2.嫁ぎ先の近くにある人間の町が滅ぼされてますけど……?
漆黒の空に月と星々が輝く下で、辺境の町ドラスは炎に包まれていた。
火の粉が舞い上がり、崩れゆく領主城と、かつては賑わいを見せていたはずの街並みが赤く照らし出されていた。
魔物たちの咆哮と逃げ惑う人々の悲鳴が響きわたり、恐怖と混乱が町を支配していた。
「逃げろ!」
と叫んでいた声も、今はもう聞こえない。
魔物たちは空を飛び、地を這いまわり、容赦なく人間に襲いかかっていた。無力な町の住人たちは、次々とその手にかかっていた。
木材が燃え爆ぜる音が、魔物の唸り声と混ざり合い、人々に絶望を植え付けていっていた。
燃え上がるドラスの町の向こうには、魔王城がそびえ立っていた。
漆黒の石造りの魔王城の上空には、紫色に輝く重たげな雲が浮かんでいた。城に出入りしている空を飛ぶ魔物たちのシルエットが、雲から放たれる稲光によって黒々と浮かび上がっていた。
まるでこの惨劇を見物しているかのような禍々しい魔王城は、その城の主こそが、この惨劇の根源であることを知らしめているように見えた。
わたくしはこれらをすべて、婚礼用馬車の窓から見つめていた。
崩れた石壁と倒木の間で、馬車が止まった。
白塗りに金の装飾がされているはずの豪華絢爛たる馬車の扉が、御者によって恭しく開かれた。
楚々とした水色のドレスに身を包んだわたくしは、御者の手を借りて、辺境領カエの地に優雅に降り立った。
「なんなの、ここ!? 滅んでるよね!? 滅んでる最中だよね!?」
わたくしは火の粉と炎に彩られている町と、その向こうにそびえる魔王城を見た。
辺境領カエは、魔王城前領とも呼ばれている。わたくしが普通に勇者として旅をしていたならば、旅の終盤になるまで来ないはずの場所だった。
御者が慌ててわたくしに木の棍棒を渡してきた。
このダリオン王国の王様がわたくしの旅立ちに際し、結婚祝いとして銅貨五十枚と共に渡してきた武器だった。……旅立ちではなく嫁入りだったはずだが、王様にそれを指摘した者はいなかった。
「ダメすぎでしょ!?」
わたくしは渡された木の棍棒を握りしめた。
こんな棒で身を守ることなんて、明らかに無理だわ。
魔物が強そうすぎる。
これって、わたくしの夫になる予定の魔王ヴァランタンがやってるんだよね!?
魔王ヴァランタンの方では、わたくしを娶る気なんて、まったくないよね!?
「がんばってください!」
「えっ!? なに!? がんばる!? なにをどうすればいいのよ!?」
わたくしは御者台に戻った冴えない中年男に訊ねた。この状況でこの男が御者台に戻る理由など一つしかなかった。
男はわたくしに銅貨五十枚の入った革袋を投げつけると、手綱を大きく揺らした。
元は軍馬だったという四頭の白馬たちは、瓦礫をものともせず力強く地面を蹴り、Uターンして王都への道を駆けて行ってしまった。
「なにここ、ひどすぎじゃない!?」
御者だって、ここにはいたくないだろう。
こんなところまで来させられて、御者の給料ではやってられないよね。
その気持ちはわかるよ、わかるけどさ……!
ちょっと待ってよ……!
「靴の勇者ってなに!? 靴じゃ戦えないでしょ!? せめて武器か防具にしてよ!」
手の中にある木の棍棒は、わたくしの目には、転生前にキッチンですりごまを作ったりする時に使った『すりこぎ棒』か、クッキーを伸ばすのにしか使ったことがなかった『めん棒』にしか見えなかった。
わたくしは地面に落ちている銅貨入りの革袋を拾い、袋の口を持って肩にかけた。銅貨五十枚は金銭的価値は低いのに、重量はかなりのもので、この荒くれ者スタイルでないと持ち運ぶのが辛そうだったのだ。
右手に木の棍棒を装備し、左手に銅貨入り革袋を担いだわたくしの前に、ポンッという軽快な音と共にステータス画面が開いた。
「いやいや、待ってよ! 違うでしょ!? 侯爵令嬢ですわよ! なんで本格的に戦わせようとしてくるの!? 無理だよね!?」
宙に浮いている緑色の半透明なステータス画面の最上部には、わたくしの名前。その下には『ジョブ:侯爵令嬢 レベル一』と書かれており、その下には無地の六角形が連ねられたスキルパネルがあった。
わぁー、靴の勇者だけに、スキルパネルがハイヒールの形になってるんだぁー……。ごめん、こんなところで遊び心を出して来られても、心が和む状況では一切ないんですけど……。
ステータス画面の最下部には、獲得スキルポイントという文字があった。スキルポイントは未獲得。パネルは一つとして開けられなかった。
「ジョブが侯爵令嬢!? 靴の勇者ですらないってどういうこと!? だいたい勇者じゃなくて、せめて聖女にしてよ! 立ってるだけで世界を浄化したり、教会でお祈りしたり、民に崇められたりさぁ! それならなんとかできそうじゃない!? 一つの世界に聖女が二人いたっていいよね!? 別に問題ないでしょ!?」
わたくしはどこかで聞いているはずの、会ったこともないし、いるかもわからない誰かに向かって問いかけ続けた。わたくしが職場への通勤中に読んでいたネット小説から得た知識では、だいたい女神などがおかしなスキルを付与するといったいたずらをしていたのだ。
「このステータス画面はどうやって閉じればいいの? バツ印は!? だいたい右上にあるよね!?」
わたくしには、なにをしたからステータス画面が開いたのか、まるでわからなかった。目障りだから閉じたいのに、閉じ方もわからなかった。
「称号は!? 記載されないの!?」
今のわたくしは、魔王と身分が釣り合うようにということで、年齢のさほど変わらない王様の養女となり、今や護国王女の称号を持っていた。ステータス画面には、この称号はまったく反映されていなかったが……。
「なにもかもおかしいよね!?」
わたくしは怒りに任せて、木の棍棒でステータス画面を叩こうとした。木の棍棒はステータス画面を突き抜けただけだった。
「危なっ! 壊したら詰むところだった!」
わたくしはステータス画面の無事を喜びつつ、左右を見た。誰もいない。
一陣の熱い風が吹き、わたくしのドレスのスカートを揺らした。
「あれ……? これって布の服……? 初期装備の布の服……? ああ、なんか思い出してきた! 絹のドレスとかいうのも、あった気がしてきた!」
わたくしは絹でできた豪華なドレスを見下ろした。守備力はあまりなさそうだったし、素早さは下がっていそうだった。
「先ほどから、なにを一人で騒いでいるのだ」
背後から声をかけられて、わたくしは勢いよく向き直った。
そこにいたのは、わたくしにおかしなスキルを付与した女神様とかそいういう存在ではなくて……。
炎の中から一人の精悍な男――、いや、男に見える魔物が歩いてくるのが見えた。
長い黒髪をゆるく一つに束ね、漆黒の瞳を持つその男は、腰にはなんの獣のものかわからない黒い毛皮の腰巻をつけ、黒い膝丈のブーツを履いていた。背負っている細身の長剣のベルトが、鍛え抜かれた肩から腰へと斜めに横切っていた。
火の粉が風に舞い上がり、炎がより強く燃え盛った。
男の彫りの深い整った顔立ちは、目と眉が近く、鼻筋は通っており、唇は適度な厚みだ。白い肌は魔族にしては人間に近いし、傷一つなく綺麗だった。
炎に照らされた魔物のその顔はあまりに美しすぎて、悪夢のように恐ろしかった。
焼け落ちるドラスの町の片隅で、靴の勇者であるわたくしと魔王ヴァランタン、二人の運命が交差した瞬間だった。




