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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第三部 忘れられた大賢者

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第二十四話 戦場へ



 朝。


 アルヴェインは畑の端にしゃがみ込み、土を指でほぐしていた。


「……少し固いな」


 昨日の水やりの量を思い出す。


 もう少し土を柔らかくしたほうがいい。


「アルじいさん」


 ミレアが声をかける。


「なんだ?」


「今日は何をするの?」


「畝を少し直す」


「分かった」


 ミレアが鍬を持つ。


 その少し離れたところでは、カイルが木剣を振っていた。


「せいっ!」


 振り下ろす。


 もう一度。


「せいっ!」


 アルヴェインはしばらく見ていた。


「カイル」


「はい!」


「力が入りすぎている」


「え?」


「肩だ」


 アルヴェインが自分の肩を指す。


「剣を振る前に、相手を見ろ」


「相手を?」


「ああ」


「でも、剣を振ることに集中しないと……」


「だから遅れる」


 カイルが木剣を構え直す。


 アルヴェインは続けた。


「相手を見る。足を見る。肩を見る。呼吸を見る」


「……」


「動く前には、必ず何かが動く」


 カイルが目を見開いた。


「そこまで分かるんですか?」


「長く生きていればな」


 アルヴェインはそれだけ言った。


 カイルは木剣を握り直す。


「やってみます」


「無理はするな」


「はい!」


 アルヴェインは畑へ戻った。


 その姿は、どこにでもいる穏やかな老人だった。


 だが。


 その観察眼は、数十年前の戦場で磨かれたものだった。


     ◇


 数十年前。


 王国軍の野営地。


 無数の天幕が並んでいる。


 兵士たちが武器を整え、馬が鳴き、命令が飛び交っていた。


 若きアルヴェインは、その中に立っていた。


「……すごい人数だな」


 ラウルが呟く。


「私たちの旅とは規模が違うわね」


 リディアが地図を広げる。


「ここから北に三つの部隊。東に二つ」


「そんなにいるのか?」


 ラウルが驚く。


「魔王軍も同じくらい来るでしょうね」


 セレナがアルヴェインを見る。


「アル?」


「何だ?」


「静かね」


「考えている」


「何を?」


「敵がどこから来るのか」


 アルヴェインは遠くを見る。


 地平線。


 まだ何も見えない。


 それでも、胸の奥には妙な重さがあった。


 これまでの旅で戦った魔物とは違う。


 今回は軍隊だ。


 数え切れないほどの敵が来る。


「アル」


 セレナがもう一度呼ぶ。


「怖い?」


 アルヴェインは少し考えた。


「……少し」


 セレナは笑った。


「よかった」


「何が?」


「アルも普通の人なんだって分かったから」


「失礼だな」


「ごめんごめん」


 セレナは笑いながら前を見る。


「私も怖いわ」


 ラウルが横から言った。


「俺は怖くないぞ」


「嘘」


 リディアが即答する。


「……少しだけだ」


「ほら」


 四人の間に笑いが起きる。


 その時だった。


 ――ゴーン。


 遠くで鐘が鳴った。


 兵士たちが一斉に立ち上がる。


「来たぞ!」


 叫び声。


「敵襲!」


 空気が変わった。


     ◇


 地平線の向こう。


 黒い影が広がっていた。


 魔族の軍勢。


 旗が揺れている。


 兵士たちが武器を構える。


 ラウルが剣を抜いた。


「……これが戦争か」


 アルヴェインは黙って敵を見る。


 数。


 配置。


 地形。


 風向き。


 すべてが頭に入ってくる。


 怖い。


 だが、それ以上に。


 考えなければならなかった。


「ラウル」


「なんだ?」


「左翼が少し薄い」


「分かるのか?」


「ああ」


 アルヴェインは指を向ける。


「あそこを狙ってくる」


「どうして?」


「敵の旗が少しだけ左に寄っている」


 リディアが目を細める。


「……本当だわ」


「なら、どうする?」


 ラウルが尋ねる。


「俺たちは左へ行く」


 アルヴェインが答えた。


     ◇


 戦闘が始まった。


 魔族の軍勢が一気に押し寄せる。


「来るぞ!」


 ラウルが前へ出る。


 剣が閃く。


 リディアが魔法を放つ。


 セレナは負傷者のもとへ走る。


 アルヴェインは全体を見る。


「ラウル、三歩下がれ!」


「分かった!」


 直後。


 魔族の攻撃がラウルのいた場所を貫く。


「助かった!」


「右!」


 ラウルが振り向く。


 敵が迫っている。


 アルヴェインの魔法が走った。


 敵の足元の土が盛り上がり、動きを止める。


「今だ!」


 ラウルが斬り込む。


「リディア!」


「分かってる!」


 巨大な魔法が敵陣を押し返す。


「セレナ、後ろ!」


「任せて!」


 セレナが負傷した兵士を治療する。


 四人の動きは、初めて戦った時とは比べものにならなかった。


 しかし。


「まずい!」


 遠くで兵士が叫んだ。


 王国軍の一部が敵に囲まれている。


「孤立した!」


 ラウルが言う。


「援軍を!」


 誰かが叫ぶ。


 だが、援軍が間に合わない。


 アルヴェインは地形を見る。


 丘。


 谷。


 川。


 そして敵の位置。


「……道を作る」


「何を?」


 リディアが聞く。


「俺がやる」


 アルヴェインは杖を構えた。


 巨大な破壊魔法ではない。


 大地へ魔力を流す。


 地面が揺れた。


 土が盛り上がる。


 敵軍の一部が押し分けられ、孤立した兵士たちとの間に一本の通路が生まれた。


「今だ!」


 アルヴェインが叫ぶ。


「走れ!」


 兵士たちが一斉に駆け出す。


 敵の包囲を抜ける。


 ラウルたちも援護する。


 やがて。


 孤立していた兵士たちが戻ってきた。


「助かった……」


「誰がやったんだ?」


「分からない」


「魔法使いだ!」


 声が広がっていく。


 アルヴェインは杖を下ろした。


「……これでいい」


 しかし。


 戦場はまだ終わっていなかった。


     ◇


 長い戦いの末。


 魔王軍が撤退した。


 王国軍の勝利だった。


 兵士たちから歓声が上がる。


「勝ったぞ!」


「追い払った!」


「俺たちの勝ちだ!」


 ラウルも息を切らしながら笑う。


「やったな!」


 リディアも頷く。


「ええ」


 セレナは負傷者の治療を続けている。


 アルヴェインは周囲を見ていた。


 倒れた兵士。


 壊れた武器。


 焼けた地面。


 勝利したはずなのに。


 喜べなかった。


「アル」


 セレナが隣に来る。


「どうしたの?」


「……勝った」


「うん」


「でも」


 アルヴェインは倒れた兵士を見る。


「もっと助けられたんじゃないかと思う」


 セレナは黙った。


「たぶん、そう思えるうちは大丈夫よ」


「何が?」


「まだ、人を見てるから」


 アルヴェインはセレナを見る。


 セレナは穏やかに笑った。


「勝つことだけ考えるようになったら、たぶん駄目」


「……そうだな」


     ◇


 戦いの後。


 兵士たちの間で、噂が広がり始めた。


「変わった魔法使いがいた」


「敵の動きを先に読んでいたぞ」


「地面を動かして退路を作った」


「あいつがいなければ、あの部隊は全滅していた」


 アルヴェインは、その噂を聞いても興味を示さなかった。


「目立ちたくないんだがな」


 小さく呟く。


「無理じゃない?」


 セレナが笑う。


「どうして?」


「アルが普通じゃないから」


「普通だ」


「どこが?」


「魔法が使える」


「それだけ?」


「それだけだ」


 セレナは笑った。


     ◇


 ――現在。


 夕方。


 カイルは畑の隅で木剣を振っていた。


「……こうか」


 肩の力を抜く。


 アルヴェインに言われた通り、相手を見る。


「少しは良くなったな」


 アルヴェインが声をかける。


「本当ですか?」


「ああ」


「ありがとうございます!」


 カイルは嬉しそうに笑った。


 ミレアがそれを見ていた。


「カイル、最近ずいぶん真面目ね」


「強くなりたいからな」


 アルヴェインは黙って二人を見る。


 昔の自分も。


 強くなりたいと思っていた。


 だが。


 強くなった先に何が待っているのか。


 あの頃は知らなかった。


     ◇


 夜。


 アルヴェインは一人、納屋にいた。


 古い杖を手に取る。


 初めて大きな戦場に立った日のことを思い出す。


 あの日。


 自分はただ、目の前の人を助けたかった。


 それだけだった。


「……何もしてない、か」


 昼間のセレナとの会話を思い出す。


 アルヴェインは苦笑した。


 けれど。


 その小さな評判は。


 やがて王国中へ広がっていく。


 そして、彼の名前に一つの言葉が付けられることになる。


 ――大賢者。


 まだ。


 その呼び名を、アルヴェイン自身は知らない。


 ただ静かに杖を木箱へ戻した。


 そして翌朝の畑のことを考えながら、納屋を出た。

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