第四十一話 王都からの使者
朝。
村の空は、久しぶりに穏やかだった。
北の山から地鳴りが聞こえた翌日とは思えないほど、風は静かで、畑の麦もゆっくりと揺れている。
アルヴェインは畑の端にしゃがみ、土を手に取った。
「……昨日よりはいいな」
「本当?」
ミレアが隣から覗き込む。
「ああ。七色の封縛で流れ込んでいた魔力を抑えたからな」
「じゃあ、もう大丈夫?」
「まだだ」
アルヴェインは北の山を見る。
「封印そのものが弱っている」
「……そうだったね」
ミレアの表情が曇る。
その時だった。
遠くから、馬の蹄の音が聞こえてきた。
パカッ、パカッ、パカッ。
「誰だろう?」
ミレアが道を見る。
村の入り口へ向かって、一台の馬車が近づいてくる。
馬車には王国の紋章が刻まれていた。
「……王都か」
アルヴェインが立ち上がった。
◇
村人たちが入り口へ集まった。
馬車から三人の男女が降りてくる。
先頭に立つのは、四十代ほどの男性。
王国の紋章が入った外套を身につけている。
「この村の代表者は?」
「俺だ」
アルヴェインが前へ出る。
男は一瞬、アルヴェインの顔を見た。
そして深々と頭を下げる。
「王国魔導院所属、エドガー・レインと申します」
「アルヴェインだ」
「……はい」
エドガーの目がわずかに揺れた。
その反応を、アルヴェインは見逃さなかった。
「何か?」
「いえ」
エドガーは姿勢を正す。
「北方山岳地帯で発生した大規模な魔力変動について、王国から調査命令を受けて参りました」
村人たちの間にざわめきが起きる。
「やっぱり王都にも分かったのか」
「魔力変動って、あの山のことか?」
ガルドが腕を組む。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
エドガーは北の山を見る。
「しかし、我々が把握したのは昨日の夜です」
「そうか」
アルヴェインは短く答えた。
◇
宿兼酒場。
王都から来た三人は、村人たちと少し離れた席に座っていた。
アルヴェイン。
ガルド。
ミレア。
カイルとリンもいる。
エドガーが書類を広げる。
「現在、王国では北方一帯の魔力変動を重大な異常として認識しています」
「古代龍か?」
アルヴェインが聞く。
エドガーの手が止まった。
「……ご存じなのですか?」
「昨日、確認した」
エドガーがアルヴェインを見る。
「やはり……」
隣にいた若い女性の研究者が口を開く。
「封印反応が一致しています」
アルヴェインが彼女を見る。
「七色の封縛か?」
「……!」
女性の顔色が変わる。
ガルドが眉をひそめる。
「そこまで王都が知っているのか?」
「記録に残っています」
エドガーが答えた。
「古代龍を封じた特殊封印術。その術式の開発者についても、王国の記録には――」
「その話はいい」
アルヴェインが遮った。
室内が静かになる。
「今必要なのは、古い名前じゃない」
アルヴェインは北の山を見る。
「今、何が起きているかだ」
エドガーはしばらくアルヴェインを見つめた。
「……承知しました」
◇
しばらくして。
エドガーは一枚の書状を取り出した。
「実は、もう一つございます」
「何だ?」
「王都からの正式な要請です」
アルヴェインが受け取る。
封蝋には王家の紋章。
アルヴェインは封を切った。
内容を読む。
そして。
「断る」
即答だった。
ミレアが驚く。
「まだ何も言われてないよ?」
「分かる」
「どうして?」
「こういう書状は、大体同じことが書いてある」
エドガーが苦笑した。
「……お察しの通りです」
アルヴェインは書状を置いた。
「王都へ来てほしい」
「はい」
「古代龍対策に協力してほしい」
「はい」
「そして、もう一度、国のために力を貸してほしい」
「その通りです」
アルヴェインはため息をついた。
「断る」
「アルヴェイン様」
「その呼び方もやめてくれ」
エドガーが驚く。
「では……」
「アルヴェインでいい」
「分かりました」
◇
宿の外。
ミレアがアルヴェインの隣を歩いていた。
「どうして断ったの?」
「王都へ戻る理由がないからだ」
「でも、古代龍が……」
「分かっている」
「世界が危ないかもしれないんでしょ?」
アルヴェインは足を止めた。
「そうだな」
「だったら――」
「ミレア」
アルヴェインは静かに言った。
「俺は一度、世界を救った」
「……」
「その結果、何が残ったと思う?」
ミレアは答えられない。
「戦争が終わった」
「うん」
「人々は助かった」
「うん」
「でも、俺自身は何も残らなかった」
アルヴェインは空を見る。
「英雄と呼ばれて、国に必要とされて、称えられて……」
少し笑う。
「そんなものを全部置いてきた」
「どうして?」
「疲れたんだ」
それだけだった。
ミレアは黙った。
「世界を救うことに?」
「違う」
アルヴェインは村を見る。
「世界を背負い続けることにだ」
◇
その日の夕方。
村の入り口で、エドガーたちが帰り支度をしていた。
「本当に、王都へ来られないのですか?」
「ああ」
「古代龍が目覚めれば、王国全体が危険になります」
「分かっている」
「ならば、なぜ……」
アルヴェインは答えた。
「俺が王都へ行ったところで、古代龍が消えるわけじゃない」
「ですが――」
「必要な情報は渡す」
アルヴェインは古代龍の封印位置、過去の状況、現在の魔力変動について説明した。
エドガーは必死に書き留める。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
「では、せめて一つだけ」
エドガーは顔を上げる。
「王都へ戻る気は、本当にないのですか?」
アルヴェインは少しだけ笑った。
「ない」
「なぜです?」
「ここが気に入っている」
後ろを見る。
畑。
家。
宿兼酒場。
村人たち。
「それだけだ」
◇
馬車が村を出ていく。
ミレアが見送る。
「行っちゃったね」
「ああ」
アルヴェインは畑へ戻る。
「アルじいさん」
「ん?」
「王都の人、アルじいさんを知ってたね」
「まあな」
「昔のこと、もっと聞いてもいい?」
アルヴェインは少し考える。
「そのうちな」
「約束?」
「ああ」
ミレアは笑った。
◇
その夜。
宿兼酒場では、王都から来た者たちが去ったことで、少しだけいつもの空気が戻っていた。
だが。
アルヴェインの家には、ガルドが来ていた。
「断ったな」
「ああ」
「王都からの要請を、あっさりと」
「昔も似たようなものを断った」
ガルドが笑う。
「お前らしい」
アルヴェインは酒を一口飲む。
「王都は、古代龍をどうするつもりだと思う?」
「討伐するだろうな」
「そうだろうな」
「お前は?」
アルヴェインは答えない。
北の山を見る。
「……まだ分からない」
「七色の封縛か?」
「ああ」
アルヴェインは静かに酒を置いた。
「昔の俺なら、すぐに山へ行っていた」
「今は?」
「今は、まず畑を見る」
ガルドが苦笑する。
「本当に変わったな」
「そうかもしれない」
その時。
遠くで、低い地鳴りが響いた。
――ゴゴゴゴ……。
二人は同時に北を見る。
アルヴェインの目が細くなる。
「王都も、もうすぐ本格的に動くな」
ガルドが頷く。
「ああ」
「……嫌な予感がする」
アルヴェインは立ち上がる。
窓の外。
北の山には、かすかな七色の光が浮かんでいた。
かつて世界を救った英雄を、もう一度戦場へ呼び戻そうとする者たち。
そして。
長い眠りから目覚めようとする古代龍。
アルヴェインは、静かに呟いた。
「俺はもう、英雄には戻らない」
けれど。
その言葉とは裏腹に。
過去の戦いは、少しずつ彼のもとへ戻り始めていた。




