
しかし。
「その直後……」
数字が跳ね上がっている。
「封印の一部が、逆に強くなっている」
研究員たちが息を呑む。
「どうして……?」
エレナは答えなかった。
もう一度、北の空を見る。
「……アルヴェインさん」
◇
村。
アルヴェインはようやく動いた。
「今だ」
杖を地面へ突き立てる。
――ゴォン。
村の外に巨大な魔法陣が広がった。
だが。
攻撃魔法ではない。
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
六つの属性が、それぞれ別々の場所に現れる。
それらを一本の魔力の線が繋いでいく。
六つの光が重なり始める。
「……」
アルヴェインは目を閉じた。
十九年前。
自分が作った術式。
七色の封縛。
未完成だった。
だから古代龍を討つことはできなかった。
封じることしかできなかった。
しかし。
今なら。
「グラディオン!」
「待っていたぞ!」
黒龍が翼を広げる。
巨大な魔力が集まる。
「これを使え!」
「少しだけだ」
「分かっている!」
グラディオンの黒い魔力が、魔法陣の外側へ流れ込む。
その瞬間。
北の山から、凄まじい魔力が押し寄せた。
「来るぞ!」
グラディオンが叫ぶ。
古代龍の魔力。
巨大な波となって、七色の封縛へ叩きつけられる。
――ドォォォン!
空が震えた。
封印の亀裂が一気に広がる。
村人たちが悲鳴を上げる。
「アルヴェイン!」
ガルドが叫ぶ。
「まだだ!」
アルヴェインは動かない。
六属性の魔力を繋ぐ。
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
そして。
そこへ。
古代龍の魔力が流れ込んだ。
普通なら。
そこで術式は壊れる。
しかし。
六属性の魔力は、それを拒まなかった。
受け止める。
流す。
循環させる。
古代龍の魔力が、六属性の間を巡っていく。
――ギィィィン。
七色の光が一気に強くなった。
「……!」
グラディオンが目を見開く。
「これは……」
アルヴェインは静かに魔力を送り続ける。
古代龍が力を込める。
封印が強くなる。
さらに古代龍が力を込める。
さらに封印が強くなる。
まるで。
敵の力そのものが、敵を閉じ込める鎖へ変わっていくようだった。
「アルヴェイン!」
「分かっている」
アルヴェインの額に汗が浮かぶ。
「このまま流せ」
グラディオンが黒龍の魔力を支える。
「任せろ!」
◇
北の山。
七色の封縛が、再び光を取り戻していく。
亀裂が止まった。
一つ。
また一つ。
そして。
広がっていた亀裂が、ゆっくりと閉じ始める。
古代龍の魔力が弱まったわけではない。
むしろ。
以前より強くなっている。
それでも。
封印は崩れなかった。
◇
王都。
「封印出力、上昇!」
「まだ上がっています!」
「古代龍の魔力も増えています!」
研究員たちが混乱する。
「そんな……」
エレナだけは、画面を見つめながら微笑んでいた。
「……そういうことだったんですね」
アルヴェインが何をしたのか。
すべては分からない。
けれど。
自分が村で見た現象。
研究所で確認した現象。
それらが一本につながった。
「アルヴェインさん……」
エレナは小さく呟いた。
◇
村。
魔法陣の光が、ゆっくり消えていく。
アルヴェインは杖を抜いた。
北の山は静かになっていた。
グラディオンが大きく息を吐く。
「……終わったのか?」
「いや」
アルヴェインは答えた。
「封じただけだ」
グラディオンが苦笑する。
「十九年前と同じだな」
「同じじゃない」
アルヴェインは北の山を見る。
「今回は、あいつが強くなるほど封印も強くなる」
「なるほど」
グラディオンが笑う。
「面白いことを考えたな」
「まだ完成とは言えない」
「それでも十分だ」
◇
しかし。
戦いの余波は村に残っていた。
畑では麦が一部倒れている。
家の壁にもひびが入っている。
水路の一部が崩れていた。
アルヴェインは黙って歩いていく。
まず。
家の壁を補修する。
土属性の魔法で、ひびを埋める。
次に水路。
崩れた土を戻す。
そして最後に。
畑へ向かう。
倒れた麦を一本ずつ起こしていく。
ミレアが隣に来た。
「大丈夫かな?」
「ああ」
「守れた?」
アルヴェインは麦を見る。
「全部じゃない」
「……」
「でも、大半は残った」
ミレアが笑う。
「じゃあ、守れたね」
アルヴェインも小さく笑った。
「ああ」
◇
もちろんです。第50話の終盤に、王都からの通信魔法具と、国王エドガーが「国王として」ではなく「友人として」アルヴェインへ送った手紙を加えると、二人の長い関係とアルヴェインが王都を離れた意味がより強くなります。
追加・修正版部分
朝。
空が明るくなる。
北の山には、もう巨大な魔力の渦はない。
七色の封縛は静かに輝いている。
かつての七色の封縛。
そして。
それを越えた、新しい封印。
まだ正式な名前はない。
完成したわけでもない。
だが。
十九年前に届かなかった場所へ。
アルヴェインは、ようやく手を伸ばすことができた。
◇
宿兼酒場。
朝食を終えたアルヴェインが外へ出ようとした時だった。
「アルヴェインさん!」
ミレアが声を上げた。
宿の入口に、小さな木箱が届いている。
「王都からだって」
「王都?」
アルヴェインが蓋を開ける。
中に入っていたのは、見慣れない魔法具だった。
手のひらほどの大きさの、銀色の通信魔法具。
中央には小さな魔石が埋め込まれている。
その隣には、一通の封書。
封蝋には王家の紋章が押されていた。
「……国王からか」
アルヴェインは封書を手に取る。
だが、封蝋を見た瞬間。
少しだけ表情が柔らかくなった。
「エドガーか」
封を切る。
中には、短い手紙が入っていた。
そこには、王としての格式ばった文章はなかった。
ただ、一人の男から、一人の友人へ向けた言葉が書かれていた。
アルヴェインへ。
王として書くなら、もっと長々とした文章にしなければならないのだろう。
だが、今日はやめておく。
お前が王都を去ってから、もう随分になるな。
あの頃のお前なら、今回のことも一人で片付けていたのだろう。
だが、今のお前は違う。
村の人たちと一緒に戦い、
畑を守り、
そして自分のやり方で古代龍と向き合っている。
それでいいと思う。
王としてではなく、
昔からのお前の友人として。
お前が帰る場所を、王都に用意するつもりはない。
その代わり、
お前が今いる場所を守るためなら、王国としてできることはする。
無理をするな。
そして、たまには王都にも顔を出せ。
友人より。
エドガー
アルヴェインは最後まで読み終える。
「……相変わらずだな」
ミレアが尋ねる。
「何て書いてあったの?」
「友達だから、無理するなってさ」
「いい人だね」
「ああ」
アルヴェインは手紙を折りたたむ。
昔。
自分が国王に引退を宣言した時。
エドガーは、その決断を止めなかった。
英雄としてではなく。
一人の人間として生きることを選んだアルヴェインを。
あの時も、そして今も。
友人として認めてくれている。
◇
その時。
銀色の通信魔法具が淡く光った。
――シュン。
魔石の中に、王都の景色が浮かぶ。
「アルヴェインさん!」
エレナの声だった。
「聞こえますか?」
「ああ」
「よかった!」
エレナが画面の向こうで笑う。
『新しい封印について、話を聞かせてください』
「……」
アルヴェインは少し考える。
ミレアが横から覗き込む。
「何て答えるの?」
アルヴェインは窓の外を見る。
畑。
村。
朝日に照らされた麦。
「まずは」
アルヴェインは通信魔法具へ答えた。
「畑仕事が終わってからだ」
『……もう!』
王都から、エレナの声が響いた。
ミレアが笑う。
アルヴェインも笑う。
その手には。
エドガーから届いた手紙がある。
王都から届いた通信魔法具もある。
かつて自分が捨てたと思っていた場所との繋がりは。
いつの間にか。
「戻れ」と命じるものではなく。
「ここにいていい」と認めてくれるものへ変わっていた。
アルヴェインは空を見上げる。
そして、静かに畑へ向かった。




