閑話 最高の商談 二人の行く末
ゴールデンウィング杯が終わってから一週間後、ラウルはパースの街で一番大きな病院のベットで目覚めた。ラウルが目覚めたタイミングで病室には誰もいなかった。次の日、朝早くに看護師に、ゴールデンウィング杯の優勝者のリリャ・アルカンジュがどうなったかを尋ねた。すると、優勝者は、ラウル・フラーセム、あなたですよと、その看護師が答えたので、その看護師を問いただした。その看護師はすっかり美貌が戻っていたラウルに詰め寄られ、顔を赤らめていたが、彼女は決してラウルのことを喜ばそうと言ったわけではなく、ただ事実を述べていた。
その後、ラウルは病院内で、何人かの看護師と、患者たちに今年のゴールデンウィング杯の優勝者の名前を尋ねると、同じ答えが返って来た。
ラウルは、すぐに病室を後に、パースの街にある最寄りであるルゴラード商会の支部へと向かい、商会の会長であるレダオール・ルゴラードの居場所を聞き出そうとした。
しかし、その商会に、なぜか本人がいるとのことで、すぐに面会を取り付けてくれた。
ラウルはすぐに応接室に案内された。
『なぜだ、なぜ、俺が優勝したことになってる…?』
ラウルは確かに自分が二位でゴールしたことを覚えていた。それは、ゴールするその瞬間まで、リリャの背中を追っていたからはっきりしていた。それなのにも関わらず、なぜ、自分が優勝なのか?
応接室に、レダオール・ルゴラードがひとりで入って来た。
「レダオールさん、これはいったいどういうことですか?」
礼も忘れてラウルはソファを立ち上がり言うと、レダオールは何も言わず手だけを上下に振って、座れと合図をした。
ラウルは冷静さを取り戻すと、その席に座り直した。そして、反対のソファにレダオールが座った。
「まず、体調の方はもうよいのか?」
「はい、今さっき目覚めて、ここには五速で飛んで来たんで、大丈夫かと…」
「ハッハッハッ、そうか、それならいい」
レダオールのかたい岩のような顔の口元に深いしわが寄る。
「さて、ところで、ラウルくん、君は何が不満なのかな?」
ラウルはそこでようやく自分の疑問をぶつけることができた。
「俺は優勝していません、それなのに、世間じゃ、今年の優勝者がラウル・フラーセムだと、みんな口をそろえて言っています」
「なら、世間が正しく、事実、そうなのだろう」
レダオールは、愉快そうに微笑む。
「しかし、俺は確かに、ゴールするまで、ずっとリリャの背中を追いかけていました。一位は、リリャだ。あいつが、今年のゴールデンウィング杯で一位だったんです」
そこで今度はレダオールがまた別の意味でにやりと笑って見せた。
「レースで一位だった選手が必ずしも優勝できるとは思わなかったのかな?」
「どういう意味ですか?」
「簡単な話だよ、リリャ・アルカンジュという選手はレース中に意識不明の状態に陥り、失格、その一方で、二位だった君は、ゴール後、一位の彼女を追いかけ暴走する彼女を助け出し、救助の手助けまでした。素晴らしいスポーツマンシップだ。これで何もかもはっきりし納得したのではないかな?」
レダオールは自分で話していてとてもその話しを誇らしく思っているように言った。
しかし、ラウルは何も納得できずにいた。
「一位はリリャだった。この事実は変らない」
「だが、大会にはルールがある、そして、そのルールに則ると、君は間違いなく今年のゴールデンウィング杯で優勝した」
「違う、俺は…」
「違くない、これはもう決まったことだ」
レダオールは穏やかにラウルの言葉を遮った。
「君の性格からして、素直に喜べないのも分かる。だが、この世界でルールは絶対だ。今後、この結果が覆ることはない」
納得のいかなかったラウルは、まだ顔を下に向けていた。
しばらく、そんな葛藤しているラウルを、見守っていたレダオールが言った。
「悪いが、契約の話しに移らせてもらう」
レダオールのその言葉に、ラウルは思わず顔を上げて彼を見据えた。
「待って下さい、契約も何も俺は優勝を…」
「君がどう思おうと、君は優勝した。その事実に沿って私は契約を進めさせてもらう。これは私と君が果たさなければならない決まりだ。これを破るということはつまり私と君との間にあった約束が無効になるということになるがいいのかな?」
レダオールがまたにやりと立ち悪く微笑む。契約が無効となれば、マリアは、レダオールの息子、ダンデリ・ルゴラードと婚約が決まってしまう。それでマリアが幸せになることはない。それは断言できた。だから、ここでラウルはそこで素直に頭を下げることにした。
「すみません、レダオールさんが、今回の条件でも許していただけるのなら、どうか、マリアを自由にしてやってくれませんか?」
レダオールが頷いた。
「では、ラウルくん、君は、今回のゴールデンウィング杯で自分の優勝を認めるということでいいのかな?」
「はい、認めます。なので、どうか、マリア・フィリディーズのことを自由にしてあげてください!」
ラウルが頭を下げていると、レダオールが顔をあげなさいと言った。ゆっくりと顔をあげた。そこにさっきまでの笑みは無く、空気を引き締めるような真面目な顔のレダオールがいた。
「私はここに誓おう。君と私の間にある契約に従って、我が息子であるダンデリ・ルゴラードと、フィリディーズ家の令嬢であるマリア・フィリディーズとの婚約はここに破棄すると。我がルゴラード商会の会長である私がこれを保障しよう」
「ありがとうございます」
ラウルが礼をすると、そこでレダオールは眉をひそめた。
「ラウルくん、君はひとつ、忘れていないかな?この契約には私からひとつ提案していた条件があったと」
「……はい、もちろん、覚えております」
条件の後だし。それがレダオールがこの契約に持ち込んでいた条件だった。
この場に、ビンセントがいてくれたらと思った。彼の弁護で、これから告げられるのであろう理不尽な条件でもなんでも、ある程度やわらげてくれることを期待したかった。だが、ここに彼はいない。
そして、ラウルは、大会において繰り上がりで優勝したに過ぎないという後ろめたさもあり、それが条件にも関わってくるのではないかと思っていた。
「では、条件を告げる前にまず、言っておくことがある。私は、フィリディーズ家が所有する土地を諦めるつもりはない。あの土地に、手を入れずに放っておくことは我が商会に大きな稼ぎそこないを引き起こす。それは、商人として見過ごせないのだよ」
「つまり、マリアは自由にならないということですか?」
「そういうことになるな」
レダオールが断言すると、ラウルの頭は真っ白になり身体には無気力感が襲い掛かり、今にも崩れ落ちそうだった。自分は確かにゴールデンウィング杯の最後の最後で、マリアのために飛ばなかった。いや、あの時、彼女のために飛んでいたら、きっと間に合ってもいなかった。あの時、選んだ選択は確かにラウルにとっては最善の選択だった。しかし、どうだろう?これが現実だ。選んだ選択に関わらず、不幸と絶望はやって来る。現実に打ちのめされたラウルは、ただ、ただ、現実の非情さに倒れそうになるが…。
「では、条件を伝える。ラウルくん、君は私のところに養子に来ること、以上、これが条件だ」
現実とは、本当にその瞬間が来るまで分からなかった。
呆け面のラウルに、レダオールはにやりとしてやったりと微笑むと続けて言った。
「さあ、我が息子、ラウル・ルゴラードよ、今すぐ、マリア・フィリディーズ、彼女を妻にもらってきなさい。フィリディーズ家への話しは私がつけるから、さあ、早く、君は彼女を迎えにいってやりなさい」
言葉が出てこなかった。
「契約は成立したぞ、さあ、早く、彼女は君を待っているんだろう?」
ラウルは、放心状態のまま、レダオールに礼すら忘れて部屋を出ていった。
部屋に残ったレダオールは、応接室の窓際に立った。外は、綺麗な秋晴れで雲一つなかった。その澄んだ空に、六速で飛び立った青年の背中を見送った。
「君に期待して良かったよ、今までで最高の商談だった」
レダオールは、満足した笑みを浮かべると、応接間を後にした。
*** *** ***
その後、ラウル・フラーセムは正式に、レダオール・ルゴラードの養子となった。そして、養子となった直後すぐに、フィリディーズ家の令嬢であるマリア・フィリディーズと婚約した。この結婚により、ルゴラード家とフィリディーズ家の結びつきは強くなり、その両家が受けた恩恵はお互いに大きなものとなった。
ルゴラード家は、フィリディーズ家がリーベルト地方に所有する広大な土地を確保し、酒事業、並びに商会が持つ複数の商売が拡大した。その起点となったのがフィリディーズ家がもつ人脈であった。土地から人が去り没落しは多くの借金を抱えることになったが、フィリディーズ家の当主であるマリアの父親は、献身の精神を忘れてはおらず、密かにその身を削ってでも、孤児院などの施設に寄付を続けていた。借金をしてから寄付の額は減ったが、それでも、多くの孤児院がマリアの父親の名を忘れたことはなかった。そして、そこで育った子供たちが成長しては、ルゴラード商会で働くようになった。これが良い循環を生み出した。ルゴラード商会はお金で孤児院を支え、孤児院は人手で商会支えた。双方はお互いを支え合う形に落ち着くと、やがて、リーベルト地方には、ルゴラード圏なる名のついた経済圏ができ長く栄えることになった。そして、その中心には常に、両家を繋いだ夫婦であるラウルとマリアがいた。
特にラウルはそのルゴラード圏では知らぬものがいないほど有名になった。彼は、魔法学園アジュガを卒業することなく学園を去った。それは、レダオールがオーナーのプロの飛行選手に彼が引き抜かれたからであり、ラウルは、ゴールデンウィング杯で残した伝説をひっさげて、プロの世界に参戦しては、そこでも大活躍をしてみせた。そして、結局、彼がその学生時代にゴールデンウィング杯という大会で残した伝説を越える者が現れることは終ぞなかった。そのようにして、ラウルは伝説の選手となった。
その妻であるマリアも夫となったラウルの後を追うため卒業することなく学園を去った。彼女は、彼が現役を引退するまでその活躍を彼の傍で支え続けると同時に、彼女は、父親動揺その献身の精神から夫だけではなく、多くの人たちの幸せのために実践的な活動を中心に、恵まれなかった人々に多くの救いの手を差し伸べた。
後年、彼女は、人々から聖母マリアと呼ばれ多くの人たちに慕われるのだった。
ラウルとマリアはそうして、いつまでも愛に溢れた日々を過ごした。それは幸せ以外の何ものでもなかった。だが、終わりもやって来る。年老いたマリアが、先だった夫のラウルを看取ったあと、多くの子や孫たちに囲まれて、彼女もその生涯を終えた。
こうして、ラウルとマリアの物語は幕を閉じるのだった。
そして、学園を去った二人が、後の人生で、彼らが知っているリリャ・アルカンジュという少女に出会うことは、もう二度となかった。
もう、二度と。




