第七話「壺の中の楽園」
少女が教えられたことは、第一に「人喰い」を許すなと言う事。妖魔を狩るなら、人間を守る事を最優先に、と叩きこまれた。
しかし、少女の心の中には、「妖魔からすれば、人間は別の種族では無いのか?」と言う疑問が残った。
人間も、鳥や動物の肉を食べる。それが「異種族だから」だとしたら、妖魔が人間を食べる事も、それと同じ感覚なのでは。
そう考えたが、「それは悪鬼の思考だ」と、頭の中から追い出した。
教えられた知識の溝が埋まらないまま、あの儀式を迎えた。
だからこそ、少女は逃げ出したのだ。
娘は、残り少ない干し肉と糒を齧り、竹の水筒から僅かを口に含む。
口の中の物を飲み込んでから、相棒に「次の峠までは?」と聞いた。
童はどこか遠くを見るような視線を向けてから、「三里ほど」と答えた。
娘は東の空を見て、「日の出までには辿り着ける」と述べ、地面から立ち上がった。
早朝に峠に着くと、旅籠の他に、珍しいものがあった。小さなお茶屋だ。
旅人が一人、赤い布を敷かれた横長の椅子に座り、団子と茶を食んでいる。
香ばしそうな団子と茶のにおいに、娘の気が緩む。
生唾を飲み込んでから、フラフラとお茶屋に近づいた。
童も、きょとんとした表情のままついて行く。
娘は、間に童を挟んで、先に居た旅人とは反対側に掛けた。
「いらっしゃい」と、茶屋の娘が声をかけてくる。「お嬢さん。何の団子にする? それとも、お茶が良い?」
旅の娘は暫く手を撫で合わせてから、「みたらし団子はある?」と聞いた。
「あるよ」と、茶屋の娘。
「じゃぁ、それを二皿と、この人が飲んでるのと同じお茶を」と、旅の娘は注文した。
「はい。それじゃあ、少し待っててね」と、茶屋の娘は明るく返し、店の奥に引っ込んだ。
先に居た旅人が、旅の娘に声をかけてくる。
「きょうだいで旅の途中かい? 何処から来たんだい?」
娘は少し困った顔をしたが、「陸奥の国の方から」と、曖昧な返事をした。
「そりゃぁ、大した旅路だねぇ」と、旅人は言う。髪を町人風に結って、歩きやすいように着物の裾をたくし上げている人物だった。足は股引で包んでおり、荷の中から、筆の尻尾が頭を出している。
「俺は江戸からこっちの方まで来たんだ。方々で、名所だって言われてる風景を描いててね。肉筆画なんて、売れるもんじゃないが、自分で言うにも、大した仕事さ」
「絵を描いて、仕事に成るの?」と、不思議そうに旅の娘は問う。
旅人は煙管に、刻んだ煙草の葉を詰めると、火打石で着火した。口の中に煙を含み、ふうっと吐く。
それから、こう返した。
「なるよ。江戸に戻ったら、版画に起こすんだ。今流行りの『錦絵』に成ることもある。人気の絵師に成るには、修業が必要だけどね。下手の横好きで出来る仕事じゃないってのは、確かさ」
「『にしきえ』は、見た事がある」と、旅の娘は言う。
「へぇ。陸奥の国にも、広まってるのかい?」
「茶碗の包み紙が、にしきえだった」
娘がそう言うと、旅人は額を押さえて「そう来たか」と、苦笑いをした。
「そりゃぁ、一枚の絵をいっぱい刷れるからね。そう言う使い方もあるか」
そんな話をしているうちに、焼き上がった団子と淹れたてのお茶が運ばれてきた。
旅の絵師は茶屋の娘に六文を渡し、旅の娘の方を振り返ると、「次の峠に行くまでは、注意しなよ。何せ、山姥が出るらしいから」と言い残して、旅路に戻って行った。
旅の娘は、醤油につけて炙った団子を食べた後、茶屋の娘に「山姥って何?」と聞いた。
茶屋の娘は少し言い難そうにしてから、「山に住んでる婆さんでね。身なりは汚いし、人を取って食う時もあるって言われてるんだ。不思議な力が使えるって言ってる人もいる」と教えてくれた。
夕方まで旅籠に泊まり、娘と童は続く山道を歩き始めた。
暫く登りを進むと、水のせせらぎが聞こえてきた。沢があるらしい。その周りには、黄緑色の光を放つ虫が、無数に飛んでいた。
「蛍が居る」と言って、娘は、空っぽになっていた水筒に、沢の水を汲んだ。
娘を待つ間、ぼんやりしていた童は、何処かから煙が流れて来るのに気づいた。
不思議な香りがする。その香りの方向に、近づいて行きたいと言う欲求が起こる。
視界がぐらぐらと歪み始め、煙の方に一歩踏み出しかけた。
「セツヒ。顔を洗おう」と、娘に声をかけられ、童は我に返った。
沢の流れで顔と手足を洗うと、童の中に在った衝動は抑えられた。
「アカリ」と、童は娘に声をかけた。「分からない?」と。
娘は顔を手で拭い、乾かしながら答える。
「何が?」と、全く気付いていない様子で。
童は、まだ煙が漂ってくる方向を、指さした。
童が示す方向に歩いて行くと、沢を越えて森を越えて、岩場に出た。
その岩場の一部から、煙のにおいは漂ってくると言う。
耳を澄ましてみると、子守唄のような声が聞こえた。
「悪い子。悪い子。都合の悪い子。みんな壺ん中入ってしまえ。おばあと一緒に狸を食おうや」
岩の割れ目からそんな言葉が聞こえてきて、娘と童は首を傾げた。
言葉は続く。
「そこん所にいる、悪い子供。おばあの家に招いてやろう」
その言葉を聞くと同時に、童の表情が虚ろに成った。
娘が止める間もないまま、童は岩の隙間からその内側に入って行ったのだ。
勿論、娘も後を追いかけた。
岩の隙間は、子供か、体の小さな老人が入れるくらいの広さがあった。
娘は、右肩を前にして、岩壁に引っかからないように歩を進める。
小柄な童は、何も気にしていないように、すたすたと先を進んだ。
獣の毛皮が剥ぎ合わせられた帳を避けて、童はその向こうに行く。数秒と違わずに娘もその向こうに踏み込んだ。
途端に、火で温められた空気のにおいがした。
白髪の混じる茶色の長い髪を、頭の後ろの方で団子に結った老婆が、囲炉裏に不思議な匂いのする草の葉をくべていた。
「悪い子が来たねぇ」と、老婆は童を見てにっこりと笑む。その口元は、歯が不ぞろいに抜けていた。
「お前は、どんな罪を被ってきた? トトに殴られたか? カカに怒られたか?」
童は、何も言えないまま、首を横に振った。
老婆は、フンと鼻を鳴らし、「命を食って来たか」と述べた。
「貴女が、山姥?」と、娘は尋ねた。
「そう呼ぶ奴も居るなぁ」と、老婆は答える。「唯の、山で暮らしてる、おばあだけど」
娘は疑問を問う。
「子供を集めて、何をしているの?」
「何もしちゃおらん」と、老婆は答える。「親の都合に悪い子供を、壺ん中で飼ってるだけだ」
そう言って老婆の指さした物は、光にあてると硬化する粘土を使った、手捻りの質素な壺だった。
その壺の中からは、大勢の子供がはしゃぐような高い声が聞こえてくる。
「みんな毎日遊んでる。時々、壺ん中から出してやるんだ。そうすると、『おばあ、おばあ』って言って、古語りをねだりよる。それが可愛いてなぁ」
どうやら、茶屋の娘が話していたより、ずっと温厚な人物のようだ。
間違えても、「人喰い」ではない。
警戒を緩めかけた娘に、老婆は言った。
「お前が、この子に『魂喰らい』を教えたのか?」
娘は顔を緊張させ、言葉を迷ってから、「それが、この子の『力』だと思ってた」と答えた。
老婆は言う。
「『力』は確かだ。しかし、使っちゃならん『力』もある。食っちゃならんものもある。その判別が必要だ」
老婆は、童を手招いた。
娘が「セツヒ」と呼んだが、童は、躊躇する様子もなく老婆の傍らに座した。
「お前達には、まず古語りを聞かせてやろう」
老婆は語り始めた。




