5話 フレデリクとアレクサンドラの絆
フレデリクがロイエンタールを殺害してから二日となる。フレデリクは部屋に閉じこもって食事もとらずにいた。家族も心配しているし、城に遊びに来なくなったことでアレクサンドラも心配するようになった。
「リッちゃん来ないね」
「そうね」
「リッちゃんいないとつまんない」
机にぐてぇと体を寝かしてアレクサンドラは暇そうにする。
「一緒に本を読むだけでしょうに。もう少し遊んだりしないの?」
「お城のお散歩?」
「それもそうでしょうけども」
マルヤーナはマイペースな妹に苦笑する。
「リッ君、家で引き込んじゃってるみたい。ザシャさんも困っている様子だったわ」
ヘンドリカが姉妹の方にやって来てフレデリクが来ない理由を説明する。
アレクサンドラの話した内容を聞いたのはヴィルヘルムとヘンドリカのみで、ヴィルヘルムは事情を聞くと直にマルヤーナにも伏せた。
外で口外できない話であり、まだマルヤーナも11歳と子供だったからだ。
まさか5歳の妹が30代の貴族に犯されかけたなどというとんでもない話をするわけにもいかない。それはアレクサンドラにも口をつぐむように徹底されていた。
ヴォルフだけに話をして内々だけで済ますとヴィルヘルムも説明した。ザシャには事情を説明しても、ヴォルフが殺したという事で世間には通すと話した。
フレデリクが何で引きこもってしまったかは事情を知ったザシャやヴォルフも分からなかった。
「マルヤーナ様、勉強のお時間ですよ」
「って、トビアス。ビクッとするから。それに、そういう言い方やめてよね。執事に言われたのかと思っちゃうから」
「分かった分かった。だから勉強行くよ」
「もう、意地悪なんだから」
マルヤーナはぷりぷり怒りながら勉強部屋へと向かうのだった。
「トビアスお兄ちゃん。リッちゃん来ないよ」
「うん、そうだね」
「何でだろ?」
「………僕には分からないよ。でも、あの子は医者の子供だからね。自分のしでかした事を恐れたのかもしれないね」
アレクサンドラはトビアスにも伏せられている筈なのに、まるでフレデリクがやった事を知っているような口ぶりだった。
「?」
「マルヤーナ様には内緒だよ。状況を聞けばある程度は分かるさ。貴族はね、そうした方が良いなら、そういう方に持っていく。だから僕はそのように振舞ってる。ザシャ様も僕と同じできっと知っていて知らないふりをしている。そういうやり方をよく知っていて上手く騙されてくれる。でも純粋なフレデリクは如何かな?お母さんを騙し、お父さんに罪を押し付けてしまっている状況に堪えられるかな?あの子は最後まで何も言わなかった。僕は何かに怯えているように見えたけど」
トビアスはアレクサンドラに説明をする。トビアスは非常に物事をよく見て分析し理解する。ヴィルヘルムが最高の後継者として育てているだけはあり、状況を見て全てを分かっていながら、知らないふりをしてくれている。
トビアスはにこりと笑ってアレクサンドラの頭を撫でる。アレクサンドラは相談したくても口にできなかった。
「アレサ様はやっぱり聡いね。ヘンドリカ様に聞いてみたらどうかな?」
「うん」
アレクサンドラは頷いて母の方へ走っていくと、トビアスはその場を去り、マルヤーナを追いかける。
「お母さん」
「何?アレサ」
「リッちゃん来ないの」
「そうね。どうしたものかしら」
「私が悪いの?」
「そんな事無いわよ」
「でも………ありがとーって言いたかったの」
「ふふふ。そうね。お母さんもお父さんと出会った頃、ずっとそうだったから」
「そうなの?」
「お母さんもギレネのスタンピードで大変だった時だったわね。お父さんが颯爽と助けてくれたの。子供だった私はずっとお父さんにお礼を言いたかったけど、私はお姫様で、容易に冒険者にお礼なんて中々言えなくて。私にとってお父さんは私の騎士様だったのよ」
「騎士様?」
「そう。きっと、アレサにとってリッちゃんは初めて助けてくれた騎士様なのね。ありがとーって言いたいなら直接会いに行っては如何かしら?アレサは私と違って誰も外に行くことを止められてしまう自由な身なのだから」
「んー。………行ってきます」
「護衛をちゃんと連れて行くのよ」
「うん」
ダーッと走り出すアレクサンドラにヘンドリカは苦笑する。
「うん、じゃなくて、はいでしょう。全く」
ヴィルヘルムは苦笑しながらそこに現れる。
「アレサは出かけるのか?」
「リッ君にありがとうって言いたいらしくて」
「あの子は外に出たがらず、こっちが心配するほど、ずっと家の中や書庫にいたからなぁ。悪い変化ではあるまい」
「そうですね。ザシャさんもリッ君が閉じこもっちゃって困っているそうですが、あの子は会えるでしょうか?」
「どうかな。ルミヤルヴィとしての教育はしても、そこら辺のコミュニケーション能力はさっぱりだからなぁ」
変わり者の娘にヴィルヘルムは苦笑する。
***
「困ったわ」
フレデリクの部屋の外で溜息を吐くザシャは息子に話しかける事も上手く出来ず困惑していた。
「リッ君、閉じこもったままですね」
「ヒルダちゃんはどう?」
「全然、話も出来てないです。返事もありませんし」
「無理やり部屋に入って布団をはぎ取っても丸くなって、人の眼も見やしない。今までこんな事無かったから」
「そうですね」
二人でうーんと考え込んでいた。
「怖い目にあったからでしょうか?」
「分からないわ」
ザシャは首を横に振る。ヴォルフが殺した事にしたが、それを真実だと言う風に振舞っている。だが、真実を知っていたとしても、フレデリクにどうフォローすればいいかは分からなかった。何も話してくれない。
「患者を励ます言葉を掛けられても子供を励ませないなんて母親失格ね」
「そんな事は無いです。リッ君はお母さんもお父さんも大好きで、多分、ご両親が自慢だから…。その…そんな事は無いです」
ヒルデガルトは落ち込むザシャを励まそうとする。そのヒルデガルトの言葉が逆にザシャにとってのヒントとなった。
もしかして人を殺してしまったから私達の眼を見れなくなるくらい落ち込んでるの?
ザシャは顔を上げると同時にカランコロンとチャイムが響く。
***
ザシャが玄関を出るとアレクサンドラとその護衛と侍女が一緒について来ていた。
「リッちゃんいますか?」
「アレクサンドラ様。どうしてここに?」
ザシャは驚いた様子で目の前にいる小さな来訪者に驚いていた。
「えと、その、リッちゃん来ないから、迎えに……」
少女は侍女の背中に体を隠しながらも顔だけ出してザシャを見上げる。
「ありがとうございます。でも部屋から出てこないのです………」
「ええと、その、……会えますか?」
「部屋の鍵は開いてるから会えるけど……布団に潜り込んでるから。入っても構いませんよ」
「えーと、お邪魔します」
アレクサンドラはおずおずと中に入る。護衛の男と侍女は大げさな位頭を下げており、それにアレクサンドラは気付かずに家に入る。
アレクサンドラは、ザシャに連れられてフレデリクの部屋の前に立つ。部屋のドアを開けると布団に潜り込んで出てこないらしいフレデリクがベッドの上で丸まっているのが見える。
「リッ君もう食事も食べてないから心配でねぇ」
ヒルデガルトがぼやく。
「えーと、うーんと……」
犯罪者たちを倒したのを知っているのはアレクサンドラ以外で言えばヴィルヘルム、ヴォルフ、ヘンドリカだけだと言う話だ。ザシャとトビアスは察しているらしいが、言いふらすのはダメだと言われていたので、アレクサンドラは如何しようと困ってしまう。ありがとうを言いたけど皆の前で口にしてはいけないのだと気付く。
「んー。リッちゃんにお話しするから聞いたらダメだよ?」
アレクサンドラはちょこんとフレデリクの部屋を首だけ出してのぞき込んでから後ろにいる大人達に注意する。そんなかわいらしいお客様にザシャは苦笑する。
「分かりました」
ザシャは頷き耳を塞ぐように手を耳に当てる。
その様子にアレクサンドラは満足そうにうなずいて中へと入っていく。単純な子供の様子に大人達はフレデリクの方へと向かう背中を見送り小さく苦笑する。
「リッちゃん。おうちに来ないの?」
ゆさゆさとアレクサンドラは布団の中に潜っていたフレデリクはビクッと反応して恐る恐る布団の中から顔を出す。
「あ、アレクサンドラ様」
「アーちゃん、でしょ?」
プクッと頬を膨らませてアレクサンドラはフレデリクに言い聞かせる。フレデリクはコクコクと首を頷かせる。
「アーちゃん」
「リッちゃん、おうちに来ないの?」
「………」
「あのね、ありがとーを言いに来たの」
ベッドに両手を掛けて顔を見合わせてアレクサンドラは口にする。
フレデリクはモゾモゾと動き顔を出す。
「僕、悪い事をしたんだよ」
「?」
「だって………」
フレデリクは口を噤み説明できずにいた。
だが、アレクサンドラはその言葉に頬を膨らませる。
「悪い事なんてしてないよ」
「したの」
「してない」
「したの!」
フレデリクはアレクサンドラの言葉を否定してまた泣き出してしまう。
アレクサンドラはオロオロとしてしまう。ありがとうを言いに来たのに相手が泣いてしまっては話にならなかった。
「ぼく、お母さんに嫌われちゃう。人の命を救わないといけないのに、僕は人殺しなの。悪い子なの。おとーさんに悪い事をした事を押し付けて、おとーさんやおかーさんの子供なのに悪い子なの。気持ち悪いの」
フレデリクは泣きじゃくりながら懺悔をする。
フレデリクは隠さないといけない事に恐怖し、親の目を畏れていた。人を守る立派な騎士と人の命を救う医者の子供が人殺しをする悪い人間だと言う事実をフレデリクは恐れていた。
聞こえないと言いながらも、こっそりと聞いていたザシャは強いショックを受けていた。良い母であろうとしていた。フレデリクにとって自慢の母であった。立派過ぎる姿は息子にとって重荷にさえなっていたという事実に驚いていた。
「リッちゃんは悪い子じゃないよ」
「悪い子なの。狡い子なの。僕は僕が気持ち悪い。怖いよぉ」
フレデリクはまた激しく泣いてしまう。ザシャが部屋に入って駆け寄ろうとするが、アレクサンドラはフレデリクの顔を両手でつかんで
「リッちゃんは悪い子じゃないの!」
「でも……」
「リッちゃんは私の騎士様だから何も問題ないの」
「きしさま?」
アレクサンドラの言葉にフレデリクは鳴きながら言われた言葉に首を傾げる。
「あのね、リッちゃん。貴族はね皆の為に戦わないといけないの」
「アーちゃんが戦うの?」
「そうなの。………でも、私はおとーさんみたいに強く無いから」
フレデリクは鼻をスンスンと鳴らしながらアレクサンドラの話を聞く。
「リッちゃんは戦えなかった私の為に戦ってくれたの。だからリッちゃんは悪くないの。私の代わりに戦ったリッちゃんが悪い子なら、私はもっと悪い子なの。だからリッちゃんは悪い子じゃないの」
「?………でも……お母さんに知られたら捨てられちゃう」
陰でフレデリクの言葉を聞いていた大人達はギョッとして、ザシャは首をブンブンと横に振り、ヒルデガルトは苦笑していた。
「大丈夫。捨てられたらうちの子になれば良いんだよ」
「あーちゃんち?」
「そうだよ。リッちゃんは戦えない私の代わりに戦ってくれた騎士様だから。ホントは私がやっつけないといけないの」
「アーちゃんが?何で?」
「だって私はルミヤルヴィだから。ルミヤルヴィは皆の盾にならないといけないんだもん」
アレクサンドラはどこまで意味が分かっているか分からない事を口にするが、全てヴィルヘルムのルミヤルヴィとしての生き方の話をしていた。
「あ、危ないよ?」
「だからね。リッちゃんは悪くないの。騎士様がした事は全部私のせいだから。私を守ってくれた騎士様に私はありがとーって言わないとダメなの」
アレクサンドラはそう言ってフレデリクを見る。フレデリクはアレクサンドラが励ましてくれているのだと気付く。
「でも、騎士様はちゃんと私が悪い事をしたらメッてしないとダメなんだよ?」
「そうなの?」
「そうなの」
帝国騎士団は大貴族の領地に駐屯し、魔物や外敵から民を守り、悪行を働けば諫めるのが仕事だからその通りではあるのだ。
幼いフレデリクにはよく分からない事であるが、アレクサンドラは一生懸命励ましてくれているのだと分かる。
「……んー……。アーちゃん」
「?」
「ありがと」
フレデリクは重荷を下ろしたかのようにふにゃりと顔をゆるめて感謝を口にする。
ザシャはさすがはヴィルヘルム様の娘だと小さく音を鳴らさない拍手をし、付いてきた侍女はご立派ですとうんうん頷いていた。
***
暫くしてフレデリクはザシャに全部打ち明けて、ザシャは苦笑いをする。
びくびくおどおどしているフレデリクはアレクサンドラの手を握って、恐る恐る母親を見ていた。
「そんな事で怯えていただなんて馬鹿ねぇ」
「で、でも……人殺しだよ。悪い事だよ」
「フレデリク。あのねぇ。私はそこそこ貴い家に生まれた令嬢で、お父さんは騎士よ?」
「う、うん」
「誰かを守るという事は誰かを傷つける事。息子が身を守る為に人を殺した事を咎めてたら、私はとんでもない大悪党になっちゃうじゃない」
「そーなの?」
「これでも昔はアレクサンドラ様よりも貴い地位の女性だったんだから。大変なの。私はそこから逃げたけど、アレクサンドラ様は貴い地位の女性なのよ。だからね、褒める事はあっても怒ったりしないわよ。捨てられちゃうって、人を何だと思ってるの」
わしゃわしゃとザシャはフレデリクの頭を撫でる。
「でも………。お父さんが僕の代わりに……」
「何せ、今でこそ落ち着いてるけど、昔のお父さんなら弱い子供を襲うような大人がいたら、真っ先に叩き斬るような人なのよ?フレデリクがやらなかったらあの人がやったわよ。だから気にする必要ないの。子供なんだから、もっとお母さんやお父さんに頼りなさい。何があっても私達は貴方を見捨てたりしないわ」
「ん」
フレデリクは涙目で母親の言葉を聞いて頷く。
「よかったね」
「うん」
アレクサンドラが嬉しそうに笑い、フレデリクもつられて笑う。子供ながら全く表情を崩さないアレクサンドラが笑うのをザシャは初めて見た。
子供同士で過ごす事の大事さを知ったのだった。
***
その日の夕方、ヴォルフが帰って来るとフレデリクはパタパタと走って父親を出迎える。
「おとーさん。おかえりなさい」
「ただいま。今日は元気そうだな」
「うん」
ヴォルフは何かあったのか?という顔でザシャを見て、ザシャは苦笑で返す。
「リッ君、ヴォルフ様にお願いがあるんですって」
ヒルデガルトが苦笑しながらフレデリクの背中を押す。
「何だ?」
「えっとね。強くなりたいの」
「強く?」
「アーちゃんを守ってあげられる位強く」
「そりゃまた難しい事を」
ヴォルフはルミヤルヴィの信念を知っている。帝都の貴族を守るのとルミヤルヴィを守るのは必要とされる能力が格段に異なる。魔物を相手に民より先に逃げる事をしないルミヤルヴィを守ると言うのは、最前線中の最前線で戦わなければならないという事だ。民より先にんげる貴族なら守るのは簡単だ。だが、ルミヤルヴィを守るという事は自分が最後に逃げるという事だ。
トビアスが白狼騎士団や領軍の訓練に参加する事があるが、マルヤーナを守る為だと聞いている。トビアスはルミヤルヴィを守るという事を知っているのだ。気付けば11歳でありながら、白狼騎士団内でも一目を置かれる程の強さになっていた。頭もよく、将としての才能も認められていた。
謙虚で優秀、人の機微にも敏感で先輩達を立てるところもあり、気難しく貴族嫌いな騎士達に可愛がられていた。
正直に言えばトビアスは30歳くらいの経験あるベテラン位に落ち着きがある。ヴォルフとしては副官に欲しいと思わせる程の才能だった。ヴォルフがヴィルヘルムに欲しいと言ったら『やる訳ないだろ阿呆』と呆れられてしまうほどだ。
「難しいの?」
「帝都じゃろくでもない貴族の責務も果たさぬ者ばかりが幅を利かせてる。だが、ルミヤルヴィは違う。彼らは命がけで責務を果たす。帝都で貴族と折り合いの悪かった白狼騎士団のメンバーが忠誠を誓う程にヴィルヘルム様はしっかりしているし、マルヤーナ様もアレクサンドラ様もよく学んでいると思う。ルミヤルヴィの騎士になるってのは彼らが魔物に殺される前に自分が魔物と戦わなければならない。難しいってのはそういう事だ」
「でもね、ちゃんとアーちゃんを守れるようになりたいの。今の弱い僕は嫌だから」
「本気か?」
フレデリクは首を縦に振る。
「俺はやると言ったら徹底的にやるぞ」
「今回は弱い人達だったから良かったけど、お父さんより強い人に襲われても勝てるくらい強くなりたい」
フレデリクの言葉にヴォルフは破顔する。
フレデリクの後ろにいたザシャとヒルデガルトが微妙な顔をするのだった。
あの日、倒した騎士は帝国十剣の一人ラウズベッカーで決して弱くはなく、お父さんより強い人はこの世にいないと言えるほどなのだ。言っていることがかなり的外れだった。
でも、的外れであることを否定できないのは、事実を伏せてい為であり、そのせいで何も言えない大人達だった。
この後で、父との剣術の訓練が始まるのだが、勉強ができて、神聖魔法の天才だったフレデリクに、また妙な才能が発覚してしまうのは別の話である。




