閑話 さよならも言えず
僕は、彼女の覚悟を聞いておかなければならなかった。別にそれを聞いたところで、何も変らないが、それでも聞いておかなければならなかった。返って来る答えも知っていた、ただ、その返答の中に少しでも自分の知っている答えと変化があったのなら、この先の未来で何かが変わってくれるんじゃないかと、そう思って答え合わせをした。
彼女が本音が聞き出せるタイミングで声を掛けることにしていた。
ファイナルレースが終わり、会場には花火が上がっている。
ラウル・フラーセムが、リリャを抱きかかえて、レースコースを歩いていた。
するとすぐに控えていた医療チームが、二人のもとに駆けだしていた。
一番早く動いた白魔導士の手を僕は掴んだ。いくら僕が引き留めたところで、その先で待っている結果は変らないということは知っていた。なぜなら、彼女が救いたい、リリャの方はこの時点で、すでに手遅れだからだ。
急ぐ彼女の手を掴んだまま言った。
「ブロティーナ・ルーペ、聞け!!!」
僕は彼女のことなど一切知らなくても、彼女のすべてを知っていた。だからフルネームで名前を呼ぶことなど造作もないことだった。
ブロティーナは「離せ!!!」と怒鳴った。
「いいから聞け!!!」
彼女の声量に負けないくらい僕は叫ばなくちゃならなかった。僕は切羽詰まった演技をして、彼女と同じ熱量を持って話した。この先の結末を知る僕からすれば茶番でしかないが、それでも、それにはちゃんと意味があった。無意味な自分のわずかな抵抗なんていえば聞こえは良かった。だが、実際、返って来る答えは変らない。運命は決まり切っていた。
「君がここでリリャ・アルカンジュを助けたら、もう一生、君は彼女に会えなくなる。それどころか、君は彼女の全てを忘れて生きていくことになる。わかるか?君が愛したリリャ・アルカンジュと未来永劫会えなくなるんだぞ?」
「知るかよ、離せ!!!!」
すぐに駆けつけたくて熱くなっていた彼女に、僕は今度は逆に冷水を浴びせるように冷たく訊いた。
「奇跡には必ず代償がある、君はその代償を払う覚悟が本当にあるのかい?」
彼女はそこでようやく振り向いて僕を見た。ここで僕のことを認識したところで、きっとこの後にはもう何も覚えていられない。
「お前は誰だ?」
「僕のことはいい、それよりも、答えてくれ、君は本当に彼女を救う気なのかい?」
「当たり前だろ…」
僕が次にブロティーナが続けて言うはずのセリフを頭の中に先に思い浮かべると、彼女はその通りに言った。それはこうだった、『奇跡なんかいらねえ、私がリリャを救うんだよ!!!』と。
「奇跡なんかいらねえ、私がリリャを救うんだよ!!!」
彼女はその通りに言うと、僕の手を振り払って、急ぎ駆けだしていった。
僕は安堵した。それは予定調和だったのにも関わらず、ブロティーナがリリャを救うといってくれたことに、僕も心の底からそれでいいと思った。たとえ、救い出した少女の未来が、この先に待っている大きな過ちに繋がると分かっていたとしても、僕は、ここで彼女のことを生き返らせて欲しかった。僕はまだ、リリャに生きて欲しかった。彼女にはまだまだ幸せになって欲しかった。それは、きっと僕のエゴでもあった。
『これは間違いなんだろう…だけど、そうだとしたら、正しさとはなんだ?なぁ、誰か知っているなら、教えてくれ、僕はそれが知りたくてたまらない…』
そして、それはリリャだけじゃなかった。ブロティーナ・ルーペ、彼女もまた、多くの人々の未来に大きな変化を引き起こす引き金となる運命が待っていた。
私は、ただ、見守ることしかできない。それに、手を貸したところで、きっと遅かれ早かれ、結末は変わりはしないのだ。
『だが、希望はある。たとえ、彼女たちの運命が僕の中で定まっていたとしても、未来は別だ。この先の未来には彼がいる』
今この瞬間である過去にでさえ影響を与え続けている固定された未来。だが、その未来もまだ、終わってはいない。続きがある。
『最後まで、僕は僕の目を見開いておくよ』
やがて、予定通りの奇跡が起こる。その奇跡は、このリーベウィングを、リーベ平野を、レイド王国を、レゾフロン大陸を、この星を、いや、この世界を。そのたったひとりの彼女が引き起こした白い光が包み込んだ。
それには、ちゃんと意味があった。
僕とは違って。
意味があったのだ。
たとえそれが予定調和だったとしても、
世界は、ひとりの少女を蘇らせるために、その構造を変えた。そして、その代償として、二人の仲を永遠に引き裂いた。それは運命として、最初から決まっていたことだった。
僕はそれを再確認するだけだった。
*** *** ***
「面倒だな」
晩夏が近づいた頃。ブロティーナは、久しぶりに白魔導協会の本部を訪れていた。本部は堅苦しいところで、自由奔放な彼女は嫌いだったが、お世話になった自分の魔法の師匠からの直々の呼び出しで、さすがにそれを無視する訳にはいかず、顔を出していた。
ブロティーナが呼びされた師匠に会うために協会の敷地内を歩いていると、白魔導士の見習いの女の子たちがベンチに座って話していた。
「ねえねえ、聞いた?今年のゴールデンウィング杯、凄かったらしいよ」
「凄いって何が?」
「出たんだって、八速が」
「はちそく?」
「そう、八速」
「それの何が凄いの?」
「普通、学生の大会では五速が普通で、六速出しただけでも凄いのに、プロの選手でも滅多にいない、八速が出たってこと、それも学生で」
「へえ、そうなんだ…」
世間では、ゴールデンウィング杯という学生のレース大会の話題で持ち切りだった。白魔導協会の中でもその大会は話題の的であり、すれ違う人々が皆その話を口にしており、ブロティーナの耳にも嫌でも入ってきていた。
ただ、無理もなかった、ブロティーナもその大会が有名なことは知っていたし、夏の終わりごろになると、その話題で持ちきりになるのはいつものことだった。
しかし、ブロティーナには関係のない話しだった。
彼女は、飛行魔法のレース自体に興味もなかったし、その大会に足を運んだことは一度もなかった。ただ、この時期になると無理やりにでもその話題にする同僚や、患者が多いため、嫌でもその内容を知ってしまうのだった。去年の冬ごろに、アスラ帝国領で帝国兵を治療した時も、去年の優勝者がアスラ帝国から出た、ラーグスト・ヴィドマという選手だと熱く語り、その結果、そのラーグスト・ヴィドマが辛い物好きだというどうでもいい、情報まで得る始末だった。
そして、敷地内を歩いていると、今年の優勝者が魔法学園アジュガのラウル・フラーセムという選手ということが分かって来た。なにやら、ものすごい顔がよくておまけに八速というとんでもない飛行魔法で、将来有望の若手選手とのことで、ブロティーナはそんな完璧な年下男子が、自分の旦那さんになって、一生養ってくれねぇかなと、しょうもない妄想を巡らせた。しかし、そんなことは天地がひっくり返っても起きないことはちゃんと大人のブロティーナは知っていた。それくらいの思慮分別は当たり前だ。
白魔導協会の本部ともなると敷地内はとても広く、目的の建物にいくまでずいぶんと距離があった。
建物の多くが病棟で白を基調とした建物ばかりで構成され、その建物たちには大小もれなく番号が振られて、私が向かっているのは二十番の建物で、入り口からは一番遠く離れた建物だった。
ただ、敷地内には緑が多く歩いていてそれほど悪い気はしなかった。白魔導協会の敷地内の樹木や花壇、広場の芝生など、すべて徹底的に管理されており、その手入れの徹底ぶりは、歩く人々の心に言い表せない爽快感を与えていた。
「あれ、ブロティーナさん?」
「おや、バーニラじゃないか、勉強頑張ってるか?」
ばったり後輩の白魔導士のバーニラ・キャラクスに会った。ここのところ全然顔を合わせていなかったため、久しぶりに見たら背が伸びていた。成長期というやつだったのかもしれない。
「はい、でも、ここの修道院に籠りっぱなしでとっても退屈です。ブロティーナさん、もし何かお手伝いできることがあれば、私をここから連れってくれませんか?少しは見習いにも息抜きが大切だと思うんです!」
バニーラは外に出たがっているようだった。白魔導士の見習いとして修業の身である彼らのような生徒たちは、とにかく白魔導協会に籠りっぱなしだった。白魔導士はただ白魔法が使えればいいというわけではない。多くのことを学ばなければならなかった。
「ああ、考えておくよ、ただ、勉強はしておけよ」
バニーラは若者特有の活気ある返事と笑顔で、それを見たブロティーナは、若いっていいなぁとどうしようもない思いを抱くのだった。
後輩と別れた後、ブロティーナは、二十番と記された建物にようやく到着した。建てられたばかりでまだ中は新しかった。
『師匠に会うのは、なんだかんだ、久しぶりだな…』
しかし、その時、彼女はまだ何も知らなかった。自分が、何をしてしまったのか、いや、彼女は知れるはずもなかった。それは、すべて、あの時、ブロティーナの起こした奇跡を境に、世界がその奇跡の辻褄合わせだけのために、この世のすべてを書き換えてしまったのだから、知る術がなかった。
ブロティーナは何も知らなかった。かつて自分がたったひとりの少女を愛してしまったことも、その愛する少女を死から復活させたことも、彼女はその少女のことを何も知らない。そして、これからも思い出すこともなければ、彼女たちが出会うことも無いと、それは世界の改変と共に決められてしまったこと。
ただ、ひとつだけ確かなことは、ブロティーナ・ルーペは、かつて、リリャ・アルカンジュという少女のことを愛していた。思慮分別など知ったことかと投げ捨てる勢いで激しい恋をしていた。燃え上がるような恋を。ただ、その事実が、この世界には確かに存在していたと、それを知ることはもう、お互いに二度となかった。
それはある意味で、その関係において言えば死んだも同然だった。
さよならも言えずに。
「師匠いますか?」
指定された二十番の棟、指定された二〇二号室の部屋にブロティーナが入っていくと、そこで、ドアは閉められた。
その閉められたドアをブロティーナが、再び開くことはなかった。
そこから、彼女の人生もまた一変してしまった。




