黄金翼杯 ファイナルレース 後編
第一レーンから飛び出した私は、六つのリングに青い輝きを放ちながら集団の前へ出た。
反対側の第七レーンから同じくラウルが六速の青で飛び出してくる。他の選手たちなどすでに眼中になかった。どうせ私たちにはついてこれない。ここは私とラウルだけの戦場だ。命を削ってまでついて来る奴はいるか?
いないのだ。
私とラウルが、カーブ直前でまったく同じライン取りのため身体がぶつかる。お互いに譲らずそのまま押し合いながら、第一コーナーへと入る。押し勝った私がカーブの内側に入りラウルが外側に押し出された。そのわずかな内と外の差で私は前に出た。
そのまま、第二コーナーに入り、そのわずかなカーブでついた差を維持したまま直線のバックストレートに入った。
しかし、そこで私は横にラウルがぴったりとついていたことで、息を呑んだ。ラウルの技量がわずかに私を上回っており、それは直線に入る立ち上がりのスムーズさで距離を詰められていた。
私とラウルがバックストレートを一瞬で飛び去ると、再び第三コーナーのカーブに入った。同じようにまた、ラウルと私はぶつかると思ったが、それは違った。
ラウルは私の下に潜り、一段下を飛ぶことで衝突を回避していた。ラウルは高度を下げるというひと手間によってわずかに遅れたが、それは私の後ろを飛ばされるまでの減速ではなかった。本当に私の真下を飛んでいる状態だった。だからこそ、私は彼を身体でブロックすることもできず、このまま、下と上に分かれて飛ぶしかなかった。
カーブを曲がり切ったところで、ラウルの方が一枚上手なため、彼が先に直線に入る。それでも、私とラウルはまだせっている状況で同率一位で、一周目のすべてのカーブを曲がり切った。
コーナーリングからの立ち上がりが綺麗すぎる。やっぱり、ここで差をつけられると。
私の飛行はとにかく圧倒的なスピードを武器にしていたため、些細な技術は当然おろそかになっていた。なんとか称賛されるべき感覚だけで曲がっていたが、それにも速さが伴えば限界があった。その点、ラウルは私よりも圧倒的な練習量で練り上げられた技術があり、その裏打ちされた確かな技量によって六速という暴れ馬を美しく制御していた。
このままいけば、負ける。
しかし、私は至って冷静だった。ラウルとの技量差でカーブを曲がり切ったあと必ず差が広がるのだとすれば負けは必至なのだが。
やっぱり、私が勝つよ。
まず前提条件として、六速の負担の大きさがあった。ここに来て何度も覚醒しているラウルが六速を維持することはありえない話ではなく、むしろ、その可能性を踏まえて考えた方が建設的ではあった。六速の消耗は五速よりも一段階激しく、さらにその消耗の速さに慣れていないとなおさらきついはずだった。彼のその精密な飛行技術が果たして、後半で限界を迎えるのであろう魔力出力によって引き起こされる消耗と激痛に耐えながら、それらの曲芸を披露できるのか?そこには必ずほころびがあるはずで、私はそこを突けばいいだけだった。
そして、何よりも、私にはまだ、奥の手があった。
『ッ…?』
二周目の第一コーナーに入る前、私は目の奥に何かを感じた。感覚はすでに死に絶えていると思っていたのだが、それは身体の内側からの応答だった。
『なに?』
私がそんな痛みのような一瞬の痺れのようなものに気を取られていると、ラウルがわずかに前に出た。
***
二周目に入ったラウルが、思ったこと。それは五速とは比にならない消耗の激しさだった。すでに一周を終えただけで、全身からは滝のような汗が流れていた。
さらにすぐ上を飛んでいるリリャとはほとんど互角で、一瞬も気を抜けない状況が続き、これがあと六周もあると考えると気が遠くなりそうなほどだった。
『だからなんだ…』
しかし、ラウルの心はすでに決まっていた。重くなっていく身体と正反対にスピードは一切最高速度から減速しない。減速なんて許さなかった。
『絶対に止まらない』
たとえ、身体が限界に迎えようと、ラウルは飛び続けると決めていた。
『止まって負けるくらいならここで、いや……』
最初のカーブを曲がり切り、バックストレートに入る時、やはり、ラウルが少し前に出た。
ラウルの視界にはすでに目の前の直線と先のカーブしか見えていない。いかに直線を早く飛び去り、いかに無駄なくカーブを曲がり切るか、それだけが、自分の人生を切り拓く勝利への道だった。
『違うな』
二周目のカーブに入る。六速でのカーブで内側に留まろうとするあまり身体が折れ曲がりそうになるのを、リングを外側に向けて姿勢は前傾でそのままに飛ぶことで、減速せずに曲がり切る。
『ここから始まるんだ、俺の人生は…』
背中の六つのリングからは青い光が鋭く放出されている。
『俺の人生は、ここまでが、序章に過ぎなかった』
骨が軋み、身体が悲鳴を上げ始める。
『ここから俺が俺の手で、人生を始めるんだ』
翔け抜ける景色と激しい消耗の中、それでもはっきりとマリアの笑顔が頭の中に浮かぶ。
『彼女の想いを無駄にするわけにはいかない…』
ラウルは歯を食いしばって、カーブを曲がり切り、直線に出る。
『だから、リリャ、俺は、お前に勝つよ』
ラウルとリリャは同時に三周目に入る。
***
レースが三周目に入ると、会場に響き渡るのは、この大会のメイン実況アナウンサーによる興奮気味の早口の声だった。
「なんということでしょうか!?もうめちゃくちゃです!こんなこと、この大会始まって以来の快挙、いえ、この大会が百年目を迎えてから革命が起こったといっていいでしょう!我々人類は日々進化していたのです!それがこの結果なのでしょう!現在、魔法学園アジュガのラウル・フラーセムが一位、リリャ・アルカンジュ選手が二位で、両者の独壇場!!!あぁ、なんと残り、もう半分です!!!凄まじい、凄まじいほど速い、両者六速により、四周目に入ります!!!」
***
外部からの刺激という感覚を久々に感じていた。私はそのことに戸惑っていた。無痛の身体になってからありとあらゆる刺激は目と耳に集中していた。そして、今は耳も機能しなくなって、外部から得られる刺激は目の視覚だけとなっていた。
その目の奥から感じているこの今も断続的に続いている刺激は、身体が人に送る痛みという信号とも難く、それはただ内側から込み上げてくるような信号、あるいはサインだった。それが私に何かを伝えようとしていた。けれども、それが何を意味するか私には分からなかった。危険のサインなのか、はたまた何か別のことを知らせようとしているのか。その意味を探るよりも前に、思うことがあった。
『邪魔』
気が散るほどの内側からのサインの連続に、私のペースは乱されつつあった。痛みは無いが、ただひたすらに繰り返される目の奥からの刺激に、私は苛立ちを隠せずにいた。私にとって今は目だけがこの世界との繋がりを感じる唯一の手段であり、そこにノイズが走り続けると、気が散るのは当然だった。
『何なの、こんな時に…クソッ!!』
四周目、最初のカーブを抜けて、バックストレートに入った時だった。一瞬のことだった。積み重ねられた差が大きな成果を生み出した結果でもあった。私と彼のカーブでの差、そして、私が自身の目に覚えた違和感によって、二人の差は少しずつではあったが、広がりを見せていた。
そして、ここでその積み重ねがある一つの結果を生んだ。
私の前にラウルが浮上していた。
「!?」
これにより、ラウルがこのまま六速で残りの周回を飛び切れば、リリャの負けがほぼ決まったようなものだった。
『そっちがその気なら、見せてあげる…』
だが、これで終わりではない、それどころか、私はラウルにとっての最後で最強の敵でしかなかった。
『私のすべてを…』
死の淵ばかり見つめて決して逸らさなかった。それは臆することなくどんな壁にも向き合える勇気を与え、やがてそれも超越すると、その瞳には己が使命だけしか映らなくなっていた。
背後から死が迫る。
しかし、そんな死ですら私の背後にしかいないのだ。
ならば、あとはもう前に突き進むばかり。
すべてを振り払いながら飛ぶ私の翼は、あらゆる前提条件を覆す。
『これが…』
私はそこで迷わず、最後の切り札を切った。
***
レースを観客席から見守っていたルコは、飛んでいるリリャを見て、泣いていた。
「リリャちゃん…」
ルコはファイナルレースが始まる前、リリャと二人だけで空を飛んだ。そこで語り合ったことは、なんてことの無い話しだった。『私、絶対、優勝するからルコも見ててね、へへ』レースへの意気込み、『あ、ルコもちゃんと応援してよ、私、ルコの応援がないと力が出ないんだからね』応援してねという彼女の言葉、けれど、彼女は最後に何の前触れもなくこう呟いた。
『もし来世があるなら、私はルコの旦那さんかなぁ…』
彼女のその時の顔は、沈みゆく夕日を眺めていた。その時のその一瞬がルコには目に焼き付いて離れなかった。そこにだけ、彼女の本気があったような気がした。ルコはその時、何も言えなかった。その言葉の意味するところと彼女の表情から、想像もしたくないことがよぎったからだった。
しかし、その後、彼女はいつもの調子で、『だけど、ほら、ルコにはなんといってもアルトさんがいるでしょ?あいつは私が認めるいい奴だからね、手放すのはもったいないよ』そういって彼女は『この幸せ者め!』といってルコをからかっていた。
ルコは涙で崩れた顔を隠すように、その場にうずくまって嗚咽を漏らした。見ていられなかった。見られるはずがなかった。
周りのみんなが心配そうに集まって来た。
「どうした、ルコ!?」
オルキナがルコの肩をさすりながら言った。
「リリャちゃんが…」
分かっていた。彼女の覚悟を。言わずともその顔だけ見れば分かってしまった。
「死んじゃう…」
だけど、彼女を呼び止めることができなかった。レース直前、彼女の背中を見送ってしまったルコは、今、飛んでいるリリャを殺したのも同然だった。
「死ぬってどういうこと!?」
オルキナが驚き焦りながらもルコに詰め寄った時だった。
その時会場が一斉に大歓声をあげた。それは今までの彼らの熱量を遥かに凌駕するほどの大歓声だった。
その歓声は、ひとりの少女によって引き起こされたものだった。
***
見たくないものを見た。
ラウルが、リリャの前にようやく身体を滑り込ませ、一位と二位の差をはっきりと分からせてやれると思った矢先だった。
七輪をその目に拝んでしまった。
***
『私の生きざまだ!!!』
「だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
絶叫と共に、バックストレートを七つの翼が切り裂き、第三コーナーと第四コーナーの壁に激突した。減速エリアなどものともせず、私の身体は高速で壁に衝突したため、ぐちゃぐちゃに折れ曲がっては大量の血を流し、透明な結界の壁のみじめな赤い染みとなっていた。
『まだだ…』
減速エリアで無様に壁に張りついていた私は身体をそこからゆっくりと引きはがした。剥がれた壁の後から血がべったりと糸を引く。
私は震える指先で指示した。
示す先にはフロントストレートにある四周目と五周目を仕切るスタートラインがあった。
『まだ…』
七つのリングが起動し、禍々しい青い輝きが灯る。
『飛べる』
七輪が青い光を放出した。
次の瞬間、暗闇が広がった。
「!?」
私が目を見開いて見た世界に光はなかった。暗闇。どれだけ瞳を開いてもそこにあるのは完璧な闇だけだった。
私の世界からは、感覚も無ければ、音も無い、そして視界も無くなっていた。
「………」
思わず思考が止まった。一瞬、何が起きたか分からなかった。だが、すぐに私はひとつの結論に至った。
『そうか、あの目の奥のサインは、やっぱり、警告だったのか…』
所詮は死にかけの身体で、ここから何かまた他の感覚が閉じた分、目が良くなったように、私にまた何か新たな力を与えてくれるとも期待したが、そんなわけがなかった。それどころか、身体は最後の最後まで私を生かそうと無理やりにでも警告をしてくれていたのだ。それを無視した結果、視力も失っても自業自得というわけだった。
私はすでに死んでいてもおかしくなかった。それを何とか先に引きのばそうと私の身体は耐えてくれていた。
私に許されたのは、思考と魔法だけになった。
『悪いけど、もう、後戻りするつもりはないし、むしろ、ここからが本番だからさ…』
ただ、それでも、勝負を降りたつもりなどさらさらなかった。
『最後まで持ってくれよ』
七つのリングが、私を最後の勝負へと導く。
***
七速。それはラウルですら、予期していなかったレベルの飛行魔法だった。このゴールデンウィング杯では前人未到の領域。接戦だったラウルの遥か前方で、リリャがカーブの中腹の壁に張り付いていた。
『リリャ…』
血だらけだった彼女を見たラウルが一瞬怯んでしまう。だが、そこで再びリリャが壁から剥がれ落ちたと思うと、彼女は七速を展開する。
「ハッ!?」
一瞬、緩んでしまった気を引き締めて、ラウルは自分がまだレース中だと思い出し全力で加速した。まだ自分はバックストレートの中腹で四周目の第三コーナーにも入っていなかった。
『負けられない、負けるわけにはいかない!!!』
ラウルは、頭の中によぎった敗北の予感に身を震わせた。
しかし、七速に覚醒したリリャに目がいってしまう。そして、リリャのその速さに驚愕した。
四周目の二つ目のカーブの中腹にいたリリャだったが、目を離した隙に、すでに彼女は五周目の第一コーナーのカーブの中腹の結界に到達、あるいは激突していた。それはまさに一瞬の出来事だった。それは飛行というよりは点から点の高速直線移動だった。その速さはすでに、人間が耐えられる速度を超えていた。
『なんて速さ…いや、違う、そんなことよりも七速は………』
第一コーナー中腹の彼女に目をやる。すでに死に掛けている彼女がいた。
『あいつの身体が持たない…』
七速は、飛行魔法に最初から備わっている飛行者を守るための保護バリアの効果が著しく薄まる速さだった。そのため、プロの選手たちなども七速を飛ぶ時は必ず飛行魔法以外の補助魔法を掛けてから身体を保護し飛んでいた。
しかし、このゴールデンウィング杯では、飛行魔法以外の魔法は原則禁止されている。そのため、リリャには七速のスピードにそのバリアだけを頼りに飛んでいることになる。
それはほとんど自殺行為であった。
しかし、ラウルの心配をよそに、彼女の奇行は止まるところを知らない。
『なんだ!?』
リリャは減速エリアから出ることなく、結界の壁に向かって七速を展開し続けていた。そして、その壁に向かって自分を押し付けるように加速し飛び始めた。
『何してんだ、あいつ…、待て、まだ飛ぶ気か!!?』
リリャは身体を結界の壁に擦りながら、凄まじい速さで飛び始めた。減速エリアであるにも関わらず、その速度はみるみる内に上がっていく。彼女は壁を支えに身を削りながら七速での加速を開始した。
すると当然、彼女の身体はみるみる内に超加速で、壁に削られ、半身を犠牲にしながら飛んでく。腕や脚が吹き飛び、壁に赤い線を引いていく。飛行魔法の保護が薄れては、何度も身体に加速した分だけの衝撃が襲っていた。その彼女のすがたはもはや壁沿いを飛ぶ死肉だった。
「リリャ!!!!!」
気が付けばラウルは彼女の名を叫んでいた。それは、心からの絶叫だった。何が何でもこの声が彼女に届いて欲しかった。
「行くな!!!!!」
その時、ラウルの中で何かがはっきりと切り替わった。彼の目はすでに闘志ではなく、全く別の感情が宿っていた。そこにはもはや飛行選手としてのラウルの姿は一切なかった。ただ、そこにはラウル・フラーセムという男の揺るぎなき魂だけが存在していた。
『…せ……る…か……』
魂は、叫んでいる。
『…なせ…て……る…か……』
その想いが膨れ上がり、魂からの叫びが。
「死なせてたまるかあああああああああああああああああ!!!!!」
彼を目覚めさせる。
***
生きているとは何か、今の私には分からなかった。ただ、分かることは、この暗闇の中、ひたすらに魔力を練って、全力で飛行魔法に供給することだけだった。なぜなら、私は身体の感覚がなく、音も聞こえず、さらには視覚まで失ってしまったのだから、残された身体的機能としては、魔力出力による魔法の行使と、思考することに限られていたからだった。
私と世界との繋がりは、魔力だけになっており、何とも不思議な感じだった。
『私、ゴールしたかな?うーん、わからないな。魔力を出力した時間でだいたいどれくらい飛行魔法で飛んだか分かるんだけど、きっと、私、減速エリアにいて、壁沿いに飛んでるはずだから、もうちょっと飛んでいた方がいいよね?』
真っ暗闇の中、私は自問自答する。こうなってからずっと落ち着いていた。なぜなら、あと私が自分の残された人生でやることといえば、飛行魔法に魔力を供給することだけだったからだ。
『一位になったら、みんな、喜んでくれるかな…あ、あれ、でも、ちょっと待てよ…、もしかしなくても意識がないと失格なんだよね…。うーん、じゃあ、もうゴールしたなって思ったら、ちょっとは意思表示しなくちゃか…でも、身体は多分もうぐちゃぐちゃで動かないでしょ、だから、口で何か喋れたら意識があるってことにならないかなぁ…』
なるわけがなかった。だからといって、私にはもうどうしようもなかった。できることが魔力供給以外ないのだ。
『ラウル先輩には、真剣勝負だなんて大口叩いたけど、これじゃあ、競ってるかどうかすら分からないな…はぁ………』
しばらく私は黙って時間が過ぎるのを待った。けれど、すでに時間の感覚すらも私にはなかった。私はただ自分がまだ死んでいないことだけを自覚しながら、魔力供給を続けた。死であるシキナもいなければ、魔力供給も続けられているということはそういうことだった。
『私の身体、持ってくれたかな…』
もはや、この私の思考の中は、世界から切り離された小部屋のような役割で、私はまだこの小部屋の外で、レースを頑張っているのであろう私の存在のことを思った。
しかし、そんなことにはもう何の意味もなかった。
だから、私は、そこで少しは意味のあることをと思い、外の世界にいた自分が関わった人たちのことを振り返ってみることにした。
『えっと…』
すると最初に現れたのは、血の通った家族でも、愛しのフルミーナでもなく、ルコだった。
『そうなんだよね、どうしても、こういうなんていうか、寂しくて、辛い時、最初に思い出すのはルコなんだよね…』
するとそこに私が思い浮かべたルコが勝手に意思を持って返事をした。
『そうなんだ…』
『うわ、びっくりした。って、まさか、シキナさん…?』
『そうだよ、リリャ、お疲れ様、それじゃ、行こうか』
『もうちょっとみんなとの思い出に浸らせてもらえたりしない?』
『時間だよ』
『そっか…』
『最後なんてそんなもんだよ』
シキナが手を差しだしてきた。その差し出された手を、私は何の迷いなく取った。その手は予想に反してとても温かかった。
『シキナの手ってこんなにも温かいものだったんだね』
シキナはその問いに、そうだろと得意げに言った。
やがて、私の意識には死による暗闇が降りた。
けれど、最後にふと思うことがあった。
『そうだ、シキナ』
『なに?』
『もしかしてだけど、私のもとに来るの、ちょっと遅らせたりしてくれた?』
『さあね』
私の人生はここで終りを告げた。
***
一瞬にしてラウルの全身から大量の血が噴き出る。もはやひとりの魔法使いが、出力するには致死量級の魔力を、飛行魔法というたったひとつの魔法に彼は込めていた。
それはもはや願いでしかなかった。だが、彼は怯むことなく、飛行魔法という翼に願いを込める。魔力を送り続ける。飛行魔法が単なる込めた魔力量で速さが変らないことなど分かっていたが、それでも、ラウルは魔力を込めた。
速さが、欲しかった。
ただ、今、誰よりも速さを必要としていた。
レースに勝つためじゃない。
あの時とまったく同じ、だから。
ラウルは、手を伸ばしていた。
あの時、届かなかった手を取るために。
届けと願って。
『届け、届け、届け!!!!』
それは魂から叫びとなって、世界に何度も轟く。
『あと少しなんて許さない。ぎりぎりで届かないなんて、もう絶対にごめんだ』
あの日、リリャが飛んだ宙への翼に追いつけなかった自分が、ただ離れていく彼女の背中を見上げることしかできなかったことが、何度も思い出されては、眠れない夜もあった。そのたびに無力な自分を呪っていた。
もしも、あの時のことがここで再び繰り返されようとしているのなら、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように。
「救う!!!絶対に、救ってやる!!!」
ラウルの背中にはすでに七つのリングが、しかし、そんなことなんてどうでもよかった。ただ、リリャに追いつけば、彼女を救えれば、それならば何でも良かった。だから、レース場を横切って、逆走して、だが、横切るには結界の壁が邪魔をし、逆走して飛ぶには加速仕切っていた身体が方向転換するには時間がかかり過ぎた。
だが、今のラウルなら、その中で何よりも一番早く彼女に追いつく方法があった。
それは、自分の命を燃やすことだった。
彼女がしたように。
「俺が代わりに死んでやる!!!!」
ラウルの七輪の背中に、八つ目のリングが灯り始める。
「俺が、今度こそお前を救ってやる!!!!」
あの時の後悔が何よりもラウルに力を与える。
「だから、行くな!!!」
八つ目のリングが灯り、青い閃光を放った。
「リリャ!!!!!!」
魂が、肉体が、命が。
燃えている。
痛みすら感じない。
だが、どうでもいいんだ、そんなこと。
それよりも。
伸ばした手は、どうだ?
彼女に届いたか?
ただ、彼女を救うことに意味があるんだ。
それ以外にここに意味はいらない。
この選択に正しさなんていらない。
なぁ、どうだ?
俺は、救えたか?
答えてくれ。
俺は、君を救うことができたか?




