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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第三部 忘れられた大賢者

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第二十五話 大賢者と呼ばれる日



 朝。


 アルヴェインは、畑の土を手のひらに乗せていた。


 指先で軽く崩してみる。


「……悪くない」


 昨日より土が柔らかい。


 雨の量も、ちょうどよかったらしい。


「アルじいさん、おはよう」


 ミレアが畑へ入ってくる。


「ああ。おはよう」


「今日は何するの?」


「豆の支柱を直す」


「分かった」


 ミレアが木の支柱を集め始める。


 少し離れたところでは、カイルが木剣を振っていた。


「せいっ!」


 振り下ろす。


 もう一度。


「せいっ!」


 アルヴェインは手を止め、カイルを見る。


「カイル」


「はい!」


「肩に力が入っている」


「……またですか?」


「ああ」


 カイルは苦笑する。


「どうしても力が入っちゃうんですよ」


「剣を振ることばかり考えるからだ」


「じゃあ、何を考えれば?」


「相手を見る」


「相手?」


「足、肩、呼吸。動く前には、何かが動く」


 カイルは真剣な顔になった。


「分かりました」


 アルヴェインは頷く。


「それと、今日はもう十分だ」


「まだできます!」


「明日もある」


「……はい」


 カイルは渋々木剣を置いた。


 ミレアが笑う。


「カイル、最近ずいぶん真面目ね」


「強くなりたいからな」


 アルヴェインは二人を見て、少しだけ笑った。


 昔。


 自分も同じだった。


 強くなれば、もっと多くの人を助けられる。


 そう思っていた。


 だが、強くなった先に何が待っているのか。


 あの頃の自分は、まだ知らなかった。


     ◇


 数十年前。


 戦場から数週間が経っていた。


 王国軍の野営地。


 アルヴェインたち四人は、次の戦場へ向かう準備をしていた。


「アルヴェイン」


 見知らぬ魔法士が声をかけてきた。


「何だ?」


「少し話せるか?」


「ああ」


 二人で少し離れた場所へ移動する。


 魔法士はアルヴェインを見る。


「先日の戦いだ」


「……ああ」


「あの時、お前が作った退路で何人もの兵士が助かった」


「そうか」


「それだけじゃない」


 魔法士は続ける。


「敵の動きを読む判断力。地形を利用した魔法。魔力の使い方も異常に効率がいい」


「そうか?」


「自覚がないのか?」


「ないな」


 魔法士は呆れたように息を吐いた。


「お前は、ただの魔法使いじゃない」


 アルヴェインは首を傾げる。


「じゃあ何だ?」


 魔法士は少し考えた。


 そして。


「……大賢者」


 その言葉が、初めてアルヴェインへ向けられた。


「大賢者?」


「ああ」


「大げさだな」


「大げさじゃない」


 魔法士は真剣だった。


「お前の魔法は、ただ強いだけじゃない。戦場そのものを理解している」


「俺は魔法を使っているだけだ」


「それが普通じゃないと言っているんだ」


 アルヴェインは困ったように頭を掻いた。


「面倒な名前だな」


「名前の問題じゃない」


「俺には同じだ」


 そう言って、アルヴェインはその場を離れた。


     ◇


「大賢者だって?」


 その話を聞いたラウルは、目を輝かせた。


「いいじゃないか!」


「何が?」


「大賢者だぞ!」


「いらない」


「なんでだよ!」


 ラウルが笑う。


「格好いいじゃないか」


「俺は別に、格好よくなりたいわけじゃない」


「じゃあ、何になりたい?」


 アルヴェインは少し考えた。


「……まだ分からない」


 ラウルが首を傾げる。


「変な奴だな、お前」


「お互い様だ」


 そこへセレナがやってきた。


「何の話?」


「アルが大賢者って呼ばれた」


「へえ」


 セレナはアルヴェインを見る。


「似合ってるじゃない」


「そうか?」


「うん」


「俺はいらない」


「でも、そう呼ばれるのは仕方ないかもね」


「どうして?」


 セレナは少しだけ笑った。


「だって、アルが助けた人たちにとっては、それくらい大きな存在なんでしょう?」


 アルヴェインは答えなかった。


 セレナは続ける。


「名前って、自分で決めるものだけじゃないから」


「……」


「誰かが付けてくれることもある」


 アルヴェインは遠くを見る。


「俺はただ、助けただけだ」


「そうね」


 セレナは頷く。


「でも、それで救われた人がいる」


     ◇


 その日の夜。


 リディアがアルヴェインの隣に座った。


「あなた、魔法の使い方が変わったわね」


「そうか?」


「ええ」


「どこが?」


「昔は、力で押し切ろうとするところがあった」


「……否定できないな」


「今は違う」


 リディアは戦場の地図を見る。


「敵を倒すことより、味方を生かすことを考えている」


 アルヴェインは黙った。


「戦場で覚えたの?」


「ああ」


「なら、いい変化ね」


「そうか」


「ええ」


 リディアは少し笑った。


「ただし」


「何だ?」


「そのせいで、ますます目立つでしょうね」


「……それは困る」


     ◇


 それからだった。


 アルヴェインの名が、少しずつ広がっていった。


 戦場で助けられた兵士。


 彼の魔法を見た魔法士。


 共に戦った騎士。


 噂は人から人へ伝わる。


「大賢者と呼ばれている魔法使いがいる」


「若いのに、とんでもない魔法を使うらしい」


「いや、魔法より判断力がすごいそうだ」


「四人組の一人だろ?」


 アルヴェインは、そんな噂を気にしなかった。


 ただ、次の戦場へ向かった。


 目の前に助けを求める人がいれば助ける。


 敵が来れば戦う。


 それだけだった。


 しかし。


 小さな呼び名は、やがて大きな名前へと変わっていく。


 この時のアルヴェインは、まだ知らなかった。


 自分がいつか、


 「大賢者アルヴェイン」


 と呼ばれるようになることを。


     ◇


 ――現在。


 夕方。


 畑では、ミレアが支柱を立てていた。


「アルじいさん、これでいい?」


「ああ。少し傾いている」


「え?」


「右に二センチ」


「そんなの分かるの?」


「見れば分かる」


 ミレアは支柱を直す。


「こう?」


「今度はいい」


「アルじいさんって、昔のことあんまり話さないよね」


 アルヴェインの手が、一瞬止まった。


「そうか?」


「うん」


「話すほどのことでもないからな」


「でも、昔は魔法を使ってたんでしょう?」


「ああ」


「今よりたくさん?」


「ずっとな」


 ミレアは少し笑った。


「じゃあ、今は魔法より畑のほうが好き?」


 アルヴェインは畑を見る。


 芽を出した野菜。


 風に揺れる葉。


 土の匂い。


「そうだな」


 少し考えてから答えた。


「畑のほうが難しい」


「魔法より?」


「ああ」


 ミレアには、その理由がよく分からなかった。


 けれど、アルヴェインが楽しそうなので、それ以上は聞かなかった。


     ◇


 夜。


 アルヴェインは納屋にいた。


 古い木箱を開く。


 そこには、かつて使っていた杖がある。


 手に取る。


「……大賢者、か」


 遠い昔。


 初めてそう呼ばれた日のこと。


 ラウルの笑い声。


 リディアの冷静な声。


 セレナの笑顔。


 アルヴェインは目を閉じる。


 あの頃は。


 ただ戦争を終わらせたかった。


 ただ、目の前の人を助けたかった。


 それだけだった。


 なのに。


 気がつけば、人々は自分を特別な存在として見るようになった。


「……名前なんて、畑には関係ない」


 アルヴェインは杖を木箱へ戻した。


 蓋を閉める。


 外から足音が聞こえた。


 ガルだった。


「どうした?」


 ガルはアルヴェインを見る。


 しばらくすると、納屋の入口に座った。


「……そうか」


 アルヴェインは小さく笑った。


「お前も覚えてるんだな」


 ガルは黙ったまま、尻尾を一度だけ振った。


 アルヴェインは納屋の外を見る。


 星空が広がっている。


「昔は、こんな夜も戦場だった」


 しばらく沈黙する。


「今は静かだ」


 アルヴェインは笑った。


「俺は、こっちのほうが好きだよ」


 ガルは何も言わない。


 ただ、アルヴェインの隣にいた。


 そして夜は静かに更けていった。

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