第十四話「山の主」
突風が木々を揺らし、唯ならない量の雨が叩きつける。雷が木の一本を打ち抜き、耳をつんざくような音を立てた。
蓑を着ていてもずぶぬれになってしまった娘と童は、岩壁の凹みの中に身を寄せていた。
岩屋と言うには少し狭く、辛うじて雨を避けて横たわれるくらいの広さしかない。
「物凄い嵐だね」と、娘は蓑を脱いでばさりと振った。雫が、ビシャッと壁に飛ぶ。
「火を熾すか?」と、童も蓑を振りながら、尋ねる。
娘は考えてから、「薪が無いからなぁ」と呟いた。
童は、濡らさないように守っていた霊符を取り出す。
「薪が無くても、狐が火を熾せる」
「それは、やめておこう」と、娘は目を閉じて天を仰いだ。「誰かに見られたら、私達が化け物だと思われる」
童は、それもそうだと納得した。
嵐が去った頃、明け方の空を見ながら、娘と童は眠り込んでいた。
「おや」と、誰かの声がした。老人のような声だった。「龍の子か。珍しい」
夢現にその言葉を聞いて、娘は素早く身を起こした。
白い髪と髭を長く伸ばした、赤い顔の老人が、まだ水たまりの目立つ地面の上に、浮いている。
山伏のような服装をして、背には鷹の羽があった。
「貴方は……」と、娘は口ごもり、相手が不思議そうに首を傾けるを見て、「誰?」と聞いた。
「ここらの山の主をやらせてもらっている」と、赤い顔の老人は言う。自分の着物の裾を引っ張り、空中で一回転する。「どうだ? 流行りの着物は、見た目が良かろう?」
「はぁ」と、娘は相槌を打った。
そのやり取りを聞いて、童も目を覚ます。目をこすりながら体を起こし、赤ら顔の老人を見た。
「天狗だ」と、童は述べた。
「天狗?」と、娘は聞く。「でも、鼻が長くない」
それを聞いて、老人はカラカラと笑った。
「そこまでお伽話には倣えんわい」
天狗が持ってきてくれた、濡れていない薪に火をつけ、娘と童は服を乾かした。
その火で、天狗はヤモリを焼いて食べ始める。
「お前達も食べるか?」と、幾つか焼いている串の一つを渡してくる。
「ヤモリって、食べ過ぎると……」と、娘は、眉間に皴を寄せた。
天狗はまた大笑いする。
「一匹くらい食べても、精がつくだけだ」
そう言われて、娘と童は一串ずつ、黒焼きヤモリをもらった。
天狗の方は、二匹三匹と、もりもりとヤモリを食べる。赤い顔は色が変わったりしないが、酔ったように、とろんとした目になった。
「うむ。体が温かい」と、満足そうに天狗は腹を叩く。「年を取ると、冷える事ばかりだからのう」
童は、「昨日の嵐は、貴方の?」と聞いた。
天狗は面白そうに、にまりと笑み、「学のある童だ」と褒めた。
娘と童の着物と蓑が乾いてから、天狗は昼間の山中に二人を招いた。
途中に、川があった。
何処からか竹の銛を取り出し、天狗はそれを投擲する。
川の底に突き刺さった銛を持ち上げると、川魚が捉えられていた。
魚を数匹獲ってから、天狗は古い山間の神社に、娘と童を連れて行った。
大きな社は、人が数名住めそうな様子だ。
「此処がワシのねぐらだ。祀り立てる者はおらんが、時々奉納品は上げられる」
そう言って鳥居をくぐり、「おーい。帰ったぞう」と、社の中に声をかける。
「じいちゃ」と、小さな童子が現れた。真っ黒な髪と着物に、黄色い帯が鮮やかだ。
童子は、にっこりと笑み、「しゃかな、とってきたか?」と聞く。
天狗は童子の頭を撫で、「おお。焼いて食おう」と答える。
童子は、魚が刺さっている銛を受け取り、数を数え始めた。
「この子は?」と、娘は聞いた。
天狗はすぐには答えず、「ミズチ。炉に薪を用意してくれ」と、童子に声をかけた。
「ひゃい!」と、片手を上げてしっかり返事をし、童子は慣れた様子で社の裏に行った。
幼子が居なくなってから、天狗は声を潜める。
「あれも、奉納品だ」
聞くに、数月雨が降らなかった年に、赤子が供物と一緒に、社に置かれていたらしい。
天狗は赤子に、雨を呼ぶ精霊の名を名付けた。
焼いた魚を四人で分けると、腹がいっぱいになった娘と童は、眠たくなってきた。
眠りに就いて早々に起こされたので、まだ疲れが残っているのだ。
「ミズチ。茣蓙を持ってきてやれ」と、天狗は申し付ける。
また、童子は「ひゃい!」と元気よく返事をすると、社の奥から、二枚の茣蓙を取り出してきた。
娘と童は、体の上に茣蓙をかけてもらい、夕方までぐっすりと眠り込んだ。
ミズチは、まだ眠っている娘と童を、珍しい物を見るようにじろじろと眺めた。
二人の髪の毛にちょっと触れ、「まっしろ」と言う。「じいちゃ。このひとたちも、てんぐ?」
老人は、孫をあやすように、童子に声をかける。
「いいや。龍だ。どうにも、人の血と龍の血を、どちらも持って居る者のようだな。娘の方は、人に近いが、童の方は、龍に近い」
「へえ」と、ミズチは、眠っている二人を見ながら答える。「おにんぎょおみたい。かわいいねぇ」
「市松人形は、どうなった?」
「また、ふえてた」
「またか」
そうやり取りをして、天狗は面倒くさそうに、社の周りにある外廊下を、裏に回った。
其処には、髪がぼさぼさに伸びている市松人形が、無数にある。
「鋏で切りゃ良いものを」と、天狗は呟いた。「なーんで、ワシの所に持って来よるのか」
後からついて来た童子が、「ぱちぱちするか?」と、糸切り鋏を片手に、聞いてくる。
「おお。綺麗にしてやってくれ」と、天狗は請け負った。
とっぷりと夜が更けてから、人の歩く気配に、娘は目を覚ました。胸から、茣蓙が滑り落ちる。
「起きたか。鹿肉は食うか?」と、社を覗いた天狗は言う。
「食べたことないけど、食べてみる」と、娘は答えた。それから、傍らの童を揺り起こした。
社の裏にある炉の中で、解体された鹿の肉が焼かれていた。
「じゅうううううう」と、ミズチは、炉の前ではしゃいでいる。「じゅうううううう」
天狗はその様子を見て、「ほう。良く焼けておるな」と声をかけた。
漂ってくる肉の香りに、娘と童の腹の虫が疼く。
天狗が炉を覗き、「もう良いだろう」と言って、どうやら子鹿と見える動物の肉を取り出した。
ミズチが、「あちあち」と言いながら、糸切りバサミで肉を捌こうとしたので、童は懐刀を差し出した。
ミズチは、良く磨かれている白刃を見て、溜息を吐いた。
「こえ、きれるか?」と、聞いてくる。
「鋏よりは切れる」と、童は答えた。
塩のかけられている肉に歯を立て、一口分を食いちぎる。両手も口元も、脂でベタベタになったが、不快感より、食うものが美味いと言う快感の方が重要である。
しかし、一通り施しを受けてから、娘はちょっと思った。
何で、この天狗は、私達にこんなに良くしてくれるんだろう。
そこで、聞いてみた。
「貴方には、何をお礼すれば良い?」
天狗も、鹿肉を咀嚼しながら、考えたようだ。
「礼か。まぁ、ワシも、幾つか必要なものやことがある」
「それは何?」
「まず、ミズチの行き先だ。ここの暮らしは、幼子には辛すぎる。特に冬はな」
「うん」と、娘は頷く。
天狗は続けて言う。
「次に、此処に持ってこられる、人形達を何とかしてやってほしい」
「どう言う事?」
「そこに見えるだろう。あの市松人形達だ」
天狗が見た外廊下の端に目をやると、おかっぱに髪を整えられた、数十の人形が、真っ黒な眼でこちらを見返している。
「魂が宿ってる」と、娘は見抜いた。
「そうだ。あいつ等を、どうにか昇天させてやりたい。今の言い方だと、成仏させてやりたい」
天狗はそう言って、また鹿肉にかじりついた。




