第四十四話 受け継ぐ魔法
朝。
アルヴェインは畑の端で、麦の状態を確認していた。
「……」
昨日よりも土の魔力は安定している。
だが、北の山から流れてくる魔力そのものが消えたわけではない。
「アルヴェインさん!」
エレナの声が聞こえた。
振り返る。
エレナが一枚の紙を抱えて走ってくる。
「見てください!」
「朝から元気だな」
「これを見てください!」
エレナは紙を広げた。
そこには、七色の封縛を簡略化した術式が描かれている。
「昨日、考えたんです」
「……」
アルヴェインは紙を見る。
しばらく黙っている。
「どうですか?」
「考え方は悪くない」
「本当ですか?」
「ああ」
エレナの顔が明るくなる。
「ただし」
「やっぱり……」
「このままだと失敗する」
「どこがですか?」
アルヴェインは術式の中心を指差した。
「ここだ」
「中心?」
「お前は一人で七属性を制御しようとしている」
エレナが黙る。
「それじゃ、昔の俺と同じだ」
◇
「昔のアルヴェインさんと?」
「ああ」
アルヴェインは紙を返す。
「七色の封縛を作った時、俺も同じことを考えた」
「一人で?」
「一人で全部できれば、誰も危険な場所に立たなくて済むと思った」
エレナは黙って聞いている。
「だから自分一人で術式を完成させようとした」
「でも、完成しなかった」
「ああ」
アルヴェインは北の山を見る。
「古代龍を倒すこともできなかった」
「……」
「結果として、仲間と一緒に封じるしかなかった」
エレナは術式を見る。
「じゃあ……」
「お前も一人で完成させようとするな」
「でも、先生の研究を完成させたいんです」
アルヴェインは静かに首を振った。
「それは違う」
「え?」
「リディアの研究を完成させる必要はない」
エレナが顔を上げる。
「受け継ぐことと、同じものを完成させることは違う」
「……」
「お前がリディアと同じ魔法使いになる必要はない」
アルヴェインはエレナを見る。
「お前は、お前の魔法を使えばいい」
◇
エレナはしばらく黙っていた。
「私の魔法……」
「ああ」
「でも、私はまだ先生ほど強くありません」
「強さの話じゃない」
「じゃあ、何ですか?」
「どう使うかだ」
アルヴェインは畑を見る。
「見てみろ」
畑では、村人たちがそれぞれ仕事をしている。
土を耕す者。
水路を整える者。
麦を確認する者。
収穫した麦を運ぶ者。
「誰も一人で全部やっていない」
エレナはその光景を見る。
「……」
「魔法も同じだ」
アルヴェインは言った。
「一人ですべてをやる必要はない」
◇
昼。
エレナは村の水路を調べていた。
「この流れなら……」
魔力を測定する。
「北から来る魔力を、一度ここで分散させて……」
村人たちが水路を掘る。
「ここでいいか?」
「はい!」
「もっと深く?」
「あと少しだけお願いします!」
エレナが魔法を使う。
淡い光が水路へ流れる。
「今です!」
村人が土を動かす。
水の流れが変わった。
「成功!」
エレナが声を上げる。
アルヴェインが少し離れたところから見ていた。
「どうだ?」
「魔法だけで全部を動かすより、ずっと少ない魔力で済みました」
「そういうことだ」
「……これを七色の封縛に応用できるかもしれません」
「やってみろ」
「はい!」
エレナは目を輝かせた。
◇
夕方。
エレナは再び術式を書き直していた。
今度は中心に自分の魔力を集めない。
七つの属性を、それぞれ別の場所から補助できるようにする。
「火はここ」
書き込む。
「水はここ」
また書き込む。
「風と土は……」
何度も考える。
アルヴェインは口を挟まない。
ただ、見ている。
やがて。
「できました」
エレナが紙を差し出した。
「見てください」
アルヴェインが術式を見る。
長い沈黙。
「……これなら使える」
エレナの顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「ああ」
「やった!」
「ただし」
「まだあります?」
「完成じゃない」
「……」
エレナは笑った。
「じゃあ、一緒に完成させましょう」
アルヴェインが少し驚いた顔をする。
「俺と?」
「はい」
エレナは笑った。
「先生の弟子としてじゃなく、私自身の魔法として」
アルヴェインはしばらく黙っていた。
そして。
「ああ」
小さく頷いた。
◇
夜。
アルヴェインとガルドは、宿兼酒場で酒を飲んでいた。
「エレナ、ずいぶん張り切っているな」
「ああ」
「リディアに似ている」
「そうだな」
アルヴェインは酒を飲む。
「でも、少し違う」
「何が?」
「リディアは、自分で答えを見つけるまで絶対に諦めなかった」
「エレナも似たようなものだろ」
「そうだな」
アルヴェインは笑う。
「ただ、あいつは人を頼るのが上手かった」
ガルドが目を細める。
「……昔のお前とは逆だな」
「ああ」
しばらく沈黙が続く。
「俺は昔、強くなれば全部守れると思っていた」
「……」
「自分が全部背負えば、仲間を危険に晒さずに済むと思っていた」
アルヴェインは杯を見る。
「それが間違いだった」
ガルドが静かに言う。
「それがお前の一番の間違いだったな」
「分かっている」
「今は?」
アルヴェインは窓の外を見る。
村の明かり。
畑。
そして、その向こうの北の山。
「今は、誰かに任せることも覚えた」
◇
翌朝。
エレナは王都へ送る手紙を書いていた。
宛先は師、リディア。
筆を走らせる。
先生へ。
私は今、アルヴェインさんのところで魔法を学んでいます。
先生から教わったこととは、少し違う魔法です。
私は先生と同じ魔法使いにはなれないと思います。
でも、先生から受け継いだものを、私なりの形に変えていきたいと思います。
エレナは筆を止めた。
そして最後に書き加える。
魔法は、一人で完成させるものではない。
少しだけ、その意味が分かった気がします。
手紙を閉じる。
◇
その夜。
北の山。
古代龍の封印が、また揺らいだ。
――ゴゴゴゴ……。
七色の光の一部に、小さな亀裂が走る。
しかし。
村のあちこちに設置された小さな魔法具が淡く光った。
水路。
井戸。
畑の境界。
村人たちが使う生活用の魔法具。
エレナが考えた術式を応用し、それらから少しずつ魔力が流れ込んでいく。
小さな魔力。
ほんのわずかな力。
それでも。
七色の封縛を支える一部となった。
畑でその光を見ていたアルヴェインが、目を細める。
「……そういうことか」
かつて自分は、巨大な力で世界を救おうとした。
だが。
今、目の前にあるのは違う。
一人の力ではない。
村人たちの小さな力。
エレナの知恵。
そして、古い魔法を受け継ぎながら新しく変えていく意思。
アルヴェインは静かに笑った。
「悪くない」
北の山の七色の光が、少しだけ安定する。
その光を見ながら。
アルヴェインは初めて思った。
――もしかすると。
自分が昔できなかったことを。
今の時代の誰かが、成し遂げるのかもしれない。
そして、その中心にいるのは。
かつての仲間ではなく。
その弟子だった。




