第十五話 鍛冶師のこだわり
朝。
アルヴェインは畑で鍬を使っていた。
ザクッ。
ザクッ。
土に刃を入れるたび、手に小さな違和感が伝わってくる。
「……そろそろだな」
鍬を持ち上げる。
刃の先が、ほんの少し欠けていた。
「ノアに頼むか」
アルヴェインは鍬を肩に担いだ。
◇
村の鍛冶場。
カンッ!
カンッ!
いつもの音が響いている。
「ノア」
「……なんだ?」
ノアが振り返る。
「鍬を直してほしい」
「見せろ」
アルヴェインが鍬を渡す。
ノアは刃を見るなり、
「買い替えればいいだろ」
「まだ使える」
「先が欠けてるぞ」
「少しだけだ」
「少しだけでも、農具としては困るだろ」
「だから直してほしい」
「……」
ノアは鍬を裏返した。
刃だけではなく、柄の部分までじっくり見る。
「ずいぶん大事に使ってるな」
「道具だからな」
「道具?」
「使えるものを、簡単に捨てる理由はない」
ノアは黙った。
そして鍬を作業台に置く。
「分かった。夕方までには直す」
「頼む」
◇
夕方。
アルヴェインが鍛冶場へ戻ると、ノアが鍬を差し出した。
「ほら」
「ありがとう」
アルヴェインは刃を指でなぞる。
「いい仕上がりだ」
「当然だ」
ノアは腕を組んだ。
「ところで、お前」
「なんだ?」
「この鍬、どうやって使ってる?」
「普通に」
「普通じゃねえ」
ノアは柄を指差した。
「ここを見ろ」
「何かあるか?」
「握る場所がほとんど傷んでない」
「そうか?」
「毎日使ってるんだろ?」
「ああ」
「なのに変な力がかかってない」
ノアは首を傾げた。
「普通はもっと傷む」
「力を入れすぎなければいい」
「簡単に言うな」
ノアは苦笑した。
「鍬は剣みたいに振り回すもんじゃないぞ」
アルヴェインが顔を上げる。
「それくらいは知っている」
「……今の言い方、ちょっと気になったな」
「何が?」
「いや」
ノアは鍬を返した。
「農夫らしくなってきたと思っただけだ」
◇
翌朝。
ノアが畑へやってきた。
「アルヴェイン!」
「どうした?」
「鍬を届けに来た」
「昨日もらったぞ」
「そうじゃない」
ノアは畑を見渡す。
「ちょっと見せろ」
「何を?」
「お前の畑仕事」
アルヴェインは少し考えた。
「見て面白いものじゃないぞ」
「いいから」
「好きにしろ」
アルヴェインは鍬を握る。
畝の横に立つ。
土を見る。
指で少し触れる。
「……昨日、雨が降ったから、この辺りはまだ柔らかい」
ザクッ。
浅く鍬を入れる。
少し移動する。
ザクッ。
今度は深く入れる。
ノアが目を細めた。
「……場所によって変えてるのか?」
「ああ」
「土が違うから?」
「そうだ」
「全部同じように耕す方が楽だろ」
「楽なのと、いい方法なのは違う」
ノアは黙った。
「鍬は土に合わせる」
アルヴェインが言う。
「道具に無理をさせても、土に無理をさせても、長続きしない」
「……」
「だから、力は必要な分だけ使う」
ノアはしばらくアルヴェインを見ていた。
「お前、本当に農夫なのか?」
「今はな」
「今は?」
「昔はいろいろやっていた」
「何を?」
「いろいろだ」
アルヴェインは鍬を動かす。
「昔の話は、もういいだろ」
ノアはそれ以上聞かなかった。
◇
そこへミレアとトーマがやってきた。
「アルじいさん!」
「おはようございます」
「おう、ミレア」
ノアも手を上げる。
「ノアさん、何してるんですか?」
「こいつの畑仕事を見てた」
「アルじいさんの?」
「そうだ」
トーマが鍬を持つ。
「僕もやる!」
「待て」
ノアが止める。
「鍬をそんな持ち方するな」
「え?」
「道具は大事に扱え」
ノアが柄を握る位置を直してやる。
「こうだ」
「こう?」
「ああ」
トーマが鍬を振る。
ザクッ。
「できた!」
「今度はアルじいさんが教える」
アルヴェインが土を見る。
「トーマ」
「はい!」
「さっきより少し浅く」
「どうして?」
「ここは土が柔らかい」
「分かった!」
トーマがもう一度鍬を入れる。
ザクッ。
「おお!」
ミレアが拍手する。
「上手!」
「へへっ」
ノアが腕を組む。
「なるほどな」
「何が?」
ミレアが尋ねる。
「俺は道具の使い方を教える」
ノアはアルヴェインを見る。
「こいつは土の見方を教える」
「二人とも先生ですね」
アルヴェインが苦笑した。
「俺は先生じゃない」
「じゃあ何ですか?」
「農夫だ」
ノアが吹き出す。
「まだ言ってやがる」
◇
昼。
ノアは畑の端で弁当を食べていた。
ガルが近づいてくる。
「おう、ガル」
灰色の魔獣がノアを見る。
尻尾を一度振る。
「今日も見張りか?」
「わふ」
「ご苦労さん」
ノアはガルの頭を軽く撫でた。
すっかり慣れたものだった。
村ではもう、ガルを特別な存在として騒ぐ者はいない。
畑の番犬。
それが今のガルの役割だった。
ノアはふと畑を見る。
アルヴェイン。
ミレア。
トーマ。
薬草園のエマ。
畑の入口にいるガル。
いつの間にか、あの荒れ地には人が集まっている。
「……一人で暮らしたい奴の畑には見えねえな」
ノアが呟く。
アルヴェインが振り返る。
「何か言ったか?」
「何でもねえ」
◇
夕方。
ノアが帰ろうとすると、アルヴェインが声をかけた。
「ノア」
「ん?」
「鍬、助かった」
「……ああ」
「また頼むかもしれない」
「いつでも来い」
ノアは少し笑った。
「ただし、次はもっと丈夫なのを作ってやる」
「今ので十分だ」
「鍛冶師としては、それじゃ困る」
「そうか」
「俺が納得するまで改良する」
「好きにしろ」
ノアは鍛冶場へ戻っていった。
アルヴェインはその背中を見送る。
「……変わった男だな」
ガルが隣に来る。
「わふ」
「お前もそう思うか?」
ガルは答えない。
ただ、尻尾を揺らした。
アルヴェインは畑を見る。
自分一人で始めた場所。
そこに今は、薬草があり。
子供の小さな畑があり。
鍛冶師が作った道具があり。
番犬までいる。
「静かに暮らすつもりだったんだがな」
アルヴェインは小さく笑った。
「……まあ、悪くない」
夕暮れの畑に、穏やかな風が吹いた。
そしてその日。
畑の隣に――
また一人、居場所を見つけた男がいた。




