第四十六話 王都の決断
王都。
朝の鐘が鳴るより早く、王宮魔導研究所には明かりが灯っていた。
研究員たちが慌ただしく行き交っている。
その中央に、エレナは立っていた。
「北の山の魔力波形が、また変化しています」
研究員の一人が報告する。
「昨日よりも強いです」
「古代龍の封印は?」
「まだ維持されています。しかし……」
研究員は言葉を濁した。
「長くはないかもしれません」
エレナは黙って記録を見つめた。
その向こう。
王都から遥か北にある山。
そこには、十九年前にアルヴェインたちが封じた古代龍が眠っている。
「……アルヴェインさん」
エレナは小さく呟いた。
◇
王宮。
会議室には、国王をはじめ、宰相、魔導研究所の責任者、軍務を担当する者たちが集まっていた。
エレナも席についている。
「状況を説明してくれ」
国王が言った。
研究所の責任者が立ち上がる。
「北の山にある古代龍の封印が弱まっています」
室内がざわめく。
「七色の封縛は?」
「現在も機能しています。しかし、長期間の維持による術式劣化が確認されています」
宰相が尋ねる。
「修復は?」
「現時点では困難です」
「では、どうする?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて一人の高官が口を開く。
「大賢者アルヴェインを呼び戻すべきでしょう」
エレナの顔が険しくなる。
「アルヴェインさんを?」
「かつて魔王を倒した男です。古代龍の封印にも関わった。彼以上の適任者はいないでしょう」
「しかし」
エレナが立ち上がった。
「アルヴェインさんは、もう王国の魔導士ではありません」
「だが、国を救った英雄だ」
「違います」
エレナははっきり言った。
「今のアルヴェインさんは、辺境で暮らす一人の人です」
高官が眉をひそめる。
「だからこそ、国が呼び戻すべきなのです」
「それでは、十九年前と同じです」
エレナの声が響いた。
「必要になったから英雄を呼び戻す。それでは、本人が捨てたものを、また背負わせることになります」
室内が静かになる。
◇
国王がエレナを見る。
「では、お前はどうすべきだと思う?」
「支援してください」
「支援?」
「はい」
エレナは持ってきた資料を広げた。
「アルヴェインさんを王都へ呼び戻すのではなく、こちらから必要なものを送るんです」
資料には、村で行った実験の記録がある。
「魔力を一人の術者に集中させない」
エレナは説明する。
「複数の魔法具や魔力設備から少しずつ魔力を集め、封印を補助します」
「七色の封縛そのものを修復するのか?」
「いいえ」
エレナは首を振る。
「今のところは、劣化した部分を支えるだけです」
研究所の責任者が資料を見る。
「……理論としては成立する」
「村で実験もしました」
「成功したのか?」
「小規模ですが」
エレナは頷く。
「成功しています」
◇
国王はしばらく考えた。
「エレナ」
「はい」
「お前は、アルヴェインを信じているのか?」
「はい」
即答だった。
「なぜだ?」
「強いからではありません」
エレナは答える。
「自分ができることと、できないことを分かっている人だからです」
「……」
「昔のアルヴェインさんなら、一人で全部やろうとしたと思います」
エレナは少し笑う。
「でも今は違います」
「どう違う?」
「人に任せることを知っています」
国王は娘を見つめる。
「だから、私たちも同じようにするべきです」
◇
長い沈黙の後。
国王が決断した。
「分かった」
室内の全員が国王を見る。
「アルヴェインを強制的に呼び戻すことはしない」
エレナが顔を上げる。
「代わりに、北方地域への支援を開始する」
「陛下……」
「魔導研究所から封印補助用の魔法具を送る」
国王は続ける。
「技術者、治療師も派遣する。必要なら兵も送る」
「兵士は――」
エレナが口を挟む。
「村を守るために必要な人数だけでお願いします」
「分かっている」
国王が頷く。
「アルヴェインを再び戦場へ引きずり出すためではない」
「はい」
「北方に暮らす人々を守るためだ」
エレナは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
◇
その後。
王宮魔導研究所。
エレナは自分の術式を研究員たちに説明していた。
「ここを接続します」
「ですが、この魔力の流れでは逆流する可能性が――」
「そこで、この補助術式を使います」
「なるほど……」
研究員たちが次々に書き込んでいく。
「これなら、王都の魔力網にも接続できる」
「そうすれば北方まで魔力を送れる」
エレナは驚いた。
自分が村で考えた小さな仕組みが。
王都全体へ広がろうとしている。
「……すごい」
「エレナ殿下」
研究員が言った。
「これはあなたの発想です」
「私だけのものではありません」
エレナは首を振った。
「アルヴェインさんと、村のみんなが一緒に考えたものです」
そして。
「それに……」
エレナはリディアの古い研究ノートを見る。
「先生が残してくれたものもあります」
◇
一方。
北の村。
アルヴェインは畑にいた。
だが、空気が違う。
風が止まっている。
鳥の声もない。
ガルドが北を見た。
「……来るぞ」
「ああ」
山の奥から、低い地鳴りが響く。
――ゴゴゴゴゴ……。
村人たちが家から出てくる。
「アルヴェイン!」
「心配するな」
アルヴェインが手を上げる。
「今のところ、山から魔力が流れてきているだけだ」
「だけって……」
「まだ古代龍は目覚めていない」
そう言いながら、アルヴェインは村の周囲を見る。
家。
畑。
水路。
宿兼酒場。
子供たちが遊ぶ広場。
「……」
昔とは違う。
守るべきものが、目の前にある。
「村の北側に人を集めるな」
村人たちに指示を出す。
「夜間は外へ出ない」
「分かった」
「家の扉と窓は閉めておけ」
アルヴェインは村の周囲に小さな魔法陣を設置する。
巨大な結界ではない。
家の壁を少し強くする。
夜道を照らす。
危険な魔力を知らせる。
それだけだ。
「これでいい」
アルヴェインが呟く。
ガルドが笑う。
「ずいぶん小さな魔法になったな」
「必要な分だけでいい」
◇
夜。
王都。
エレナは研究所の窓から外を見ていた。
その時。
研究所の魔法具が一斉に光った。
「……!」
研究員たちが立ち上がる。
「北方から大規模な魔力波です!」
エレナが計測器を見る。
数値が跳ね上がっていく。
「これは……」
王都まで届いている。
エレナは北を見る。
「始まった……」
◇
同じ頃。
北の村。
アルヴェインが空を見上げていた。
北の山の上空に、巨大な魔力の渦が生まれている。
七色の光が、渦の中心へ吸い込まれていく。
ガルドが呟く。
「十九年か」
「ああ」
アルヴェインは静かに答えた。
「長かったな」
だが、その顔に恐怖はなかった。
「今度は、一人じゃない」
遠く王都では、エレナが同じ空を見上げている。
王都の魔法具が、北へ向けて淡い光を送り始める。
村では、人々が家を守る準備を始めている。
そして北の山では。
十九年間眠っていた古代龍が。
ゆっくりと。
その意識を取り戻し始めていた。




