第四十七話 死者を呼ぶ山
朝。
村の上空を、一羽の鳥が飛んでいた。
いつもの朝だった。
麦畑には朝露が残り、宿兼酒場からは朝食の匂いが漂っている。
だが。
アルヴェインは、北の空を見ていた。
「……来たか」
黒い影が、山の向こうから近づいてくる。
翼。
巨大な角。
夜のように黒い鱗。
黒龍グラディオンだった。
大きな翼が風を巻き起こし、村の上空を通過する。
「久しいな、アルヴェイン!」
「つい昨日会っただろ」
「細かいことを言うな!」
グラディオンは村の外れへ降り立った。
地面が大きく揺れる。
村人たちが驚いて外へ出てくる。
「グラディオンさんだ!」
ミレアが声を上げた。
グラディオンは鼻を鳴らす。
「さん付けはやめろ。俺は黒龍だぞ」
「じゃあ、グラディオン!」
「うむ。それでいい」
アルヴェインは呆れたように笑った。
「巣に戻っていたんじゃなかったのか」
「ああ」
グラディオンは翼をたたむ。
「一度戻って力を蓄えていた」
「なぜ?」
「分かっているだろう」
グラディオンの目が北の山へ向く。
「古代龍が目覚めようとしている」
アルヴェインは黙って頷いた。
「だから長期戦に備えた」
「準備は?」
「十分だ」
グラディオンが笑う。
「今度は長く戦えるぞ」
「頼りにしている」
◇
その日の夜。
村の外れにある墓地。
月明かりの下。
地面から、青白い光が漏れていた。
誰も気づいていない。
光は少しずつ強くなる。
――ピシッ。
土の中から小さな音がした。
墓石の周囲に、黒い霧が集まる。
そして。
土が盛り上がった。
一本の腕が地面から伸びる。
青白い炎をまとった死霊だった。
一体。
また一体。
墓地のあちこちで、土が動き始める。
◇
「アルヴェイン!」
翌朝。
村人の叫び声が響いた。
「墓地がおかしい!」
アルヴェインが駆けつける。
ガルドも後ろから続く。
「これは……」
墓地には、青白い影がいくつも立っていた。
「死霊か」
「古代龍が呼び起こしたのか?」
ガルドが尋ねる。
アルヴェインは死霊を見つめる。
「違う」
「違う?」
「直接操っているわけじゃない」
アルヴェインは地面へ手をかざした。
地下を流れる魔力を探る。
「古代龍の魔力が、この辺りまで届いている」
「それで?」
「死者の残した魔力と共鳴している」
アルヴェインは立ち上がる。
「つまり、強すぎる魔力に死霊が反応しているんだ」
ガルドが顔をしかめる。
「ということは……」
「ああ」
アルヴェインは北を見る。
「封印が弱まるほど、死霊も増える」
◇
「みんな、下がれ!」
アルヴェインの声が響く。
村人たちが後退する。
死霊の一体が、ゆっくりと村の方へ向かってくる。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
アルヴェインは杖を構えた。
しかし。
大きな魔法陣は描かなかった。
「ミレア!」
「はい!」
「子供たちを宿へ!」
「分かった!」
ミレアが走る。
「ガルド!」
「任せろ!」
「村の入口を頼む」
「ああ!」
ガルドが村人たちを誘導する。
「アルヴェイン、お前は?」
「死霊の進路を変える」
「倒さないのか?」
「必要以上に魔力を使うと、逆に古代龍の魔力を刺激する」
アルヴェインは地面に小さな魔法陣を描く。
風が起きる。
死霊たちの進路が少しずつ変わる。
「こっちだ」
死霊が村ではなく、空き地へ向かっていく。
◇
その時。
空が暗くなった。
「おいおい」
グラディオンの声が響く。
「俺の出番ではないか」
「待て」
アルヴェインが叫ぶ。
「村を焼くなよ」
「分かっている!」
グラディオンが翼を広げる。
黒い炎が口元に集まる。
「グラディオン!」
「任せろ!」
黒炎が地面を走った。
しかし死霊そのものを焼くことはしない。
死霊の周囲を円状に焼き、古代龍の魔力が流れ込んでいる場所を遮断していく。
「……なるほど」
アルヴェインが呟く。
グラディオンは地面に黒い炎の壁を作った。
死霊たちはそれ以上、村へ近づけない。
「どうだ!」
「相変わらず派手だな」
「俺は黒龍だぞ!」
「村を焼くなよ」
「だから分かっていると言っている!」
アルヴェインは苦笑した。
◇
しばらくして。
死霊たちは一体ずつ消えていった。
村人たちが恐る恐る外へ出る。
「もう大丈夫なのか?」
「ああ」
アルヴェインが答える。
「今はな」
ミレアが墓地を見る。
「また出てくるの?」
「可能性はある」
「どうすればいいの?」
アルヴェインは少し考えた。
「死霊を倒すことだけを考えるんじゃない」
「え?」
「原因になっている魔力の流れを抑える」
それが今できる最善だった。
◇
同じ頃。
王都の魔導研究所。
エレナは魔力測定器を見つめていた。
「……死霊反応?」
北方から届いた魔力データに、異常な波形が現れている。
研究員が説明する。
「北の山周辺で、死霊の発生を確認しました」
「古代龍の魔力に反応しているんですね」
「おそらく」
エレナは考え込む。
「なら、直接攻撃するより……」
紙に術式を書き始める。
「共鳴を遮断すればいい」
研究員が驚く。
「古代龍の魔力との接続を?」
「はい」
エレナは村で使った分散型の術式を見る。
「完全には止められなくても、弱めることはできるかもしれません」
「それができれば、死霊の発生も抑えられる」
エレナは頷いた。
「すぐに実験します」
◇
夕方。
村の外れ。
アルヴェインとグラディオンが並んで北の山を見ていた。
「お前」
グラディオンが言う。
「本当に、もう戦わないつもりだったのか?」
「ああ」
「では、なぜ戦っている?」
アルヴェインは村を見る。
麦畑。
家。
宿兼酒場。
そこを歩く村人たち。
「戦っているんじゃない」
「では?」
「守っているだけだ」
グラディオンが黙る。
「昔のお前とは違うな」
「ああ」
「だが」
グラディオンは少し笑った。
「俺は今のお前のほうが好きだぞ」
「……そうか」
「昔のお前は、無茶ばかりしていたからな」
「お前に言われたくない」
「何だと?」
二人の間に、昔と変わらない空気が流れる。
だが。
その瞬間。
墓地から、再び青白い光が上がった。
◇
二人が振り返る。
消えたはずの死霊たちが、墓地の奥で再び姿を現している。
一体。
二体。
十体。
それ以上。
グラディオンの表情が変わる。
「……これは多いな」
「ああ」
アルヴェインは北の山を見る。
七色の封縛が揺らいでいる。
「まだ目覚めてはいない」
「だが?」
「近い」
地面が震える。
――ゴゴゴゴゴ……。
死霊たちが一斉に北を向いた。
まるで何かの声を聞いたかのように。
そして。
北の山から、低い咆哮が響く。
――グオオオオオオオ……。
村の墓地にいる死霊たちが、一斉に顔を上げる。
青白い炎が、同時に燃え上がった。
アルヴェインは杖を握る。
「……始まったな」
グラディオンが翼を広げる。
「久しぶりに、忙しくなりそうだ」
アルヴェインは北の山を見る。
その目に、かつての大賢者としての鋭さが一瞬だけ戻った。
だが。
すぐに村へ視線を戻す。
「まずは、ここを守る」
古代龍の魔力は、死者を呼び始めていた。
そしてそれは。
まだ、始まりに過ぎなかった。




