黄金翼杯 ならばお前も血をみろ
午前中のファーストレースがすべて終わった。昼食を挟み、ファーストレースを勝ち残った選手たちはセカンドレースへと進みその時が来るのを待っていた。
会場ではファーストレースの五組目のレースが大きな話題を呼んでいた
空の怪物【リリャ・アルカンジュ】を打ち負かした【オロモス・ベンバー】が注目されていた。
彼は大陸の中央部にある、冒険者たちが集う街ガーデラ出身だった。その街には、冒険者になるための専門の魔法学園ギルダーがあった。そこの飛行部から出ていた彼は、去年のファイナルレースまで出場し、四位という成績を残していた。
会場の人々は今年の優勝は彼で間違いないとひっきりなしに口にするようになっていた。
ラウルは、昼食を食べ終わり、セカンドレースの選手の控室で待機していた。自分の他に誰もいない。できる限りレース前はひとりで集中したかった。
ただそんなラウルもここに来て集中を乱されていた。
「リリャ…」
世間が、オロモスという選手に注目をしている中、ラウルはリリャのことを気にしていた。
五組目のレースを見終わった時、ラウルの心にはぽっかりと穴が開いたような虚しさに穿たれていた。
レース会場の芝生の上で血に染まりながら途方に暮れていた彼女を見た。
「あれは昔の俺だ…」
かつて、ラウルも彼女のように自分の身体の限界を超えて飛んでいた。体中の血管がはち切れ、全身真っ赤に染まって飛ぶ飛び方は、とてもじゃないが称賛された飛び方ではなかった。
そりゃそうだと思い、ラウルは、いまさらになって頭を抱えた。
まず全くの素人からたった二年という短期間でゴールド帯の選手たちを下し、本選に出場し、六速で飛ぶ、そんなことができるとしたら、それは死すら厭わない、地獄の日々だったはずだ。
気づけなかった自分を恥じた。彼女には励ましてもらってばかりだった。彼女の存在、彼女の言葉、どれもラウルを奮い立たせてくれた。
マリアを救うというたったひとつの目的以外に、飛ぶことに意味を与えてくれた彼女は、すでにラウルの人生の一部になっていた。
だからこそ、彼女が血を流しながらも飛ぶことが、気になってしょうがなかった。
それは、自分を壊す飛び方だと、ラウルはクリスからきつく指導されていた。そんな飛び方で手に入れた力は、命を対価に得る一時的な力に過ぎないとそう教えられた。そうやって手に入れた力は、決して実力などではないと、そうやって教えられたし、それは事実受け入れるべき正しさでもあった。
だが、ラウルはリリャのファーストレースを見て、他の先輩や、クリスの言っていたことがとても陳腐に感じてしまうほどの、覚悟があのレースにはあった。そこにいたリリャの死すら受け入れる覚悟の飛行をラウルは間違っていると認めることができなかった。
「俺はどうすれば…」
ラウルが悩んでいると、控室の扉にノックの音がなった。
ラウルが返事をして、扉を開けに行くと、そこにはクリス・ウィングルムが立っていた。
「少し話せるか?」
「どうぞ」
ラウルは彼を快く迎え入れた。
「調子はどうなんだ?」
「いいですよ、今までにないくらい」
「そうか」
クリスは、どこか落ち着かない様子で室内を見渡した後、覚悟を決めたかのようにラウルに向き直った。
「ラウル、次のレースだが、リリャがいるのは知っているな」
「ええ」
「彼女のファーストレースを見たか」
「はい」
「あれを見て、お前はどう思った?」
ラウルは視線を落とした。クリスはあの飛び方を許さない思想の人間だ。それは彼がラウルに熱心に心を入れ替えるよう指導したことからもわかることだった。レースという競技の場で血を流すべきではない。レースとは己の持つ速さを競う場所であって、命まで懸ける場所ではないと。
「クリス先輩から言わせれば、あれはダメなことなんでしょうけど、俺は彼女が本気で飛んでいたようにしか見えませんでした。だから、俺はリリャのあの飛び方を認めなくちゃいけないんだと思います…」
「そうだな、俺もそう思う」
拍子抜けの答えが返って来た。
「あれ、てっきり、腹を立てているのかと…うちの飛行部からあの飛び方をする選手を出したことを」
クリスは、首を振った。
「もう、飛行部じゃない俺に、そんなことはどうでもいい、それよりも、ラウル、彼女にどうやって勝つつもりだ?」
そこで自分の話しに振り戻された時、ラウルはその答えに詰まった。
「正直、彼女が六速で飛ぶ以上、ラウルお前に勝ち目はないぞ?」
突き付けられた現実は、とても覆しようのないものだった。
「そうですね、正直、俺もそのことについて悩んでいたところです…」
「ならばお前も血をみろ」
「え?」
「ラウル、お前も彼女と同じ飛び方を解禁するんだ」
そこには少しだって冗談がなかった。クリスの目は本気だった。
「ですが、クリス先輩はずっとその飛び方をやめろとあれだけ散々、言ってたじゃないですか…」
「すまなかった」
クリスが、深々と頭を下げた。彼が頭を下げた理由がラウルには何一つ分からなかったが、彼は深々と頭をさげてそこには深い懺悔の念があるように感じられた。
「ラウル、実はな、ケインコーチはお前が初期のような飛び方で飛ぶことを一切否定したことはなかったんだ…」
初期のような飛び方、それはラウルがまだ自分の身体や命のことなんか一切顧みず、ただ、勝つために飛んでいた入部当初の話しだった。
身体は血に染まり、死の接近すら恐れないそのラウルの飛び方は当時の選手たちに恐怖を与えた。しかし、その飛び方は先輩たちにすぐに矯正されることになった。
「『人はその人の飛びたいように自由に飛ぶべきなんだよ』と、ケインコーチはそう言っていた。むしろ、ケインコーチはお前が最初の頃のように、たとえ血を流してでもそれが本人の望む飛び方なら、それが一番なんだと言っていたんだ」
それは初耳だった。てっきり、ケインコーチから先輩たちが遠回しに伝えてくれていたのかと思っていた。だから、そのことについて、ラウルはケインコーチに抗議することも、先輩たちを恨むこともなかった。
なぜなら、ラウルもその飛び方では長くは持たないと心のどこかで確信を得ていたからだった。
己の限界を超え続ける飛行。そんな飛び方を続けていれば、確実に速くなるかもしれないが、確実に命が持たないことは、飛んでいた自分がよく分かっていた。
「俺は、お前の可能性を封じ込めてしまったんだ…」
クリスはずっと頭を下げていた。
「クリス先輩、頭を上げてください」
ラウルは彼の頭を上げさせた。クリスは視線をこちらに合わせようとせず、本当に後ろめたく思っているようなのが、彼のしょぼくれた表情から伝わって来た。
「俺の実力が至らないのは、先輩のせいじゃないです。ただ、俺の努力が足りなかった、それだけなんです。先輩が頭を下げるようなことじゃありません」
「ラウル、俺はお前以上に努力して来たやつを見たことがない」
「なら、それでも足りなかったということです」
努力が足りなかった。競技において勝てないということはそういうことだ。才能に唯一追いつくことのできる手段、それが努力。
「違う、俺が最初にお前の飛び方を否定しなかったら、きっとお前は今頃…」
ラウルは首を振ってこたえた。
「クリス先輩、そんなこともういいんですよ、気にしないでください。ていうか、先輩が気にすることじゃ全然ないですから、あと、俺、まだ、自分が負けるとは思ってませんよ、なにせ、ケインコーチにだって今年は君しかいないって期待されたんですから、まあ、見ていてください」
ラウルはすでに決めていた。どう飛ぶかを、どう飛ばなくちゃいけないかを。それはクリスの言葉で定まった。
彼は懺悔の念に打ちひしがれていたが、ラウルからしたら、最後の背を押してくれたまたしても恩人になった。
『もう、自分の身を案じなくていい』
ラウルは先輩たちに守られていた。
けれど、それももうお終い。
ラウルの目はかつての勝利を渇望していた、剣の切っ先のような鋭さに戻っていた。
だが、ラウルはすぐにそんな自分の目を恥じ、目元に手を当て隠した。
『違う、違うんだ、昔ならそれで良かった、だけど、今は…』
クリスが心配そうに言った。
「ラウル、どうした、具合でも悪いのか?」
「いえ、大丈夫です。それよりも、クリス先輩、ありがとうございます。先輩のおかげで、俺はさらに速く飛べそうです!」
「そうか…」
ラウルの無邪気な笑顔にクリスは少しだけ救われたような顔をしていた。
ラウルもそうであってくれたらと思った。
それから、クリスが控室を出ていくと、再びラウルはひとりになった。
『景色がぼやけるんだ…』
そう思った。それはラウルが思い描いている景色で、その景色はみんなが幸せになる未来だった。
それは、ラウルがレースで勝って、ゴールデンウィング杯で優勝すること、それこそが、ラウルが思い描く未来に必要なことだった。
「見極めなくちゃならない…」
けれど、その未来の景色はいま、とても複雑な気持ちと共にぼやけていた。
『マリア…俺は、彼女を………』
静まり返ったラウルの控室に控えめなノックが二度鳴った。運営のスタッフがやってきて、セカンドレースの時間が来たことを伝えた。
ラウルは控室を後にして、レース会場へと向かった。




