↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も知られぬ大賢者は畑を作って余生を過ごす  作者: まーサンタ
第一部 鍬を持つ大賢者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/32

第十話 大賢者は名乗らない



 雨は、夜の間ずっと降り続いた。


 朝になると、畑の土はしっとりと濡れていた。


 アルヴェインは家の戸を開け、外へ出る。


「……ちょうどいい雨だったな」


 水路を確認する。


 昨日作った溝はきちんと働いていた。


 畑に水が溜まりすぎている場所もない。


「これなら大丈夫だ」


 アルヴェインは満足そうに頷いた。


 その時。


「アルじいさん!」


 ミレアが道の向こうからやってきた。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


 ミレアは畑を見る。


「昨日の雨、大丈夫でした?」


「問題ない」


「よかった」


 少し間を置いて、ミレアが言った。


「……昨日のことなんですけど」


「魔物のことか?」


「はい」


 アルヴェインは何も言わなかった。


「やっぱり、気になります」


「そうか」


「アルじいさんって、本当にただの隠居なんですか?」


「そう言っただろう」


「でも……」


 ミレアは困ったように笑う。


「治癒魔法、あんなに簡単に使える人なんて、村にはいません」


「練習すればできる」


「私のおじいちゃんも?」


「ガルドか?」


「はい」


「……あいつには難しいだろうな」


「やっぱり!」


 ミレアが少し嬉しそうにする。


「アルじいさん、普通じゃないんですね」


「普通だ」


「どこがですか?」


「畑を作っている」


「そこですか?」


「ああ」


 ミレアは呆れたように笑った。


     ◇


 昼前。


 ガルドがやってきた。


「アルヴェインさん」


「村長か」


「昨日、森の近くで魔物が倒れていた」


「そうか」


「怪我は治っていた」


 アルヴェインは黙っている。


「誰かが治したらしい」


「そうかもしれんな」


「村の者は、少し不思議がっている」


「そうだろうな」


 ガルドはアルヴェインをじっと見る。


「……何か知らないか?」


「知らない」


 即答だった。


 ガルドは少し笑った。


「そうか」


「ああ」


「なら、それでいい」


 ガルドはそれ以上聞かなかった。


 ただ、帰り際に一言だけ残した。


「アルヴェインさん」


「なんだ?」


「この村では、過去が何であれ、畑を作っている人間は畑を作っている人間だ」


「……」


「無理に話す必要はない」


 アルヴェインは少しだけ目を細めた。


「ありがとう」


 ガルドはそのまま村へ戻っていった。


     ◇


 午後。


 アルヴェインは畑で土を耕していた。


 ミレアも手伝っている。


「おじいちゃんが言ってました」


「何を?」


「アルじいさんが話したくないなら、無理に聞くなって」


「……そうか」


「でも私は気になります」


「正直だな」


「だって気になりますよ」


 ミレアは鍬を土に入れる。


「すごい魔法が使えて、魔物も治せて……」


「魔法が得意なだけだ」


「それだけじゃないでしょう?」


 アルヴェインは答えなかった。


 しばらくして、ミレアがぽつりと言った。


「昔、何をしてたんですか?」


 アルヴェインの手が止まった。


 風が吹く。


 畑の葉が揺れる。


「……魔法を研究していた」


「それだけ?」


「それだけだ」


「どこで?」


「いろいろな場所で」


「誰と?」


「いろいろな人と」


「じゃあ――」


 ミレアが続けようとした。


「大賢者とか?」


 アルヴェインは静かにミレアを見る。


 ミレアは冗談半分だった。


「……なんとなくです」


「どうしてそう思った?」


「昨日の魔法を見たから」


「なるほど」


 アルヴェインは鍬を置いた。


「ミレア」


「はい」


「昔の俺が何者だったかは、今の俺にはそれほど重要じゃない」


「……」


「今は、この畑をどうするかの方が大事だ」


 ミレアは黙って畑を見る。


「……そうですね」


「分かってくれたか」


「でも」


「まだ何かあるのか?」


「いつか話したくなったら、聞かせてください」


 アルヴェインは少し驚いた。


「無理に聞かないのか?」


「はい」


 ミレアは笑った。


「その方が、アルじいさんも話しやすいでしょう?」


「……そうかもしれんな」


     ◇


 夕方。


 アルヴェインは一人で家の前に座っていた。


 畑を見る。


 小さな畝。


 豆。


 これから植える野菜。


 少しずつ広がっていく土地。


 ふと、昔のことを思い出した。


 王都。


 巨大な塔。


 弟子たち。


 魔術師たち。


 戦場。


 そして――。


 「大賢者」と呼ばれていた頃の自分。


 あの頃は、誰もがアルヴェインの名前を知っていた。


 名を呼ばれるたびに、頼られた。


 期待された。


 力を求められた。


 けれど。


「……もういい」


 アルヴェインは小さく呟いた。


 今は、誰にも名前を知られなくていい。


 畑を耕す。


 野菜を育てる。


 たまに村へ行く。


 ミレアたちと食事をする。


 それだけでいい。


「アルじいさん!」


 遠くからミレアの声が聞こえる。


「明日、また来ますからね!」


「ああ」


「おじいちゃんも一緒です!」


「そうか」


「じゃあ、また明日!」


 ミレアの姿が遠ざかっていく。


 アルヴェインは、その背中を見送った。


「……大賢者、か」


 その言葉を口にすると、少しだけ昔の自分に戻った気がした。


 だから、もう一度。


 今度ははっきりと言う。


「俺は、ただの農夫だ」


 誰に聞かせるでもなく。


 それでいい。


 大賢者の名など、もう必要ない。


 この村で暮らすアルヴェインという老人。


 それだけで十分だった。


 その夜。


 王都から遠く離れた小さな村で、一人の老人が静かに眠りについた。


 誰も知らない。


 彼がかつて、世界で最も偉大な魔術師だったことを。


 そして――。


 本人も、それを知られたいとは思っていなかった。


第一部 鍬を持つ大賢者 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。