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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第三部 忘れられた大賢者

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第二十八話 英雄になっていく男



 戦争が始まってから、長い年月が過ぎていた。


 アルヴェインは四十九歳になっていた。


 かつては若かった四人も、今ではそれぞれの顔に歳月が刻まれている。


 ラウルは髪に白いものが混じり始めていた。


 リディアは相変わらず眼鏡の奥から冷静に戦況を見つめている。


 そしてセレナは――。


「アル」


「なんだ?」


「また難しい顔してる」


「いつもだろ」


「そうね」


 セレナが笑った。


 その笑顔だけは、昔と変わらなかった。


 四人は王国軍の陣地にいた。


 目の前には、一枚の大きな地図が広げられている。


 魔王軍の勢力は、すでに大陸の西側へ追い詰められていた。


 残る主要拠点は一つ。


 魔王城。


「ここを落とせば、戦争は終わる」


 リディアが地図を指した。


「正確には、魔王を倒せば、だな」


 ラウルが訂正する。


「同じことでしょう」


「俺にはずいぶん違って聞こえるがな」


 アルヴェインは二人の会話を聞きながら、地図を眺めていた。


 魔王城までの道。


 そこを守る魔族。


 予想される魔力の流れ。


 すべてを頭の中で組み立てていく。


「……正面から行くしかないな」


 アルヴェインが言った。


「やっぱり?」


「ああ。迂回すると時間がかかりすぎる」


 ラウルが腕を組む。


「じゃあ、いよいよか」


「ああ」


 アルヴェインは静かに頷いた。


 いよいよ。


 長かった戦争の終わりが近づいていた。


     ◇


 その頃。


 王都では、一つの名前が盛んに語られていた。


「大賢者アルヴェイン」


 吟遊詩人が歌う。


 酒場では兵士たちが語る。


「一人で魔王軍の大隊を吹き飛ばしたらしい」


「いや、千人の兵士を救ったって話だぞ」


「魔王の魔法を一人で防いだとも聞いた」


 話は、人から人へ伝わるたびに大きくなっていった。


 事実もあれば、噂もある。


 そしていつしか。


「大賢者」だったアルヴェインは、


「英雄」


と呼ばれるようになっていた。


     ◇


「英雄、ねえ」


 アルヴェインは宿の窓から王都の街を眺めていた。


「嫌なの?」


 セレナが隣に立つ。


「嫌というか……」


「というか?」


「落ち着かない」


「ふふ」


「笑うなよ」


「だって、昔からそうじゃない」


「何が?」


「自分のことを大したことないみたいに言うところ」


 アルヴェインは苦笑した。


「俺は一人で戦ってるわけじゃないからな」


「そうね」


 セレナは頷く。


「ラウルもいる。リディアもいる。そして私もいる」


「ああ」


「だから、英雄なんて呼び方は四人で分ければいいのにね」


「それなら少しは楽だ」


 二人は窓の外を見る。


 王都には、勝利を願う人々があふれていた。


 子供たちが木の棒を振り回している。


「大賢者アルヴェインだ!」


「魔王をやっつけろ!」


 その声が、遠くから聞こえてきた。


 アルヴェインは少しだけ目を細めた。


「……あの子たちが、大人になった頃には」


「うん?」


「戦争なんて知らない世界になってるといいな」


 セレナは答えなかった。


 ただ、静かに微笑んだ。


     ◇


 翌日。


 王国軍の最高司令部から、正式な命令が下された。


 魔王城への総攻撃。


 最終決戦だった。


 ラウルが命令書を読み終える。


「とうとう来たな」


「そうね」


 リディアが言う。


「これで終わる」


 アルヴェインは黙っていた。


「アル?」


 セレナが呼ぶ。


「……ああ」


 アルヴェインは顔を上げた。


「終わらせよう」


 三人が頷く。


     ◇


 夜。


 出発を翌朝に控えた四人は、焚き火を囲んでいた。


 ラウルは剣の手入れをしている。


 リディアは魔法具を確認している。


 アルヴェインは炎を眺めていた。


 セレナが隣に座る。


「アル」


「ん?」


「戦争が終わったら」


 アルヴェインはセレナを見る。


「何をする?」


「……また、その話か」


「だって、前に答えてくれなかったもの」


 アルヴェインは考えた。


 長い間、戦ってきた。


 魔王軍と戦い。


 仲間を守り。


 国を守り。


 多くの人を救ってきた。


 けれど。


 戦争が終わった後のことなど、一度も考えたことがなかった。


「……分からないな」


「本当に?」


「ああ」


「じゃあ、考えておいて」


 セレナが笑う。


「戦わなくていい日が来たら、何をしたいのか」


 アルヴェインは炎を見る。


「そんな日が、本当に来るかな」


「来るわよ」


 セレナは迷いなく答えた。


「だって、私たちが終わらせるんでしょう?」


 アルヴェインは少しだけ笑った。


「ああ」


「じゃあ、そのときに教えて」


「分かった」


「約束よ」


「ああ。約束する」


     ◇


 翌朝。


 まだ空が明るくなる前。


 四人は王国軍の陣地を出発した。


 魔王城へ続く道には、冷たい風が吹いていた。


 兵士たちが並んでいる。


 誰も大きな声を出さない。


 これが最後の戦いになる。


 皆が分かっていた。


 アルヴェインは歩きながら、後ろを振り返った。


 そこには、これまで共に戦ってきた兵士たちがいる。


 名前を知っている者。


 知らない者。


 もう帰ってこなかった者。


 そのすべてが、彼の記憶の中に残っていた。


「アル」


 ラウルが呼ぶ。


「どうした?」


「行くぞ」


「ああ」


 アルヴェインは前を向いた。


     ◇


 昼を過ぎた頃。


 魔王城が見えてきた。


 黒い城壁。


 空を覆う黒い雲。


 その奥から、巨大な魔力が感じられる。


 リディアが立ち止まった。


「……いる」


 アルヴェインも感じていた。


「魔王か」


「ええ」


 ラウルが剣を抜く。


「ここまで来たんだ」


 セレナも杖を握った。


「帰るんでしょう?」


「ああ」


 アルヴェインが答える。


「四人でな」


 四人は魔王城を見上げた。


 まだ戦いは始まっていない。


 しかし。


 長い戦争の最後の扉は、もう目の前だった。


     ◇


 その夜。


 アルヴェインは一人で外に出た。


 星は見えない。


 黒い雲に覆われている。


「……戦わなくていい日、か」


 セレナの言葉を思い出す。


 その日が来たら、自分は何をするのだろう。


 畑でも作るのだろうか。


 どこか静かな場所で暮らすのだろうか。


 そんなことを考えた自分が、少し可笑しかった。


「俺が農夫か……」


 小さく笑う。


 その背後から声がした。


「何笑ってるんだ?」


 ラウルだった。


「別に」


「明日は魔王と戦うんだぞ」


「ああ」


「緊張して眠れないのか?」


「お前こそ」


「俺はいつでも眠れる」


「嘘つけ」


 二人は小さく笑った。


 やがてラウルが真顔になる。


「アル」


「なんだ?」


「明日、必ず帰ろう」


 アルヴェインは少しだけ黙った。


 そして、


「ああ」


と答えた。


「必ずな」


     ◇


 魔王城の門が、ゆっくりと開いた。


 四人はその前に立つ。


 アルヴェインが杖を握る。


 ラウルが剣を構える。


 リディアが魔法陣を展開する。


 セレナが静かに息を吐く。


「行こう」


 アルヴェインが言った。


 三人が頷く。


 四人は、魔王城の中へ歩き出した。


 その先に待つものを、まだ誰も知らない。


 そしてこの日が。


 四人で過ごす最後の日になることも――。


 まだ、誰も知らなかった。

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