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名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第二部 畑の隣に人が増える

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第十七話 冒険者、畑を手伝う



 翌朝。


 アルヴェインが畑に出ると、納屋の前にカイルが立っていた。


「おはようございます!」


「ああ。早いな」


「昨日、泊めてもらったお礼に、何か手伝おうと思って」


 アルヴェインは鍬を持ったまま、カイルを見る。


「冒険者だろう?」


「はい」


「なら、森へ行く準備でもしておけ」


「調査は午後からなんです」


「そうか」


 アルヴェインは畑を見渡した。


 そして、少し離れた場所を指差す。


「じゃあ、そこを耕してくれ」


「任せてください!」


 カイルは鍬を受け取った。


「こういうの、得意なんですよ」


「そうか」


「剣を振るのと似てますから」


 アルヴェインが少しだけ眉を上げた。


「……似てないぞ」


     ◇


「おりゃ!」


 ザクッ!


 土が大きく飛んだ。


「どうです?」


「もう少し力を抜け」


「はい!」


「鍬を振り上げすぎるな」


「はい!」


「足の位置を変えろ」


「はい!」


 ザクッ!


 今度は鍬が土に深く刺さった。


 カイルが抜こうとする。


「……抜けない」


「力任せにするな」


「でも刺さってますよ?」


「だからだ」


 アルヴェインが近づく。


「少し横へ倒せ」


 カイルが言われた通りにする。


 鍬がするりと抜けた。


「おお!」


「土に入った鍬を、正面から引っ張る必要はない」


「なるほど……」


「道具がどう動きたいかを見るんだ」


 カイルは鍬を見る。


「道具が……どう動きたいか?」


「ああ」


「鍬って、そんなこと考えてるんですか?」


「お前よりは素直だ」


「ひどい!」


 少し離れたところで、ミレアが笑っている。


「カイルさん、頑張ってください!」


「ミレアさん、笑ってないで助けてください!」


「私はもうアルじいさんに教えてもらいましたから」


 トーマも隣で鍬を持っている。


「カイル兄ちゃん、下手!」


「トーマ!」


「本当のことだよ?」


「子供は容赦ないな……」


 畑の入口では、ガルが伏せている。


 朱色の瞳だけが、みんなの動きを追っていた。


     ◇


 しばらくして。


 カイルは額の汗を拭った。


「……疲れた」


「剣よりか?」


「剣より疲れます」


「そうか」


「こんなに大変なんですね、畑って」


 アルヴェインは自分の鍬を見る。


「畑は毎日だからな」


「毎日?」


「ああ」


「魔物退治なら、一匹倒せば終わります」


「畑はそうはいかない」


「確かに」


 カイルは耕した場所を見る。


 少し曲がっている。


 隣のアルヴェインの畝は、真っ直ぐだった。


「……全然違う」


「最初はそんなものだ」


「アルヴェインさん、やってみせてもらっていいですか?」


「ああ」


 アルヴェインは鍬を持った。


 力を入れる様子はない。


 ただ、土を見ている。


 足を一歩。


 鍬を軽く振る。


 ザクッ。


 土がきれいに起きる。


 もう一度。


 ザクッ。


 ほとんど音も変わらない。


 カイルは黙って見ていた。


「……全然、力を使ってない」


「必要な力しか使ってないだけだ」


「それができないんですよ」


「そうだな」


 アルヴェインは鍬を返す。


「強いというのは、力をたくさん使うことじゃない」


 カイルが顔を上げる。


「……」


「必要な時に、必要なだけ使えることだ」


 カイルはその言葉を聞き、しばらく黙っていた。


     ◇


 少し離れた場所で、リンがその様子を見ていた。


 アルヴェインの足。


 腰。


 肩。


 鍬を握る手。


 どこにも無駄がない。


 ただの農作業に見える。


 けれど、動きには妙な安定感があった。


 弓を扱う者だからこそ分かる。


 あれは長年、身体を使ってきた人間の動きだ。


「……変な人」


 リンが呟く。


「何が?」


 ミレアが聞く。


「アルヴェインさん」


「アルじいさんが?」


「うん」


「普通のおじいさんですよ」


 リンは畑を見る。


「そうかもしれない」


 だが、その目はまだ納得していなかった。


     ◇


 昼休み。


 四人で畑の端に座る。


 ガルも少し離れたところで伏せている。


 カイルは水を飲んだ。


「俺、絶対に英雄になります」


 突然、そう言った。


 ミレアが目を丸くする。


「英雄?」


「はい」


 カイルは笑った。


「強い魔物を倒して、人を助けて、いつかみんなに名前を覚えてもらうんです」


 アルヴェインは黙って聞いている。


「魔王を倒した英雄みたいに」


 その言葉に。


 ほんの一瞬だけ、アルヴェインの手が止まった。


 しかし、すぐに水を飲む。


「そうか」


「アルヴェインさんは、英雄になりたいと思ったことないんですか?」


 風が吹いた。


 畑の葉が揺れる。


「……昔は、どうだったかな」


 アルヴェインは空を見上げた。


「忘れた」


 カイルは少し不思議そうな顔をした。


「忘れるものですか?」


「昔のことだからな」


「じゃあ、今は?」


「今?」


「今の目標です」


 アルヴェインは畑を見る。


 小さな芽。


 トーマの豆。


 エマの薬草。


 そして、まだ空いている土地。


「今年の収穫を増やすことだ」


「……」


 カイルが固まる。


「それだけ?」


「ああ」


「世界とか、国とかじゃなくて?」


「俺には畑の方が大事だ」


 カイルは思わず笑った。


「変わった人ですね」


「よく言われる」


     ◇


 午後。


 カイルとリンは森へ向かった。


「行ってきます!」


「気をつけろ」


「はい!」


 リンも頭を下げる。


「畑、荒らさないようにします」


「魔物より、カイルが荒らしてたけどな」


 ミレアが笑う。


「うっ……」


 カイルは苦笑した。


「帰ったら、もう一度やります」


「好きにしろ」


「約束ですよ」


「ああ」


 二人が森へ向かう。


 アルヴェインはその背中を見送った。


「元気な奴だな」


 ミレアが言う。


「アルじいさん、ちょっと嬉しそう」


「そうか?」


「はい」


「気のせいだ」


     ◇


 夕方。


 森から戻ったカイルは、再び畑へやってきた。


「アルヴェインさん!」


「ああ」


「朝のところ、もう一度やってもいいですか?」


「疲れてるだろ」


「大丈夫です」


 カイルは鍬を握る。


 今度は力任せに振らない。


 土を見る。


 一度、深呼吸する。


 ザクッ。


 朝より少しだけ、きれいに入った。


「……どうです?」


「悪くない」


「本当ですか?」


「ああ」


 カイルが笑う。


「よし!」


 その横でリンも小さく笑った。


 ガルは二人を眺めている。


 夕陽が畑を照らす。


 曲がった畝。


 まっすぐな畝。


 まだ何も植えられていない土地。


 そして、その間に立つ人々。


 アルヴェインは思った。


 最初は一人だった。


 けれど今は――。


 畑を手伝う者がいる。


 薬草を教えてくれる者がいる。


 農具を作ってくれる者がいる。


 そして今日からは。


 英雄を目指す若者まで、鍬を握っている。


「……賑やかになったな」


 アルヴェインが呟く。


 ガルが、


「わふ」


 と鳴いた。


 その声に、アルヴェインは少しだけ笑った。


 英雄になりたい青年が、最初に覚えたのは剣でも魔法でもなかった。


 土を耕すことだった。

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