第十話「学びを得る」
懐刀を持たされた少女は、呼吸を深くし、一歩一歩と蛇のような生き物に近づいて行く。
赤と白の縄で、全身を括られている蛇のような生き物は、身じろぎも出来ない。
少女は刃を高く振り上げる。
「セツヒ」と、呼びかけた。「今、楽にしてあげる」
そう言って、少女は蛇のような生き物を、撫で斬りにした。
鱗に覆われた、蛇のような生き物の体を包む縄に切れ目が入り、一部が千切れた。
セツヒは途端に体を大きくうねらせ、切れ目の入った縄を引き千切る。
少女は、蛇のような生き物の背に飛び乗り、残っていた縄を切り裂く。
蛇のような生き物は、巨大な口と体を持つ、白い龍に変化した。
その身が、ふわりと宙に浮く。
「弓を!」と、神主が叫んだ。
だが、弓が用意される頃には、龍と少女は神殿の宮を飛び去っていた。
夜空に身を浮かべた龍と少女は、宮で起こっている事を知らない人々が、大地で花火を上げているのを目の横に見た。
「セツヒ。南に飛んで」と、少女は訴えた。「あいつらが追って来れないくらいの、遠くに」
龍は晦日の月の方向を確認すると、返事をするように、小さく唸った。
白い少女と白い龍は、月の明かりを受けながら、紺色の空を泳いで行った。
娘は、その事と次第を、陰陽学者に話した。
「その時の龍と言うのが、その童か?」と、老陰は問う。
「ええ」と、娘は応じた。
老陰は、白く長い髭を撫で、問い重ねる。
「この童は、どうやって人の姿を手に入れた?」
娘は、普段は袖で隠している腕を見せた。そこに、一筋の深い傷がある。
「私の腕に傷を作って、血液を飲ませました。私が、セツヒから力を奪えるなら、セツヒも私から力を奪えるはずですから」
老陰は「ふむ」と頷き、「淡陽」と、相棒に呼び掛けた。
飛白の着物の女性は、表情を硬くする。
「陰陽術を学ばせるとしたら、どちらだ?」と、老陰は言う。
「童の方だ」と、淡陽。「娘の方には、剣術を教えたい」
「その見立てで良さそうだな」
その言葉に、娘は慎重に問うた。「お礼金は、いかほどでしょう?」
それには淡陽が答えた。
「身の周りの世話賃くらいで良い。学びを広めることが、私達の仕事だ」
娘と童は、表情を明るくした。
廊下を移動する間、娘の持って居た、龍の骨を削って作った刃を見て、淡陽は「ほう」と息を吐いた。
「見事なものだな。これで戦ってきたのか?」
「はい。鉄の刃を受ける事は出来ませんが」と、娘が言うと、淡陽は「今まで、切り付けられた時は、どうした?」と聞いてくる。
「避ける以外には、特に何も」
「それでは、体力を削りすぎだ。お前、よく腹が減るだろう?」
娘は少し考えてから、「確かに。時々、強い空腹を覚えます」と答えた。
淡陽は娘の体格を見て、述べる。
「体を動かすには、体力が必要だ。お前の活動量だと、『普通の食事』では足りないのだろう」
「では、どうしたら?」
「刀を持ってみろ。まずは、脇差で良い」
そう言って、淡陽はある部屋の襖を開けた。
畳の無い板張りの部屋に、刀や槍、弓に薙刀等、無数の武器が仕舞われていた。
屋敷の庭で、脇差を持たされた娘は、鋼の刃の重みに手元を震わせた。
淡陽は、こう言った。
「柄を片手で持つな。右手で鏝の近く持って、左手を柄の下のほうに添えろ」
その通りに持つと、多少は重みが楽に成った。
「お前はまず、受け流しを覚えたほうが良い。体を使って避けるのではなく、刀で相手の刃を捌くんだ」
「どんな風に?」と、娘は聞いた。
淡陽は、小太刀を手にし、「切り付けて来い」と指示を出す。
娘が、跳躍しながらどうにか切りつけると、着物の袖を襷でたくし上げている淡陽は、素早く脇差の一撃を横に受け流した。
娘の白い髪の数本が、はらはらと地面に散る。
「こうやる」と、淡陽。
「出来る気がしない」と、娘は首を横に振った。
「出来るか出来ないかじゃない。やれ」と、淡陽は答えた。
一方、陰陽術を学ぶ事になった童は、「陰陽五行」と言う、力の流れの法則を教わった。
掛け軸のような巻物を壁に掛けた老陰は、それを筒状に括って居た紐を解いた。
ぱらりと、絵図が現れる。
五芒星の絵図の夫々の先に、木、火、土、金、水と書かれている。星の周りは、五角形を描くように線が引かれていた。
「今までは、どのように術を使っていた?」と、老陰は童に問いかける。
「別々に習った」と言って、童は指を折りながら答えた。「傷を治す方法、意識を失わせる方法、妖を凍らせる方法、炎を起こす方法、魂を食べる方法。そのくらいだ」
「それ等を、論理立てて覚えなおす事が必要だ。童、お前は火傷を治す時、どうやる?」
「手の平を、傷にあてる。力を送り込むと、勝手に治る」
「無意識に術を使っているのだな。それは天部の才だが、消耗が激しすぎる」
そこから、童は五行の中の法則と、五行を象徴する幾つかの項目を説かれた。
「先も述べたが、龍は水と流れを司る、神に属する。お前の力は、水の気が強いはずだ。水の気は、金の気から生まれ、木の気を生じる。
火の気に強く影響を与え、土の気からは影響を与えられやすい。この性質を覚え込め」
童は頭の中で言葉を繰り返してから、「分かった」と答えた。
老陰は説く。
「次に、水の気の司る季節は冬だ。今まで、お前の気は増幅された状態にあったはず。これからの季節……特に夏は、お前の気が弱まる事になる。
どのような環境下でも、一定の力を維持するために、五行の理に則した力を使う必要がある」
そう聞いて、童は疑問を持った。
「お前は先に、『龍の力は水に属す』と言う事を言った。俺にも、五行全ての力は使えるのか?」
「使える。本来の力以外の、知識を学ぶ事でな。しかし」と、老陰は苦い顔をする。「お前の言葉は、学びを得る者の、それではないな。少し、相手を敬う言葉を覚えろ」
どうやら、童が一番に覚えなければならない事は、生徒としての振舞い方らしい。
互いの業を終えてから、娘と童は、疲れ切ったと言う風に、宛がわれた部屋で畳に横たわった。
「体中が痛い」と、娘は述べ、「頭が破裂しそう」と、童も述べる。
「セツヒは、どんな教えを受けた?」と、娘は聞く。
「陰陽五行って言うものの説明と、新しい話し方」と、童。「俺、じゃなくて『小生』。お前、じゃなくて『先生』と『あなた』。言葉の後ろに、『です、ます』をつける。もっと丁寧な言い方は、『ございます』」
「なんだそりゃ」と、娘は呟いた。「まぁ、お前は今まで、敬語なんて習って無かったからか」
姉がそう納得してから、童は尋ねる。
「アカリは、何を教えてもらった?」
「昼間の間中、ずっと『受け流し』の練習。刃を刃で打ち返して、攻撃を避ける方法。今使ってるのは、割と短い刀なんだけど、刃の重さに成れたら、普通の刀か、小太刀って言うのを使ってみろってさ」
「刀を買う金はある?」
「分かんない。高かったら、脇差って言うのを買う。刃が短いから、比較的安いと思う」
「それじゃぁ、刀の訓練をしてる意味がないんじゃないか?」
「意味はあると思いたいよ」
そうやり取りをしていると、淡陽が「夕飯だ」と、呼びに来た。
食事の後、残り湯に入れさせてもらった娘は、お湯と手拭いで体を洗う時に、皮膚のあちこちがヒリヒリと痛む事に気付いた。
どうやら、出血しない程度の薄い切り傷が出来ているようだ。
気づかないうちに、淡陽の小太刀が皮膚を掠って居たのだろう。
見た目は唯のお姉さんなのに、すごいもんだ。
娘はそう思い浮かべ、傷の染みる湯船に浸かった。




