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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第五部 大賢者、もう一度だけ

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第四十五話 王女の仕事


 朝。


 村の宿兼酒場に、見慣れない馬車が止まった。


 王家の紋章が刻まれている。


「王都から?」


 ミレアが窓から外を覗く。


 馬車から降りたのは、王宮の使者だった。


「エレナ・アストリア殿に、国王陛下からの急報です」


「私に?」


 エレナが受け取った封書を開く。


 読み進めるにつれて、その表情が変わっていった。


「……北の山の異変が、王都でも確認されたそうです」


 アルヴェインが尋ねる。


「帰還命令か?」


「はい」


 エレナは手紙を握りしめた。


「王女として国王陛下のもとへ戻ること。そして王宮魔導研究所で、七色の封縛について報告すること」


 しばらく沈黙する。


「……私は」


 エレナは北の山を見る。


「ここに残りたいです」


     ◇


 畑。


 アルヴェインはいつものように土を耕していた。


 エレナはその隣に立っている。


「アルヴェインさんなら、どうしますか?」


「何を?」


「私が帰るべきかどうか」


 アルヴェインは鍬を止めた。


「帰るべきなら帰れ」


「……簡単に言いますね」


「王女なんだろう?」


「はい」


「なら、王女としてできることがある」


 エレナは黙っている。


「昔の俺なら」


 アルヴェインが言った。


「自分一人で全部どうにかしようとした」


「……」


「でも、それじゃ駄目だった」


 アルヴェインは畑を見る。


「今は、自分の役割を果たせばいい」


「役割……」


「王女としてできることがあるなら、王女としてやればいい」


 エレナは顔を上げた。


「……分かりました」


     ◇


 宿兼酒場に戻る。


 エレナは机に王都への報告書を広げた。


「ただ帰るだけじゃありません」


 アルヴェインが見る。


「何をする?」


「七色の封縛について、王宮へ提案します」


「何を?」


「一人の大魔法使いだけに頼らない仕組みです」


 エレナは術式を広げる。


「魔導士だけではなく、各地の魔法具や魔力設備を利用して、少しずつ封印を支えるんです」


「……」


「この村で実験した方法を、王都でも応用します」


 アルヴェインは術式を見る。


「理屈は通っている」


「じゃあ」


「できるかどうかは王都次第だ」


 エレナは拳を握る。


「なら、私が説得します」


「王女だからか?」


「王女だからです」


 エレナははっきり答えた。


「そして、研究者だからです」


 アルヴェインが笑った。


「それでいい」


     ◇


 昼。


 エレナが王都へ戻ることが、村中に伝わった。


「もう帰っちゃうの?」


 ミレアが寂しそうに尋ねる。


「はい」


「畑は?」


「……」


 エレナは自分の曲がった畝を見る。


「もっと上手になってから帰りたかったんですけど」


「じゃあ、また来ればいいよ」


「そうですね」


 エレナは笑う。


「次に来る時までに、もっと上手になっておきます」


「約束ね」


「約束です」


     ◇


 出発の時間。


 エレナは荷物を馬車へ積み込んだ。


 アルヴェインは畑から戻ってきた。


「忘れ物は?」


「ありません」


「研究資料は?」


「あります」


「鍬は?」


「……」


 エレナが振り返る。


 畑に、自分が使っていた鍬が置かれている。


「持っていきませんよ」


「そうか」


「王都で畑仕事をするわけじゃないですから」


「そうだな」


 エレナが笑う。


「でも、また来たら貸してください」


「ああ」


     ◇


 馬車に乗る直前。


 エレナは振り返った。


「アルヴェインさん」


「何だ?」


「また会えますか?」


 アルヴェインは少し考えた。


「必要なら会うだろう」


「……」


 エレナが眉を寄せる。


「それ、会う気がない人の言い方ですよ」


「そうか?」


「そうです」


 アルヴェインは小さく笑った。


「なら、また来ればいい」


「はい!」


 エレナも笑った。


 馬車が動き始める。


 ミレアたちが手を振る。


「王女様ー!」


「また来てねー!」


 エレナも手を振り返す。


 やがて馬車は村を離れていった。


     ◇


「……行ったな」


 ガルドが隣に立った。


「ああ」


「寂しくないのか?」


「弟子が一人前になっていくのを、寂しがる師匠がいるか?」


 ガルドが吹き出す。


「お前、いつから師匠になった?」


「……さあな」


 アルヴェインは村の入口を見る。


 馬車はもう見えない。


 だが、不思議と寂しくはなかった。


 エレナはもう、自分で歩いていける。


 それでいい。


     ◇


 夕方。


 王都へ向かう馬車の中。


 エレナは一枚の紙を見つめていた。


 出発する直前。


 アルヴェインが渡してくれたものだ。


 そこには、七色の封縛の一部を簡略化した術式が描かれている。


 そして、その下に短い言葉。


 「続きを考えろ」


「……本当に、最後まで先生みたい」


 エレナは笑った。


 だが、すぐに表情を引き締める。


「分かりました」


 紙を胸元にしまう。


「私の魔法を、私のやり方で」


 馬車は王都へ向かって走り続ける。


     ◇


 同じ頃。


 村。


 アルヴェインは畑に戻っていた。


 夕暮れの麦を眺める。


「今日は静かだな」


 ガルドが言う。


「ああ」


 その瞬間だった。


 ――ゴォォォォン。


 遠くから地鳴りが響いた。


 村の家々が揺れる。


 鳥たちが一斉に飛び立った。


 アルヴェインが北を見る。


 山の向こう。


 七色の光が、一瞬だけ大きく膨らんだ。


 そして。


 これまでとは比べものにならないほど濃い魔力が、北の山から放たれる。


「……」


 アルヴェインの表情が変わった。


「アルヴェイン?」


 ガルドが尋ねる。


 アルヴェインは北の山を見つめたまま答えた。


「……来たか」


「何が?」


「本格的に、封印が動き始めた」


 風が止まった。


 畑の麦も、静かになった。


 アルヴェインは鍬を地面に立てる。


 そして北の山を見る。


 十九年前。


 自分たちが命を懸けて封じた存在。


 その眠りが。


 今、再び揺らぎ始めていた。


 だがアルヴェインは、まだ魔法を使わなかった。


「……まずは村を守る」


 そう呟いた。


 世界を救うためではない。


 ここにある暮らしを守るために。


 大賢者は、もう一度だけ。


 静かに戦いの準備を始めた。

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