1話 フレデリクの新生活③
~帝暦250年2月 ローゼンブルク帝国フェルトブルク皇領ヘレントル市~
貴族街で最も西にある巨大な建物であるルミヤルヴィ邸は、フレデリクは学校の教科書を手に入れると予習を始めていた。
「そうやって私に勝とうとするリッちゃんが狡いと思う」
アレクサンドラはフレデリクの背中に後ろから抱き着くように引っ付いて肩の上に顎を乗せていた。
「試験で怪しいのがいくつかあってさ。師匠の言っていた内容と違っていたりするから正しい歴史ではなく、正式な歴史を覚えないと拙いから」
「ミロン様とは連絡取れたの?」
「向こうについているかも分からない。僕らと移動するときは結構時間にきっちりしてたけど、自由な旅になるとあっちこっち移動するらしいから、エルフの森に直接帰ってないかもしれない。一応、連絡は取るけども夏の挑戦には間に合わないかも」
「ふうん」
すりすりとアレクサンドラはフレデリクの頬に自分の頬を摺り寄せる。
「さっきからくっ付き過ぎなんだけど」
フレデリクは3年も放置して世界を旅した後ろめたさがあるから文句を言い難い。が、周りに人がいなくなるとくっつき過ぎてどうしたものかと思っていた。
「3年の間に補給してなかったリッちゃん成分を補給中なんだよ」
「3年補給しなくて大丈夫なら、いらなくない?」
「あと少しでリッちゃん切れで死ぬ所だったの」
「リッちゃん切れの前に死ぬ所だったよね?」
まさに内乱で死ぬ所だったアレクサンドラに呆れたようにフレデリクは溜息を吐く。
だが、フレデリクが注意をしてもアレクサンドラは離れそうになかった。
ルミヤルヴィにいる間はジルフィア、レーア、サラが長居していたので、昔の様にくっついてくる事は少なかったが、この屋敷に来てからは二人でいる事が多いので、こんな感じだった。
確かに幼い頃は二人でいるよく一緒にいたし手を繋いで一緒に行動する事も多かった。こんなにくっついたりはしなかったように思うが、くっついて一緒に遊んだこともあった。が、問題なのは別の事だった。
3年の月日は大きい。育ち始めていた11歳のアレクサンドラはフレデリクに何か拙い気にさせる危険さを感じさせていたが、14歳のアレクサンドラは育ち過ぎていた。
シルッカもだが、ルミヤルヴィは寒いため、ふくよかな女性が多い。
貴族女性は節制をしているから、往々にして痩せている人間が多いから、結果としてルミヤルヴィの貴族令嬢はスタイルが良い人が多い。
フレデリクの記憶ではアレクサンドラの胸の大きさに至っては、既にヴィフレアの娼館で面倒を見てくれたお姉さんを遥かに凌駕する程育っていた。背中に当たっている感触的に、明らかにシルッカよりも大きい。
「あの、離れてくれない?」
「ふっふっふ。しってるよ」
「何を?」
「何を?男の子はおっぱいを押し付けると喜ぶって」
「確信犯で娼婦の真似事は辞めてください」
グリグリ背中で動かす柔らかい攻撃を仕掛けるアレクサンドラに対し、フレデリクは涙目で訴えるのだった。
「むー。娼婦の真似事って娼婦がどういう事をしてるのか知ってるの?」
「あ」
フレデリクはしまったと失言だった事に気付く。
ジトリとアレクサンドラが見て来るものなので、フレデリクは溜息を吐く。
「まあ、隠す事でもないか」
そう、隠しておきたかったのは自分が女装した過去である。
フレデリクは、目の前の主が自分を女装させようとする悪の勢力では無いので、話してもそれが悪い事にはならないと考える。
「ヴィフレア王国で暗殺ギルドの調査任務をする為、とある娼館に潜入したんだよ。女将の協力を受けて、師匠は楽器の先生として、アルノルトさんは用心棒として、レオンさんは客として娼館に入ったんだ」
「リッちゃんは?」
「娼婦見習いとして女装して」
アレクサンドラはそこで何でフレデリクが隠す必要もないけど言いたくなさそうだった理由を理解する。フレデリクは女装をするのが嫌いで、女装した過去を話したくなかったからだ。
「まあ、あの娼館ってヴィフレアでも最高級娼館で、体ではなく、芸を売るんだよ。貴族や皇宮の高官、大商会の商人とかの接待にも使われる場所でね。何せ、体を売ったら安くなる。とことん高値に釣り上げて買わせるんだって話だからね。帝国でいう所のクラブの歌姫とかそういうのに似てるかな。娼館ていうより歌姫候補生になったようなものかな?」
「歌ったの?」
アレクサンドラは幼い頃から一緒に教育を受けて来たからよく知っている話であるが、神童と呼ばれ何でもできるフレデリクが苦手なのが芸術面である。
歌えば楽譜通りの情緒のない棒読み歌、絵を描けばただの写実画、芸術教師に『フレデリク殿は上手いんですけどねぇ……』と苦笑いをさせてしまう芸術センスが全くなかった。
フレデリクが目を輝かせて自分を見るアレクサンドラに、何を言いたいのか分かっているので首を横に振る。
「いやいや。歌だけじゃなくて、いろんな芸を売るから。歌姫は例えだよ。お偉いさんの政治の話さえついていける話術や知識も必要だし、何かしら芸が必要な高級娼婦だからね。芸術だけじゃなくて貴族のたしなみ全般を芸と呼ばれていたんだ。僕が主にやったのはチェスだったり、政治の話についていく知識かな。実際、僕がいた間でも貴族の愛人として身請けされた女性もいるし、それを買う人も莫大な資産を持っていた。そこで買うのは一種のステータスなんだ」
「へぇ」
「……まさか、ヴィルヘルム様に教わった内容があんな所で役に立つとは思わなかったけど。ただ、一つだけわかった事がある。父さんがアマゾネスの里から逃げて出てきたという理由だ。………女社会は恐ろしい」
「リッちゃん……」
呆れた視線を向けるアレクサンドラだった。
「向こうのトップだったお姉さんだけ事情を説明して協力してもらったけど派閥とか上だの下だのに気を遣わないといけないのが凄く面倒。白狼騎士団の方が楽だった」
「女社会は大変なんだよ」
学園の女社会においてジルフィアと共に上位序列のアレクサンドラが言うと大変さが何となくわかるのだった。
「それはそれとしてどいてくれない?」
「リッちゃんが雄になるまでおっぱいを押し付けると良いって学校の友達が教えてくれてたの」
「こんちくしょう!人の主にビッチな方法を教えたのはどこのバカ女だ!」
フレデリクは女社会は本当に恐ろしいと頭を抱えるのだった。
「リッちゃん。友達を悪く言うのはダメだよ」
「僕がいう事じゃないけどね。貴族と平民が仲良くなるのは良いけど、貴族は貴族の血の尊貴があるから、そういう部分に関しては馴染んだらダメだと思うの」
「むー」
「むくれないの」
フレデリクは、頬を膨らませるアレクサンドラの頬を突いて苦笑する。
「リッちゃんは分かってないよ」
「何が?」
「ルミヤルヴィは後継を第一にすべきだと思うの。学校よりも子供なの。リッちゃんは色々と励むべき」
アレクサンドラはフレデリクの上で馬なりになってピッと指を立てて自分達の立場を明確にする。
「アーちゃん。後継を第一にすべきなら、まずアーちゃんは子供を産むには体が華奢で危ないから、もう少し大人になってから励むべきだよね。エメラルドブロンドの女性は産みにくいとは分かっているけども、頑張っても10年の1人位だって話なら、10代から20代後半までなら、体さえ無事なら2人は産める可能性はあるのだし」
「むっ」
「マルヤーナさんが今の状況で焦る気持ちも分かるけど、それで無理してアーちゃんが産めなくなったら問題だよね?実際、ウチの母は難産で僕しか産めずに体を壊したわけだし」
フレデリクは息子の前でもイチャイチャしてた両親が二人目を産まなかった理由が、自分を産む際に難産で子供がそれ以上望めなくなったと知ったのは10歳くらいの頃だった。弟や妹が欲しかったなぁとぼやいた際に母がボソッと口にして初めて知った事だった。
だが、よくよく考えると皇族としてもっと子供を産むべきだったのだから、母としても苦しかったのだろうと、今になって思うのだった。
「でもね、ルミヤルヴィでリッちゃんは全然遊んでくれなかったし」
「遊ぶって……」
「お姉ちゃんのお仕事のお手伝いをしてるのは知ってたけども」
「領主様の引継ぎ不足をフォローしてただけだよ。ルミヤルヴィの領主として表向きの顔だけしかマルヤーナさんやアーちゃんに教えてなかったから。僕らは汚れ仕事とかも教わっているからそういうあれこれをマルヤーナさんやヤーコブさん達家令や執政部署と共有する必要があったんだ。トビアス様の存在の大きさが………」
「ヘレントル高等学園の首席卒業だから」
「母さんも父さんも卒業前にどろんと消えて首席を逃したんだっけ?」
「小母さんは卒業して逃亡したから、首席だよ」
「どういうガッコなんだろ」
「様々な学業機関の入った高等学校だから。冒険者に高等学業機関がある事に違和感があるけど、ここを出れば冒険者ギルドの受付とかギルドマスターとか職員になりやすいらしいし」
「なるほど。確かに……」
意外と考えられているな、とフレデリクは頷く。
実際、各部署にあるギルドマスターは、仕事上、腕力自慢の冒険者を押さえつける必要もあるので冒険者として功績がある者が引退して収まるのが通例だ。だが、冒険者上がりで事務方になれと言われても無理な話だ。
職種が違い過ぎるのだ。喧嘩ばかりをしていたならず者にいきなり商会長を任せても出来るはずがない。
引退した冒険者がなるにはギルドマスターという仕事はハードルが高すぎるのだ。だが文官の仕事を高等学校で習って冒険者になれば、引退後はギルドマスターになりやすい。
冒険者ギルドは世界的な公的機関で他国にも渡りやすいから、ローゼンブルク以外の貴族の嫡男が敢えて冒険者になって世界を見て学ぶ者もいるという。実際にフレデリクは様々な立場の人間とあって来た。
「そう言えば旅をしている途中で妙な事をギレネで聞かれたんだよ」
「ギレネで?」
「うん。女王陛下…ええと、ヘンドリカ様の姉君だとは思うんだけど」
「うん」
「僕の眼を見てラオウルの子孫かと」
「あー」
アレクサンドラは納得したように頷く。フレデリクは首を傾げていた。
「実はその疑惑はお父さんも気付いて調べてたの。ただ、ラオウルと連絡が取れないらしくて」
「え、そうなの?でも何でまた…」
「お父さん、ラオウルと一緒に旅した時、アマゾネスの秘境に一緒に入った事があるんだよ。ヴォルフ様の故郷」
「そう言えばそういう物語もあったね。ラオウルはアマゾネスたちと戦い勝利し、最も強き乙女と交わり双子の男女を成した、と」
「そんな感じの話。その双子の子供をお父さんは見ていて、男の子の方がヴォルフ様にそっくりだったって。アマゾネス部族にしては色白で、銀の瞳をした子供。アマゾネス部族は女ばかりが生まれるから凄く珍しいらしくてね。ほぼ確信していたみたい。だから自分の子供のようにかわいがっていたみたい」
「マジ?父さんがラオウルの子供?」
フレデリクは目を丸くする。
「ただ、お父さんは重要な事を最初の手紙で書いてしまった事を失敗したみたい。メルシュタイン王国って次の王様が決まらず、権力争いで貴族同士の派閥争いが厳しいらしいから」
「どういう事?」
「基本的に王様に渡される手紙は検閲されるでしょ?お父さんの手紙を、誰かが握りつぶしてる可能性があるみたい。メルシュタイン王の次の候補になりえるから」
「父さんが?」
「何せラオウルは、俺より強い息子がいれば、そいつが次の王だ、だなんて公然と口にしてしまったから」
「あー」
帝都の英雄ヴォルフ・ズワールトであれば英雄王ラオウル・メルシュタインに勝てる可能性はある。
三大英雄であり共に冒険をした事もあるラオウル、フェルディナント、ヴィルヘルムの3人であるが、ラオウルの息子が出奔し、フェルディナントに剣を習い、帝都の英雄となりヴィルヘルムに貴族としての作法を叩きこまれる。
何という胸熱展開!?
フレデリクは一読者としても中々に都合よすぎる奇蹟のような展開である。
「本の続きとしては中々に面白い展開だけど、盛り過ぎだよ」
「物語の話じゃないし、リッちゃんが当事者だよ」
「そうだった」
「平民として育てたいと言っていたけど、小父さんも小母さんもかなり無理がある立場だったから。小父さんはいつでも永代貴族になれるのに、敢えて一代限りの名誉貴族にとどまっていたし、金剛級冒険者ってそういうものでしょ?」
「あ」
そう、父はいつでも貴族になれるだけの成果を自ら手にいれていた。フレデリクをだまし続けるには無理があり過ぎる立場だった。
「騙されていた訳では無いのだけど」
「知ってるよ」
両親の隠し事触れない方が良いと幼い時分に気付いて触れなかったのだ。敢えて騙されていたのだから。だが、あんなことになるならさっさと知るべきだったとも今は思う。
火竜王による人類虐殺はあまりにもイレギュラー過ぎる事件だった。
***
そして、やっとアレクサンドラの攻勢に対して、話しをずらして逃げ延びたフレデリクだったが、風呂場で全裸襲撃を受けて女の子のような悲鳴を上げたり、夜這いにあったり、幼馴染兼婚約者に本気で貞操の危機を感じる振り回され方をして学園入学までを過ごす事になる。
せめてもの救いが、本人にその経験が無いから何をすれば良いのか分からない事だけだろう。フレデリクの自制心だけが命綱になっていた。
フレデリクが何故知っているか?それは娼婦見習いとして実際にお姉さんが客として来ながらも情報共有の筈が、娼婦のお姉さんとがっつり行為におよんでいる双刃の勇者の実践性教育を目の前で見せられたからだ。




