第九話「悪夢の記憶」
禊ぎをされ、二日間の飲食を禁じられた。白と赤の着物を着せられ、カラカラに喉が渇いた状態で引き立てられたのは、既に整えられた儀式の場だった。
薄暗い神殿の中に、蝋燭明かりが無数に燈る。
真鍮で作られた龍の像が構える祭壇に、馳走が並べられ、花が飾られ、酒の匂いも漂っていた。
神主が、やけに赤い文字の滲んでいる紙を、読み上げる。
「汝、龍児の血涙を継し者。今こそ、その咎を身に宿し、汝の同胞と一体と成るべし」
キリキリと縄の張る音を立て、ゆっくりと頭上から降りてきたのは、何時も少女と共にいた、蛇のような生き物だった。
その身がくねらせられないように、幾重にも縄で括られている。
「セツヒ」と、少女は掠れた声で呼び、一歩踏み出そうとした。
両側に居た巫女達が、少女の腕を引き留める。
蛇のような生き物は、縄に縛り上げられたまま、力なく床に崩れる。
神主は一つ頷き、盆に捧げられてきた、小さな懐刀を手に取った。
「アカリ。覚悟はできて居るな?」
飢えと渇きで疲弊している少女は、小刻みに体を震えさせている。僅かに首を横に振った。
両隣の巫女達が囁いてくる。
「全ては決まっているのです」
「貴女が十の頃からの、定めでございます」
少女の頭の中に、六年前に言い聞かされた言葉が蘇る。
「お前はいずれ、セツヒから『龍』としての力を奪わねばならぬ。それの首を切り、臓腑を引き裂いて、血涙を浴びる。そしてその肉を、己が身へと取り込むのだ。
そうする事により、お前は完全な『龍』と成れる。それが次の子を孕むための、重要な儀式だ」
神主の手から、巫女の手へ懐刀が渡され、それは少女の手に握らされた。
巫女達が、アカリの背をそっと押した。
びくっと身を跳ねさせ、娘は目を覚ました。見れば、其処は静かな宿屋の中である。
隣の藁の布団の中には、弟である童が眠っていた。
朝に宿を出た旅人の布団は片づけられ、雑魚寝部屋の中はガランとしている。
忌まわしい記憶が、頭の中に残っている。
「あ。よく眠れた?」と、宿屋の娘が、部屋を覗いて声をかけてくる。「もうすぐ、日が暮れるよ。えーっと、あんた達は明け方に来たから……夕飯を食べたら、勘定を済ませる?」
旅の娘は、記憶を頭の奥に押し込め、努めて明るく答えた。
「うん。そうさせて」
「分かった。ああ、あんた達の蓑だけど。ちゃんと囲炉裏端で、乾かしておいたからね」
「ありがとう」
宿屋の娘は、礼の言葉を聞いて笑顔を作り、奥の間に引っ込んだ。
旅の娘は、傍らの弟を起こす。
「セツヒ。そろそろ起きて。もうすぐ夕飯だよ」
童は、「うーん」と唸った。
姉が肩を揺すり続けると、ようやく目を開け、瞼を手の甲で拭う。
「まだ、何も食べたくない」
「すぐにお腹が空くよ。ご飯の前に、手と顔を洗わせてもらおう」
「井戸まで行くの?」
「分かんない。水瓶があるか、聞いてみよう」
よく喋るようになった弟と、そうやり取りをして、旅の娘は先に布団から出た。
水瓶は無かったが、幸いなことに、宿には専用の井戸があった。
其処で顔と手を洗い、旅の道中で手に入れた手拭いで、拭き清めた。
「商店が色々あって、よかったね」
旅の娘は言いながら、後から顔と手を洗った童に、手拭いを貸す。
童も、皮膚についた滴りを充分に切ってから、手拭いで顔と手を叩いた。
「路銀は足りる?」
童の言葉を聞いて、姉は困ったように頭を掻く。
「昨日から、その心配ばっかり」
弟はこう答えた。
「心配は、だいぶ前からだったよ。アカリって、腹が減るとすぐにくたばっちゃうから」
口数が増えた分、以前より扱いやすいような扱いにくいような、と思い浮かべ、姉は「それはご心配をかけました」と、皮肉を返した。
その日の夕飯は、器に盛られた白米と、炙り焼きにされた魚、野菜のお浸しと味噌漬、それから溶き卵の浮いている吸い物だった。
全部の料理が、食膳に乗せられている。
数月ぶりに「まともな食事」を得た二人は、器に米粒一つどころか、吸い物に入っていた山菜の欠片すら残さずに、食らい尽くした。
宿の勘定を済ませた二人は、「着ていると温かく感じる」ようになった蓑を肩にかけて、宵闇の町へ出た。
筆で描かれた地図を見ながら、町の中を暫く歩き回り、目印になる辻と寺を見つけた。
「陰陽学者って言う人が、この近くに住んでるらしいんだけど。寺を左手にして、辻を……こっちか」
娘は言いながら方向を決め、町の細道の方へ歩いて行く。
童は少し心配する。
「怪しい通りに入るの?」
娘は地図に目を通す。
「そう言うわけじゃない。何だろう。人が沢山住んでる場所に、その学者の家が混じってるらしいんだ」
「ふーん」
そうやり取りをしながら、二人は住居街の方へと脚を進めた。
鬼灯色の明かりが燈る提灯が、軒に飾ってある。
「ああ。あれだ」と、娘は最後の目印を見つけた。
家の戸は閉まっているが、その戸にメモが貼られている。
「淡陽、老陰へご相談事は、備え付けの紙札に内容を記し、便り受けへ投じるべし」
そう読み上げてから、娘は肩をすくめた。
「何だか、駆け込みでは話してくれないみたいだ」
娘は、童の荷の中から携帯用の竹筆と墨壺を取り出し、紙札を一枚手に取った。
翌日。同じ時間に陰陽学者の家を尋ねると、軒に飛白模様の着物を着た人物が、両腕を組んで待っていた。服装と髪の長さからして、女性らしい。
「今晩は」と、娘は声をかけた。
「今晩は。あんたは?」と、女性は、少し突っかかるような声音で言う。
「アカリと言います。陰陽学者さんに、お尋ねしたい事があって」
「ああ。昨日、便りをくれた人だろう? あんたを待ってたんだ」
「それでは……」
「まずは、中に入って。話を聞こう。相談を受け入れられるかは、それから決める」
やり取りの後、飛白の着物を着た女性は、娘と童を家の中に招いた。
庄屋の家の様に広い家の中には、大きな玄関があった。そこで履物を脱ぐと、飛白の着物の女性は先を歩く。玄関から九時の方角に折れた広い廊下が一本通って、その左右に部屋がある。
壁を二重にしてあるのか、それとも塗りが良いのか、外の寒さはあまり気にならない。
一番目立つ広間に通されると、其処には白い髭を伸ばした老人が、さっきの女性のように腕を組んでいた。
「老陰。客が来た」と、飛白の着物の女性は言う。「昨日の便りの人だ。こっちのお嬢さんは、アカリ。そっちの坊やは?」
そう問われて、童は「セツヒ」と自分で名乗った。
娘は、今までの神祓いの経緯を、老陰と言う人物に話した。
「ふむ」と、老陰は一つ頷く。「話を聞くに、少なくともそちらの童は、人ではないな」
娘は口を結んだが、それは話さないと成らない事だと察し、言葉を続けた。
「そうです。私達は、『龍』と化した女から生まれた、妖の血を持つ者です」
「否」と、老陰は言葉を止める。「『龍』は、水と流れを司る神だ。己を卑下するにも、言葉を選べ」
そう言われて、娘は口を噤んでしまった。膝に置いた手に、力がこもる。
人食いを嫌悪し、奴等を祓い続けてきたが、娘が儀式で望まれた事も、同胞を殺傷して、その肉を食らえと言う要求だった。
私達は、「人では無い汚らわしいもの」ではないのか? と言う疑問が、頭の中でグルグルと渦巻く。
「難しい背景がありそうだね」と、入り口の近くに座していた、女性が言う。
老陰も、ふぅ吐息をついて、「余計な事を言った」と詫びた。「話を続けてくれ」
娘は、今後どのように妖魔を祓って行けば良いのかと、問いかけた。




