学園祭 ここは譲れない
西館の保健室の前に駆けつけると、勢いよく保健室の扉を開け放った。その扉の音で、保健室の中にいた、ルコとベトアラ先生がこちらを見た。
「リリャちゃん!」
「ごめん、ルコ、心配かけて…」
「全然いいよ、それよりもキアちゃんが、急に倒れて…」
保健室の中に入っていくと、驚いたことに、そこには、ルコとベトアラ先生以外に、まだ四人の大人たちがいた。
一人目はハンナ先生だった。
「ハンナ先生」
「ごめんなさい、リリャさん、担任の私が彼女の危険に気付けなくて…」
ハンナ先生は、ひどく不安げな顔をしていた。
「いえ、ハンナ先生のせいじゃないです。それよりも、キアは…」
そう言ったところで私の目は二人目の大人を一瞥していた。そこには、この学園に九月に士官候補生たちを連れて、やってくる士官学校ラディアンスの教官である【ルミリウス・ラシュレー】教官が立っていた。ラシュレー教官は、アルトや、ベオレ、リヒセルたち鍛え上げる教育者だった。
そして、残る二人の大人は、魔法学園アジュガの先生たちだった。
すらっと背の高い大人の男性の方は、本名を【メドフィン・クロリッド】あの全生徒たちが恐れをなす、魔術専門のクロリッド先生だった。
すべてを見下すような顔、とても手入れされた長い女性のような黒髪に、闇に紛れるのには最適な黒衣を纏っている彼は、キアが眠るベットの傍の丸椅子に座っていた。彼は、なにか魔法を行使しているのか、ベットで眠るキアの右腕に自分の手をかざしては、その手のひら側がほんのりと輝いていた。彼は、その魔法に集中しており、私が来たことに見向きもしなかった。
そして、もうひとりは、クロリッド先生とは対照的な、おっとりとした雰囲気を纏った大人の女性だった。ただ、クロリッド先生と同じく、黒く長い髪はとても手入れされてサラサラと山の上流で静かに流れる小川のように清らかだった。ただ、そんな彼女の穏やかさとは打って変わり、彼女の肌は、外で運動して日に焼けたような健康的な褐色で、ツヤツヤと輝いていた。そんな、陰と陽どちらの美しさも持ち合わせた美人な先生は、【コトミ・アマカルス】先生だった。
だが、コトミ先生の方は、その目が固く閉じられていた。そして、彼女の手はキアの右手を握っていた。
「何があったの?」
「えっとね…」
私は、二人の先生を見るとルコに尋ねたが、彼女は自分が説明するべきではないと、保健室の先生であるベトアラ先生に目を向けて合図していた。
「キアちゃん、誰かに魔法を掛けられたみたいなの」
「魔法を掛けられた?」
「そう、【刻印】って魔法、習った?二年生はまだ、だったかしら?」
そこでハンナ先生が、二年生はまだですと言って会話に加わった。
ただ、私は、知識として、その刻印魔法がなんなのかは知っていた。
「術者が、対象者に刻印という魔法的な繋がりを付与して、その刻印を元に発動する魔法のことですよね?ただ、本で知った知識で、実際にどんなものかは分からないのですが…」
「うん、その説明で合っているわ、すごい、勉強したのね、立派です、リリャさん」
ハンナ先生は、大きく頷いて、とてもにこやかに笑顔を見せた。
勉強したわけではなかった。ただ、図書館通っている内にそういった魔法の初歩的な知識は、広く浅く自然と身についていくものだった。
「それで、キアはその刻印魔法を受けてどうなったのですか?」
私の質問に、ハンナ先生は再び真剣な顔に戻り言った。
「キアさんは、その刻印魔法で、強制的に眠らされて、夢の中にいます…」
「夢ですか?」
「そうです。だけど、普通の夢とはわけが違います。夢には、ある共通した空間があって、そこでは、現実と同じように夢の中を歩けるのですが、私も実際に体験したことがないからわからなくて、ごめんなさいね…」
そこで、隣にいたラシュレー教官が助け舟を出すように言った。
「夢の三段階構造というやつですね。夢には上層、中層、深層と三つの段階に分かれていて、普段、我々が眠りに着くと、意識が現実から夢へと落ちていき上層を通って、中層という階層で個人の夢を見ている、という考え方ですね」
私は、その説明を聞いて一度では理解できなかった。私が首をかしげて理解しようとしていると彼は続けた。
「今回、キアさんは、魔法で無理やり夢の上層に引っ張られたということになります」
「えっと…夢の中層が普段私たちが見ている夢で、その夢の上層だと、中層と何がちがうんですか?」
「いい質問ですね。最初に結論から言うと、夢の上層では、現実と変わらない自分がそこにいます。もっと具体的に言うと、目を開けたらそこには、薄明るい広大な空間にあなた自身が立っていることになります。つまり、眠って目覚めるとまったく別の場所に瞬間移動させられているといった感じですかね?そこは夢の中で、このことを知っている夢見学者たちなどが、夢の上層と呼んでいるわけです」
丁寧な説明だったが、その夢の中を体験したことがない、身からすると何を言っているか意味不明だった。いつも見たりする夢と何が違うのか?そんなことで、頭を悩ませているときだった。
『あれ、でも、私、そんな経験をどこかで……』
私は、そこで霧深い校舎の中で、出会った不思議なお兄さんのことを思い出した。
『あ、あれは、あれがもしかしてそうなの?』
私はそこでずっと気になっていたことへの答えを求めて尋ねた。
「あの、もしかして、その夢の上層って、現実と夢が重なっているみたいなことですか?目覚めた時、自分のベットの上で目覚めて、そこからちょっと現実とは似てるけど、違う世界に紛れ込んじゃうみたいな感じだけど、そこはちゃんと現実と地続きになっているような…」
そこまで言うと、ラシュレー教官は首を振った。
「それはおそらく中層の夢だね。つまりは、普通の夢の中の出来事だ。上層は、もっと空っぽで何もない場所で、現実の世界と重なったりはしていないんだ」
「そうですか…」
それでもあの時、私が体験した出来事が夢の中だったとは考えられなかった。そこには確かに自分があのくすんだ青髪の青年と校舎の中庭で出会って、それが地続きに今の現実に繋がっていたとしか考えられなかった。
「話しを戻すけれど、今、キアさんはその夢の上層に引きずり込まれているんだ。そして、それはとても危険なことなんだ」
「…なんで、ですか?」
そこで語り手が、ラシュレー教官からベトアラ先生に変わった。
「大げさに言うと、夢の上層で死ぬと、現実でも死ぬからよ」
「ッ!?………」
ショックのあまり言葉を失ってしまった。
「だから、今、キアちゃんを連れ戻そうと、コトミ先生が、キアさんの近くの夢の上層にダイブして救助に向かっている最中なの」
私はコトミ先生を見た。そこには、キアを連れ戻そうと必死な姿があった。
「じゃあ、コトミ先生も今、危険な状態ってことですか?」
「コトミ先生は大丈夫。他人の術で眠らされているわけじゃないから、それにコトミ先生は、結界術の専門家だから夢という不安定な場所でも、自分の領域をちゃんと保って戻ってこれるわ」
そこで私はクロリッド先生を恐る恐る見て、彼が行っていることをベトアラ先生に尋ねた。
「クロリッド先生は?」
「あっちは、刻印を掛けた魔法使いの追跡のために、キアちゃんが目覚めるのを待ってる」
「キアが目覚めると犯人の居場所が分かるんですか?」
「そう、クロリッド先生がキアちゃんに掛かっている魔法を調べた時、彼女がこの刻印を掛けた魔法使いを追跡できるような、魔術を体内に仕込んでいるのを見つけたらしいのよ、私も魔術は専門外だからさっぱり分からないけど」
そこで私は今度はクロリッド先生に尋ねた。
「見つけたらどうするんですか?」
クロリッド先生がそこでギロリと目だけで、私を見ると、静かに淡々と言った。
「捕らえて、騎士団に引き渡す。それだけだ。それと、お前たちは外に出て待っていなさい。魔法の邪魔だ」
「私にもできることありませんか?」
「おい、話しを聞いていなかったのか?邪魔になるから退室していろといったんだ」
「友達がこんな状況の時に、何もできないのは嫌です。せめて、ここで見守らせてください、一番最初に目覚めた彼女を安心させてあげたいんです」
鋭い眼光のクロリッド先生のその恐怖の視線があっても、私は一切目をそらさなかった。いつもなら、私でも怖くて目を背けてしまいそうなところ、キアの為、友達のためならと、少しもその目は恐くなかった。
「クロリッド先生、どうか、リリャさんを彼女の傍にいさせてあげてくれませんか?彼女たちも友達のことが心配なんです…」
ハンナ先生が助け舟を出すと、クロリッド先生は黙ったまま何を言わず、それを肯定だと受け取った私は、クロリッド先生たちとは反対側で彼女が目覚めるのを待った。そこに、ルコも私の隣に来た。
「リリャちゃん、手握ってるからね」
「うん、ありがとう…」
ルコに手を握られているのを見ると、彼女に微笑みかけて、また、キアが目覚めるのを待った。
すると、それからすぐのことだった、コトミ先生が目を覚ました。
「失敗ですか?」
クロリッド先生がコトミ先生に尋ねる。
「ええ、そもそも、彼女かなり強力な防衛魔法が働いてるみたいなので…」
「それって、どういうことですか?」
私が、横から口を挟んだ。コトミ先生は私がいつの間にいたことに「リリャさん!?」とびっくりしてから説明をしてくれた。
「あぁ、えっと、ですね。つまり、分かりやすく言うと、夢の中で、彼女のいる場所まで行こうとしたのだけれど、途中で魔法に妨害されて彼女に会いに行けないって感じですね。目的地の道の途中に大きな壁があるみたいなそんな感じなんです」
私もだんだんと掴めてきた。夢の上層とは、現実と似ている場所であり、それでいて誰もが自由に出入りできる領域であるようだった。
「直接、夢の中にいるキアのところで目覚めることはできないんですか?」
「それができたらいいのだけれど、夢の中は、通常であれば誰かに会える場所じゃないんです。こうして、身体に触れているか、あるいは今の彼女のように誰かに刻印で、印をつけておかないと、夢の中は広すぎてその場所を特定できないんです」
「そうなんだ、だけど、キアは、夢の中で人が自分のところに来ないように、魔法で壁を作ってるってことですか?」
「そうです。だけど、壁というのは比喩。実際は、強固な結界魔法で、接近者を拒んでる。
それは、夢の上層ならではの結界の組み方をしているからなんです。中層の夢の力も借りて上層に結界の基礎を築いているから、現実では不可能なことでも夢の中なら可能にしているんです。だから、通常の結界破りでは通用しない。彼女のあの複雑な結界を突破するには、下手をすると数年は掛かってしまう……」
結界魔法のことについてはまだまだ無学だったから、分からなかったが、とにかく中層の夢の力を上層に持って来て、とっても強い結界を作って、自分のところに来させないようにしているとのことだった。
「コトミ先生、私も、その夢の中に行けたりしないんですか?」
そこで隣にいたクロリッド先生が、私を今度は明確に苛立ちと怒りを持って、睨みつけた。
「リリャ・アルカンジュ。これは遊びではない、人ひとりの命が掛かっているんだ。さっきの話しを聞いていなかったのか?」
「分かっています、だから、私にも何かできないか、って言っているんです。友達として、私も彼女を助けたいんです」
「さっきも言ったが、もう、お前たち学生が手を出せる領域ではない、邪魔をするならすぐに出ていけ!」
私は一歩も引かず、クロリッド先生と対立することなど、気にもしなかった。ただ、キアの為に何かしてあげたいだけだった。
「ちょっと待ってください、クロリッド先生、もしかしたら、彼女の友人なら結界を突破するカギになるかもしれません」
コトミ先生が言った。すると、クロリッド先生は、怒りを彼女に向けることなく、建設的な姿勢に戻った。
「コトミ先生、それはどういうことですか?」
「結界破りをしていた時に、私ではどうしても、拒まれる部分があったんです。それは特定の人じゃないと開けられない錠みたいな…そんな構造だった、だから、親族とかなら、もしかしたら、あの結界を破れるかもしれない…」
私はそこで、親族ではないが、キアの護衛であったマグリカ先輩のことを思い出した。だが、彼女を中心としたキアの抱えていた学生護衛隊は、現在、キアの命令で休暇を与えられて学園外で待機しているとのことだった。
「友達とかじゃダメなんですか?」
「そんな関係の人間に、扉の錠のカギを渡すやつはいない」
クロリッド先生がきつく言い放つ。確かに、いくら友達でも、自分の命を預けるようなことはしないし、キアのような、軍人の家系のようなきっちりとした一族ならなおさらだ。
「ですが、友人として、その錠に触れてもらえれば、そこから結界の解析が進むかもしれません。あくまで可能性の話しですが……」
コトミ先生が、控えめに言った。先生は私を巻き込みたくないようだった。
「だったら、私、喜んで協力します」
「ダメだ」
クロリッド先生が眉間に皺をきつく寄せて言った。
「そもそも、夢がどういう場所かも理解していない素人をいきなり潜らせるのは、あまりにも危険すぎる。下手をしたら、一生戻ってこれない可能性だってあるんだぞ!」
「だったら、なおさら、そんなところにいるキアをいち早く助けないと、そのために、私が夢に入ってその扉の錠の解析に少しでも役立てるなら、私、行きます」
「だから、お前は何度、私に同じことを言わせる?ダメな、ものはダメだ!!」
「今、一刻を争うんじゃないんですか?そのためにできることは全てやるべきはずです。それとも、先生は、キアを見殺しにする気ですか?」
「違う、新たな犠牲を増やすなと言っているんだ」
話し合いは平行線で、明確な答えもない現状、大人たちはやはり保守的な考えに縛られているのは仕方のないことだった。クロリッド先生が、先生たちを代表して生徒の命を犠牲にしない選択肢だけで、動こうとしているのはよく分かる。クロリッド先生は私のことも守ろうとしていた。それが大人の責任と立場というものだからだ。
しかし、そんな理屈に、私の友達を助けてあげたいという理屈が負けてはいけなかった。ここは断固として譲りたくない局面だった。
「コトミ先生、別に私が命を懸けるようなことないですよね?ただ、夢に入って、キアのその結界が応答するかしないか反応を見て見るだけですよね?」
「そうね、危険はないとは言い切れないけど……結界に触れてもらって、その掛かっている錠が開くのか、あるいは、結界がそれでどんな反応を示すか、私が確認するだけなので、危険なことはなにも、結界の方の特性も攻撃性ではなく、防御の性能に力を入れているので、反撃を受けたりすることはないはずです…」
コトミ先生は少し困ったような顔でクロリッド先生を見た。
「いや、しかし…」
「万が一、犯人が、彼女を夢の中で危害を加えようとしていたとしたら…手遅れになる前に駆けつけなければいけません…私なら、彼女を見つけ次第すぐに救出できます」
保健室に一瞬沈黙が流れた。みんなが、クロリッド先生の答えを待っていた。彼がここでは一番の指導者としての権限を持っていた。
「リリャ・アルカンジュ」
「はい」
「アマカルス先生の傍を絶対に離れるな、今から夢の中にダイブしてもらう」
「わかりました」
クロリッド先生は最後の最後まで不服そうだった。
私はすぐに、コトミ先生と一緒に夢の上層にダイブすることになった。キアの腕をコトミ先生と一緒に握った。
「それじゃあ、リリャさん、目を閉じて、私が魔法を唱えたら夢の中に飛ぶからね、大丈夫次に目を覚ましたら、私と一緒に夢の上層にいます。それじゃあ、行きます」
私は少しだけ緊張した。それでも、キアの為ならと覚悟はすぐに決まっていた。
「リリャちゃん…」
ルコが心配そうに見つめていた。
「大丈夫だよ、コトミ先生がついてるから…」
ルコは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「それじゃあ、行きます、目を閉じて」
コトミ先生の掛け声で、私は目を閉じた。
「〈潜夢〉」
私の意識は急速に夢へと落下していった。




