第十一話「夏の日照りの下」
じりじりと日の照り付ける頃になった。
小太刀を持つようになった娘は、剣技の習得に熱心だ。
童の方は、五行の他に「式神」と言うものを扱う術を学び、自分で捕らえた幾つかの妖を、使役できるようになった。
ある日、庭で淡陽から教えを受けている娘を見ながら、軒で陽を避けて居た老陰が、童に言った。
「お前は、今まで自力で妖を食らってきたと言うな?」
「はい」と、童は答える。
「その妖から、影響を受けたことはあるか?」との師の問いに、「あります」と、童は応じた。
幼い頃に、守主と言う赤い着物の童子を食らった事があり、その童子は今でも童の腹の中で、意識を持って居る事。
その後、幾つかの妖を食らううちに、意識がぼんやりし、ほとんど言葉を発せない時があった事の、二つを告げた。
「修羅の血肉か」と、老陰は唸る。「それは聞き捨てならん。もしもの話だが、これ以後も、お前達が『鬼』と出会う事があれば、せっかく育てた式神を失う事もあるやもしれぬ」
「何故です?」と、童は尋ねた。
「鬼を封じるために、式神を犠牲にするしかないからだ。お前の神力は大したものだが、お前の姉から『人の気』を与えられたであろう?」
「はい」
「鬼の神力は、人を凌駕する。言霊で括っても、再び食らえば、お前の『人』としての部分に影響を与えるだろう。それを避けるためには、式神で『鬼』を封じるしかない」
「式神に、鬼を食わせると言う事ですか?」
「そうなるだろうな」
童は、自分の懐に仕舞っていた霊符を取り出した。
「狐と、百足と、蛇と、犬が居ますが。鬼を食わせるには、どれが適切ですか?」
老陰は、童が式神に感情を持って居ない事を察した。
「セツヒよ。お前は、妖にも心がある事を知っておろう?」
「それは……。分からないわけではないです」
「その霊符に封じられている者達も、心を持って居る。使役される身とは言え、望んで滅される者はおるまい」
「鬼を食うと、妖は消滅するのですか?」
「滅さなければならなくなるのだ。鬼を封じた時点で、式神も、その毒に冒されるからな」
童は少し考えてから、「鬼の気を取り込めるだけ強く、式神を育てる事は出来ますか?」と尋ねた。
老陰は「それには修業が必要だ」と説いた。
淡陽は、アカリの剣技が、次第に鋭くなって行くのを感じ取っていた。
この数月で、何十年も剣の道を修めたような技を見せるようになっている。
初歩を教える時、淡陽はアカリに「チャンバラにならないように気をつけろ」と、述べた事がある。
常に「切りかかれ、身を守れる」間合いを取り、刀の切っ先で相手の刃をいなす。
相手の目線や動作から、「一撃を与えられる隙」を見つけた時に、一気に攻めの手に回る。
それ等の事を、何度も何度も教え込んだが、アカリは、それまでに教えていない切りかかり方まで、覚えていた。
特に、一度切り払った後、返す刀で往復して切りつける技術は、目を引いた。
打ち合いを制してから、淡陽が「その技は何処で覚えた?」と聞くと、娘は「ずっと前に、鬼と戦った時に」と述べた。
この娘は、一度見ただけの技も、そっくりそのまま再現できるくらいの技量を持って居る。
そう知った淡陽は、目を光らせ、口元を笑ませた。
その日の打ち合いは、日没まで続いた。
すっかり、昼間に活動する癖のついた娘と童であったが、ここ暫く、日に焼けるようになった皮膚が痛い。
宛がわれた部屋に戻ってから、チリチリとした痛みに、娘が思わず腕を掻くと、表皮がべろりと剥けた。
「これは……危ないな」と言いながら、娘は剥げる分の腕の薄皮を、全部剥いでしまった。
畳の上に出来た表皮の山を手で寄せ集め、両手の中にすくって、窓の外に捨てた。
「セツヒは、皮膚は大丈夫?」と、童に声をかけると、彼もほんのりと赤くなっている腕を撫でる。
しかし、薄皮が捲れる事はないようだ。
「問題ない。あんまり日向に行かないからかも」
「そう。それにしても、困ったな」と言いながら、娘は首筋も掻く。やはり、薄皮がぺりぺりと剥ける。「正午なんて、存在しないと思ってたからなぁ」
「皮膚がおかしくならない薬なんかはないのか?」と、童。
「子供の頃に、油と泥を混ぜて、花の香りをつけた塗り薬を使った事がある」と、娘は思い出す。「材料を買えば、作れなくないかも知れない」
そんな話をしていると、童の懐で霊符が光った。
童は気づいて、光っている霊符を取り出す。
「犬が、何か言いたそう」
「え?」と、娘は聞き返す。「犬って喋るの?」
「意思を示したりはする」
そう言ってから、セツヒは霊符を床に置き、両手が三角形になるように、指を合わせる。
「主が姿をこれに現せ。急急如律令」と唱えると、霊符の中から、青白い犬の姿の式神が召喚された。
犬の式神は、頭を低くして礼儀を表すと、童の袖を加えて引いた。
それから、部屋の外に飛び出して行く。
「何処へ行く?」と、術士が聞くと、吠えるように口を動かし、振り返って尻尾を振る。
「ついてこいって事かな?」と、娘が言う。
その言葉を理解できたように、式神は先を行く。
「追いかけてみよう」と、娘が声をかけ、二人は、宵の町の中へ出て行った。
後ろを何度も振り返りながら、先を歩く犬の式神が、ある家の前で立ち止まった。
「薬師。百郎庵」と言う看板が出ている。
犬は、その戸口を爪で掻いて見せた。
娘と童は顔を見合わせてから、その店の戸を叩いた。
「油と泥と花で出来た塗り薬」と、百郎と言う薬師は復唱した。「珍しい注文だな。傷口に泥を塗ったら、普通、化膿するぞ?」
「傷に塗る薬じゃないんだ」と、娘は説明する。「皮膚に塗って、日焼けを弱める薬なんだ。私の皮膚を見てくれると、必要なのは分かると思うけど」
そう言われて、百郎は娘の腕や首筋をよく見た。あちこち、薄皮がめくれて、表皮はボロボロに成っている。
「酷い有様だな。出来れば、明日にでも欲しいって所か?」
「そう言う事」
「まぁ、必要ならば、挑戦してみたくないわけじゃないな」と言って、百郎は薬棚を遠目に見る。「それはそうと、淡陽達の家に居るなら、抜け出してきて大丈夫か? あの家は、大分決まりに厳しいからな」
「あ」と、娘と童は同時に思い至った。一言言ってから、出かけて来るべきだったと。
恐る恐ると陰陽学者の家に戻ると、戸口の前で淡陽が腕を組んでいた。
ものすごく、不機嫌な顔をして。
物陰からその様子を伺った娘は、童と視線を合わせ、足音を殺して家の前まで歩を進めた。
じろり、と淡陽の目が二人を捉える。
「ああ。逃げ出したわけじゃなかったのか」と、述べる淡陽の声は、冷え冷えとしている。「臆病風に吹かれるには、良い季節じゃないか? 夜になっても蒸し暑いものな」
「いや、式神が、家を飛び出して行ったから、後を追ってみたんです」と、娘は事実を述べた。
「ふぅん」と、興味もなさそうに淡陽は言う。「それじゃぁ、今は腹がいっぱいなんだな? 飯の前に式神を追いかけられるくらいには」
「いえ」と、娘は拳に手を重ねて、胸の前で組む。「食事は必要です」
「今、老陰が、町の中を探しに出てる。お前達が、さらわれたんじゃないかって言ってな」
それを聞いて、娘と童は横目で互いを見た。
淡陽はこう言い渡した。
「老陰が帰って来て、訳を話して、お前達を許したら、夕飯を出そう。それまで、部屋に引っ込んでろ」
「はい」と、返し、一刻も早く、老陰が帰って来てくれる事を祈った。
昼から我慢し続けた、空腹を癒すために。




