奇跡の光
ラウルは少女の身体を抱きかかえて、第二コーナーからスタートラインにまで戻ろうと歩いていた。
「リリャ…」
何度呼び掛けても、少女は呼び掛けに応答しない、目を開けなければ、呼吸もしていない、脈もなく、身体もとても冷たい。身体の部位も欠損ばかりで、顔もリリャと判別がつけられないほど原型が残っていない。あの、憎めない笑顔を浮かべていた彼女の面影はもうどこにもない。いまは、ただ、彼女だった肉の塊を抱いていた。
「リリャ…あと……少しで、お前を治してくれる……からな………」
彼女を気遣う、ラウル自身も、すでにその顔にはかつての美貌はどこにもなく、焼け爛れたまるで骸骨のような肉が削ぎ落ち、ところどころ骨まで見えていた。
滴り落ちる大量の血、叫びを上げたくなる痛み、途切れそうな意識、それらを振り払って、彼女を抱えて足を引きずりながら歩く。ラウルは倒れるわけにはいかなかった。彼女をいち早く、白魔導士のところに連れていかなければならなかった。
「お前の勝ちだ、リリャ、結局、俺はお前に追い付けなかった……」
レースは、リリャが一着、ラウルが二着で決着がついていた。先行していた七速のリリャには、いくら八速を解放できたラウルでも、残り二周という短い距離で追いつくことはできなかった。
それでもレース後も飛び続けるリリャをラウルは、彼女が飛び尽きる前に、その身体をこうして抱きかかえてやることはできていた。
「おまえ、めちゃくちゃだよ…本当に、少しはあきらめるってことも覚えろよ…」
彼女に呼び掛ける。目覚めて欲しかった。目覚めて『だからいいましたよね?』と悪態でもなんでもいい、声を聞かせて欲しかった。
「なあ、俺たち、多分だけど……歴代で一番速かったはずだ……俺たちの勝負は、きっとこれから先何百年だって覆されることはないはずだ…」
ラウルが第一コーナーを逆走してくると、反対側から、大勢の人たちが駆け付けていた。特に、医療関係者たちだった。みんな必死に自分たちを迎えに来てくれていた。
「リリャ、あと少し、あと少しだ……もう少し頑張れよ……」
ラウルは一歩、一歩前に足を出すたびに、今まで経験したことのない激痛が身体を巡っていた。
『おいおい、俺も頑張れよ、あと少しでこいつは助かるんだ……』
ラウルの左目の視界がぼやけ始める。右目はすでに焼失していた。
「なあ、リリャ、俺たちきっと今、凄い見た目してるぞ…」
「………」
リリャからの返事は無い。
「なぁ、いい加減、何か言ってくれ…俺だけ話してるのが、辛くなってきた……」
ラウルの足が止まった。これ以上、前に進めなくなった。
「リリャ、ほら起きろ…みんな、こっちに来てくれてるぞ………」
ラウルのもとに、医療関係者たちが総出でやってきた。
「あの、リリャが、リリャが全然、起きなくて…助けてください……」
しかし、ラウルの声は、救助に来た人たちには一切伝わらなかった。そう、ラウルの喉は焼け潰れ、声が出せる状況ではなかった。
ラウルの腕から、肉塊となったリリャが関係者の手に渡る。
「……は……や………………」
「聞こえません?なんですか?」
ラウルが丁寧に聞いた。
「きだがみはがやく、こごおにねだあいてくだらざさい!!」
「え、なんですか?」
「いざますぐに、はうやだく、こごごにねねむって!」
ラウルは医療関係者たちの手を借りてその場に寝かされた。彼らの声も聴き取りずらかったうえに、意味を理解することが不可能だった。それもそのはず、ラウルの右耳は完全になく、左耳は千切れて取れ掛かっていた。
「俺よりも、リリャをお願いします。あいつの方がヤバいんです!!」
だが、やがてすぐに、ラウルは、真っ白い光の中に包まれたかと思うと、抗えない睡魔に誘われてそのまま目を閉じた。
ラウルは夢を見た。
夢の中で、彼は自分がゴールデンウィング杯を優勝した夢を見た。そこには悔しそうに歯ぎしりしている元気なリリャの姿や、愛しのマリアが駆け付けて、自分と抱きしめ合って優勝を喜び合っている姿があった。
そんな幸せな夢と共にラウルは静かな眠りについた。
***
「どけ、どけ!!!どけってつってんだろ!!!」
ブロティーナは、ひとりの少女にまとわりついていた関係者たちを蹴散らすと、その女の子の前に出た。
「…………」
言葉にならないショックがブロティーナを襲った。分かっていたことが目の前で起きて、それでいて、どこかで彼女は戻って来ると思っていた。そんな彼女の願いはあっさりと崩れ去り、そこには起こるべくして起こった現実が広がっていた。
「クソッ、クソッ、クソッ!!!!」
ブロティーナは、咄嗟に白魔法を発動させた。白い光が、横たわっていた肉塊となり果てた少女を包み込む。
それを見ていたひとりの立派な髭の生えた白魔導士が言った。
「きみ、彼女はもう、死んでいますぞ…」
「黙れ!!!いいから、お前ら、私に魔力を流せ、早くしろ!!!」
ブロティーナが連れて来た見習いの白魔導士たちに叫ぶが、誰も、彼女に手を貸そうとするものはいなかった。なぜなら、それが掟を破ることに他ならなかったからだった。
「死人は蘇りません。あなたも白魔導士ならそれが分かっているのではないですか?それに、死者に白魔法を使うことは、死者への侮辱に他ならない、今すぐおやめなさい!」
「黙れ!!!」
ブロティーナは、白魔法を使い続けた。
白魔法の光が、彼女を癒そうと傷口を探るが癒せる箇所がなく、その神々しい奇跡の光がまったく少女の身体に入っていかない。そこを無理やり白魔法の効力をあげて身体に光を差し込んでいく。
『ダメだ、奥まで光が届かない』
その時、先ほどの白魔導士の男が、ブロティーナを引きずり出した。
「てめえ、何すんだ!!!」
「聖女ナイラへの冒涜、この私が許しません」
「知らねんだよ、そんなこと、こっちは、その子を助けるために聖女様の力使ってんだよ、邪魔すんな!!!」
「なんと傲慢な、皆さん、この方を今すぐ捕らえるのです!!これは明らかに協会の掟に抵触しています!」
取っ組み合いを始めたブロティーナとその髭の白魔導士を前にみんながどうすればいいか、迷っていると、そこにひとりの女性が前にでた。
「〈岩石拳〉」
すると、地面から土の拳がせり上がり、ブロティーナを捉えようとしていた髭の白魔導士を殴り飛ばした。
ブロティーナを助けたのは白魔導士見習いのバーニラだった。
「救えるなら、救ってあげてください。そうすれば、掟にだって反しません」
「バーニラ、お前…」
「何が正しいかは自分で決めなくちゃならない、なぜなら、ここは外の世界だから。そういうことなんですよね?ブロティーナさん」
「ありがとう、バーニラ」
ブロティーナはすぐにリリャの治療に戻った。バーニラは、その場にいた人たちに向き直った。
「さあ、あと邪魔したい人はいますか?」
バーニラが地面に足を踏みつけると、見守っていた人たちの地面が波打ち、みんながその場にバランスを崩して転ぶ。
「なら、私が相手しますから、掛かって来てください」
バーニラがさらに足を踏みならすと、ブロティーナとリリャを囲う様に土の壁がせり上がった。
「さあ、はやく」
***
ブロティーナは、バーニラが出してくれた土の壁の中で、死にかけているリリャに白魔法を掛け続けていた。
「リリャ、死ぬな」
ブロティーナの両手は、リリャの胸の中心に当て、そこから眩い真っ白な光を集中させていた。
リリャの姿形はまだ肉塊のままで血は流れたままで、回復する気配がまるでない。白魔法といえば、その傷を一瞬にして治癒してしまう奇跡のような魔法なのだが、白魔法を行使してもリリャの身体は回復しなかった。
『やっぱり、光が届かない…』
白魔法を使う時に放たれる奇跡の光。その光が対象者の傷を癒すのだが、ブロティーナの白魔法を少女の身体は拒絶するかのように、その光が体内に入るのを拒んでいたこれは死人に白魔法を当てた時の反応だった。
『もう、死んでる』
ただ、そんなこと、医者じゃなくても誰もが一目見ただけで分かることだった。リリャ・アルカンジュはすでに数分前に息を引き取っていた。
ブロティーナは白魔法を解いた。そして、その場に力尽きるように崩れ落ち、リリャであったものを眺めた。
「どうして…」
すると、壁の外から激しい戦闘の音が響き始めていた。おそらく、バーニラが時間を稼いでくれていた。
「リリャ、お前はどうして、そこまで約束に?」
ただ、すぐにブロティーナはすぐに首を振って、力なく言った。
「いや、分かってるさ、お前はもとからそういうやつで、誰に何を言われても止まりはしなかったんだろ?分かってる、分かってるんだよそんなこと、だって、それはお前にとってもどうしようもないことで、きっと、その約束を果たせるなら自分の命なんてどうでもいいって思っちまわないと自分を保てなかったんだろ…分かってる、私は全部分かってるよ……」
ブロティーナは、リリャの頭だった部分をそっと撫でた。
「だけどな、リリャ、命っていうのはやっぱり、たとえ自分のものだったとしても、そんなに軽く扱っちゃダメなんだ……なぜだか、わかるか?リリャ、それはな、悲しいからだ」
頬から涙が零れる。
「なんで悲しいか分かるか?簡単なことだ。それは命が、自分だけのものではないからだ。自分と相手の中で命っていうのは溶け合うんだ。お互いが出会って、話して、触れ合って、愛し合って、一緒にいればいるほど、相手の命が自分の中に流れ込んで来る。私の中にもお前がいて、お前の中にも私がいる。そうやってお互いに溶け合った命はもう自分のものだけじゃない、なあ、リリャ、わかるだろ?お前の中にも私がいるんだよ、気づいてくれたか?気づかないよな…わからないよな…だって、これはきっと、私たち白魔導士たちにしか分からない感覚だからさ」
ブロティーナは、横たわるリリャの胸にもう一度両手を置いた。
「リリャ、今から、お前の中にある私の命に呼び掛ける。だから、どうか応えてくれ」
白魔法を再び発動させる。
「それと、リリャ、聞いてくれ、さっきな。なんだかまったく知らないエルフの奴がな、いきなり私に話しかけてきて言ったんだ。リリャを助けたら、私はもう一生、リリャお前には会えなくなるってな、なぁ、お前はこれを信じるか?」
ブロティーナは一呼吸おいて言った。
「私は信じるね、それでお前が救われるんならいくらでもな」
ブロティーナは微笑んだまま白魔法の光の輝きを強めていく。
そして、彼女は詠唱を始める。
「聖女ナイラの名のもとに、ここに死からの救済、奇跡を顕現する、白魔法…」
詠唱の途中に、ブロティーナは清らかな澄んだ女性の声を聞いた。それは、今までに聞いたことのないほど、とても安らぎのある声だった。その声はブロティーナの詠唱に詠唱を重ね掛けているようだった。
『愛する者に救いの手を、たとえ、忘却の彼方、愛する者同士が互いを失うことになったとしても、愛する者には救の手を』
その時、ブロティーナは自分の傍に聖女ナイラが現れたような気がしていた。彼女が、守護天使や精霊となって自分に力を貸してくれたようなそんな気がしてならなかった。それが現実か幻かどちらにせよ、彼女の白魔法は確かに、聖女ナイラが起こした奇跡をこの世に再現した。
「〈奇跡の光〉」
ブロティーナの手元の白い輝きが、瞬く間に広がっていく。それはリーベウィングを包み込み、ゴールデンウィング杯の会場をまるまる飲み込む巨大な光の渦となり、燦然と輝いた。
世界は、二度目の奇跡を観測した。
*** *** ***
シキナが立ち止まる。
私も立ち止まった。
「どうしたの?」
「リリャ、お迎えだ」
「お迎え?」
シキナが振り返り、指をさしたので、私も振り向いた。振り向くと、そこには真っ暗闇の中、一筋の光の線が真っ直ぐ一本立っていた。その線はまるで開きかけの扉のように徐々にこの暗闇をこじ開けようとしていた。
「あれはなに?」
「行けば分かる」
私は男っぽくなっていたシキナに背中を押された。
「シキナは私を、連れていくんじゃなかったの?」
「お前が死んでいないなら、私はお前を連れて行くことはできない、死とはそういうものだ。生きている奴を、死んでいることにすることはできない」
シキナは特に何の感情も持ち合わせずに言った。
「ねえ、シキナ、また会える?」
「お前は変ってるな、また、私に会いたいのか?」
「だって、ここじゃ、あなたは独りで寂しくない?」
「私は、本来こんな姿かたちをしているわけじゃないし、感情だってない、すべては見せかけに過ぎない、ただの死という現象だ」
「シキナは、嘘が下手だね」
「お前は頭がおかしい」
シキナはため息をまじりに言った。
「じゃあ、私は、死ななくていいんだね?なんか、変な聞き方だけど…」
「一度死んでいるが、まぁ、前にもこういうことが一度あったから別にいいんだろう。例外のない世界なんて、ないってことだ…むしろ、例外だらけで嫌になるな」
シキナはあくびをして、とても眠そうだった。
「眠いの?」
「ああ、当分の間、私は寝る」
「死んだ人を案内するのは?」
「そんなことお前が気にしてどうする?それに、私は、お前の死だ。いいか、眠りの邪魔をするなよ?それとさっさといけ、お前はもう、ここにもいられないんだから」
私は、じりじりと、光の筋の方へと身体が引き寄せられていた。
死はいずれ私の前にまた姿を現す。それは生きている以上避けようのないことだった。しかし、ここで私は一度彼、あるいは彼女とお別れのようだった。
「またね、シキナ!!!」
「ばーか、さっさと行け」
私は光のほうへと走っていった。
その光の先には、誰かが待っていた。




