第十六話 若い冒険者
昼過ぎ。
アルヴェインが畑の端で雑草を抜いていると、村の方から声が聞こえてきた。
「すみませーん!」
若い男の声だった。
アルヴェインが顔を上げる。
道の向こうから、二人の冒険者が歩いてくる。
一人は剣を腰に下げた青年。
もう一人は弓を背負った若い女性だった。
「こんにちは!」
青年が手を上げる。
「ここがフォルン村で合ってますか?」
「ああ」
「よかった」
青年は胸を張った。
「俺はカイル・レーン。冒険者です」
「リン」
女性は短く名乗った。
「よろしくお願いします」
「アルヴェインだ」
「農夫さんですか?」
「ああ」
アルヴェインはそれだけ答えた。
カイルは畑を見渡す。
「すごいですね。こんなところに畑があるなんて」
「元は荒れ地だった」
「これを一人で?」
「最初はな」
カイルは首を傾げた。
「最初は?」
アルヴェインは畑の入口を見る。
そこには灰色の魔獣が座っていた。
「今はガルがいる」
「……」
カイルが固まった。
「え?」
朱色の瞳。
大きな体。
狼に似た魔獣。
ガルがゆっくりとカイルを見る。
「ま、魔獣……?」
「ガルだ」
「名前までついてる!?」
リンがカイルの腕を掴む。
「待って。敵意はないわ」
「でも魔獣だぞ?」
「村の人たちも普通に接してる」
ちょうどその時、ミレアが籠を持って歩いてきた。
「あ、アルじいさん」
そしてカイルたちを見る。
「冒険者さん?」
「ああ。森へ行くそうだ」
「そうなんですね」
ミレアはガルの横を通り、そのまま畑へ入る。
ガルは何も反応しない。
「ほら」
リンが言う。
「本当に村の一員みたい」
カイルは恐る恐るガルを見る。
「……触っても大丈夫か?」
「ガルが嫌がらなければな」
アルヴェインが答える。
カイルが近づく。
ガルはじっと見る。
「……」
カイルが手を伸ばす。
ガルは少しだけ鼻を近づけた。
「お」
尻尾が一度動く。
「触っていいってことか?」
「たぶんな」
カイルが頭を撫でる。
「おお……」
顔が緩んだ。
「でかいけど、可愛いな」
「最初からそう言えばいいのに」
リンが呆れた。
◇
四人で畑の端に座る。
カイルが話し始めた。
「俺たちは森の調査で来ました」
「魔物が増えているのか?」
「小さな角ウサギが少し多いらしいです」
「角ウサギ?」
ミレアが聞き返す。
「ええ」
リンが答える。
「普段は大人しい魔物なんだけど、数が増えると畑を荒らすことがあります」
アルヴェインは頷いた。
「なるほど」
カイルが笑う。
「まあ、俺たちに任せてください」
「そうか」
「俺、強いですから」
アルヴェインは特に反応しない。
「……」
「……」
カイルが少し困る。
「アルヴェインさんは、冒険者とか興味ないんですか?」
「ない」
「即答ですね」
「畑の方が面白い」
「畑が?」
「ああ」
アルヴェインは土を見る。
「魔法なら、やろうと思えば一瞬で終わる」
「魔法を使えるんですか?」
「少しな」
カイルが興味を示す。
「じゃあ、強い魔法も?」
「昔は使った」
「昔?」
「昔の話だ」
アルヴェインは鍬を持ち上げる。
「今はこっちだ」
カイルは鍬を見る。
「俺はいつか、すごい冒険者になって英雄になりたいんですよ」
アルヴェインの手が一瞬だけ止まった。
「英雄?」
「はい」
カイルは笑った。
「魔物を倒して、人を助けて、みんなに名前を覚えてもらう」
「そうか」
「アルヴェインさんは、英雄になりたいと思ったことないんですか?」
少しの沈黙。
風が畑を渡った。
「……昔は、どうだったかな」
アルヴェインはそれ以上話さなかった。
リンだけが、その横顔を見ていた。
◇
その日の夕方。
アルヴェインが畑の水路を確認していると、突然ガルが顔を上げた。
耳がぴんと立つ。
「どうした?」
アルヴェインも森の方を見る。
草むらが揺れた。
「何かいる」
カイルが剣に手をかける。
「魔物か?」
「たぶんな」
次の瞬間。
草むらから、小さな影が飛び出した。
「角ウサギ!」
ミレアが叫ぶ。
白と茶色の毛。
額には小さな角。
体長は猫ほどしかない。
「小さいな」
カイルが剣を抜く。
「待て」
アルヴェインが言った。
「でも魔物ですよ」
「畑に入っただけだ」
角ウサギは畑へ走っていく。
トーマの豆畑に向かっている。
「あっ!」
トーマが叫ぶ。
「僕の豆!」
カイルが走り出す。
「任せろ!」
しかし角ウサギは急に方向を変えた。
「うわっ!」
カイルが空振りする。
「速い!」
角ウサギは畑を駆け回る。
ガルが立ち上がる。
「ガル、待て」
アルヴェインの一言。
ガルは止まった。
「アルじいさん?」
「こいつは追いかけると逃げる」
アルヴェインは周囲を見る。
そして畑の端に落ちていた葉を一枚拾った。
角ウサギの前に投げる。
ひらり。
角ウサギが葉を見る。
アルヴェインはもう一枚。
今度は畑の外へ。
角ウサギが追いかける。
さらに一枚。
もう一枚。
気づけば、角ウサギは畑の外へ誘導されていた。
「……」
カイルが呆然とする。
「何をしたんです?」
「葉っぱを投げただけだ」
「いや、そうですけど……」
リンが角ウサギを見る。
「最初から逃げ道を作っていたんですね」
「ああ」
「畑の外へ誘導するために?」
「追い払えば戻ってくるかもしれない」
アルヴェインは角ウサギを見る。
「自分から出ていけば、もう戻る必要がない」
角ウサギは森へ走っていった。
カイルは剣を鞘へ戻す。
「……すごい」
「何が?」
「魔物を倒さずに追い払った」
「小さい角ウサギだからな」
「俺なら斬ってました」
「だから待てと言った」
カイルは苦笑した。
「勉強になります」
◇
夜。
カイルとリンは村の宿へ向かう予定だった。
ところがガルドが言った。
「今日は宿がいっぱいだ」
「えっ?」
「祭りの客が来ていてな」
カイルが困った顔をする。
アルヴェインが言った。
「納屋なら空いてる」
「いいんですか?」
「寝るだけなら十分だろ」
「助かります!」
カイルが頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「リンも使え」
「ありがとうございます」
リンも頭を下げた。
◇
夜。
納屋の中。
カイルは藁の上に寝転がっていた。
「なあ、リン」
「何?」
「あの老人、変じゃないか?」
「やっぱり気づいた?」
「角ウサギの件だよ」
カイルは天井を見る。
「あんなに簡単に魔物を誘導するか?」
「それだけじゃない」
リンが言う。
「歩き方も変」
「歩き方?」
「周囲を見ている」
リンは昼間のアルヴェインを思い出す。
「畑仕事をしながら、森も村も全部見ていた」
「……」
「それにガル」
外を見る。
畑の入口には、灰色の魔獣が座っている。
「ガルがあの人を完全に信頼してる」
「魔獣を従わせるのが、そんなに珍しいか?」
「この辺りの魔獣は、人に懐かない」
リンは静かに言った。
「それなのに、あの人の一言で止まった」
カイルは少し考えた。
「でも、本人が農夫だって言ってるんだから農夫だろ」
「……そうね」
リンはそれ以上言わなかった。
その頃。
納屋の外では、ガルが静かに夜を見張っていた。
家の中では、アルヴェインが一人で本を読んでいる。
古い魔法書。
だが、数ページめくったところで閉じた。
「……明日は畑を広げるか」
魔法書より。
畑の予定の方が気になる。
アルヴェインは灯りを消した。
静かな夜だった。
けれど今日から――
若い冒険者二人もまた、アルヴェインの畑を訪れる人間の一員になった。




