猛勉強
空を飛ぶことに集中するためにまずやるべきことは勉強だった。その勉強ももちろん、飛行に関することではない。学園の授業でやるような勉強で、要するに予習であった。ただし、ここでいう予習は、ある意味で私にとって学園生活での楽しみを減らすことに繋がりかねないものではあったが、背に腹は代えられなかった。
魔法に対する、学習欲をこの短期間に詰め込み、証明することで、私は大量の時間を確保しようとしていた。
そのため、私は生き急ぐようにその熱意を学習に変えていた。
「先輩ここわからないです」
「それは、まだ、リリャちゃんが勉強してないロジックが必要だから、手取り足取り教えてあげようじゃないか」
「ありがとうございます」
私は学園の魔法特区アイリスという魔法実験などに特化した区画で、シースイ先輩の魔法部のラボで勉強を見てもらっていた。
シースイ先輩は学園でも随一の頭脳と言われるほど頭脳明晰で彼女に掛れば、私の考えていた目標にも容易に手が届きそうだった。
その目標とは、授業参加の免除という特権だ。それは魔法学園アジュガの勉学においてある一定の条件を達成したものに与えられた長い休日だった。正確には、その学年での夏季テスト、冬季テストの内容を規定の点数以上取れれば、特待生として、その学年の授業を免除できるというものであった。私はこれを狙っていた。
そして、シースイ先輩は、驚くことに、すでにすべての学年の特待生としての条件を三年生の時点で獲得していた。
シースイ先輩が言うには、『範囲は決まってるし、簡単だよ。だって、その範囲を勉強すればいいだけだし』と、天才にしか分からないようなでたらめなことを、さも当たり前のようになんの誇張もなく言っていた。
彼女はこれで、すでに卒業まで授業に一切出なくても、この魔法学園アジュガを卒業できることが決まっているとのことだった。
『だから、私は研究に集中できたし、このラボも貸し切りさ』と得意そうに言っていた。
ちなみに、そんなこんなで特待生となるため私の二年生の春はこの猛勉強によって潰えることが確定していた。青春なんてない。ここにあるのは問題とそれに答えを示すだけの知識と経験だけだった。
日々の生活も一変していた。寝泊りするところさえ自分の寮ではないというありさまであり、私は、シースイ先輩の寮部屋に寝泊まりし、彼女のラボに通い、それはもう一心不乱に、取り憑かれたように学問に励む日々が私二年生の春だった。
「リリャちゃんが、特待生になる理由は面白いよね」
シースイ先輩が私が解けない問題に苦戦しているときに、となりで頬杖を突きながら、そのすべてを見透かすような目で私を見た。
「空を飛ぶために、時間が欲しいなんて」
「そんなに変ですか?」
「変ではないよ、ただ、変ってるって思っただけ、だって、この特待生って、研究とかで時間が欲しい学生のためにあるわけで、運動部が狙うような特待生じゃ本来ないんだ。というか、運動部向けの特待生なら別にあるはずなんだけど、そっちはどうなの?」
確かに運動部向けの特待生もあった。しかし、それらはどれも私が欲しい免除の期間が短く満足のいくものではなかった。それに、手っ取り早く取れる可能性があり、なおかつ、長期の免除を得られるものがやはりこの勉学による特待生以外考えられなかった。それに、運動部向けの特待生だと、勉強での遅れが出ることも考えれば、一石二鳥でもある、この学問による特待生が一番の私の最終目標である黄金翼杯での優勝への近道だった。
「あっちだと、大会近くにならないと、授業が免除にならないのでダメなんです。私は最低でも四か月は特訓期間が欲しいんです」
「どうして、そこまで次の黄金翼杯に掛けてるの?リリャちゃんには、まだ五回もチャンスがあるし、まだ脂がのるには時期尚早なんじゃないかな?それよりも、もっと計画を練って確実に優勝できるときに優勝するじゃだめなのかな?」
「シースイ先輩、それじゃだめなんです。私に次なんて存在しないんです。今年優勝、それはもう絶対なんです。そうじゃないと、がっかりさせる」
シースイ先輩は私の発言に一度思考を巡らせた。
「誰かと約束でもしたとか?」
「約束を破る女はモテないですよね?」
私は独善的にそんなことを言った。
シースイ先輩は頬杖を解いて、指を重ね合わせ深く考え込んだ。
「まあ、人に好かれるか好かれないかでいえば約束は破らない方が世間一般的には評価される。だが、私の導き出した結論からだと約束というものは時と場合によってどうしようもなく破れてしまうものだ。人生は混沌そのもので、人々は秩序だった世界を作ろうとする。しかし、時折みせる世界の理不尽さの前では、約束は薄氷の上のように頼りない。今まで守られた約束はそんな人生の犠牲にならなかった過去の産物にすぎない、そうは思わないかい?」
「私はそうは思いません。どんな理不尽が前でも、私はその現実に抗ってでも、守りたい約束は守られるべきだと思います。だって、そうじゃないと、すべてを諦めてしまうじゃないですか…」
シースイ先輩は、私の顔を見て嬉しそうに静かに頷いた。
「そうか、じゃあ、リリャちゃんは、どうしても今年の大会で勝ちたいんだね?」
「そうです。今年じゃなきゃ意味がないというか、それこそ破れぬ約束をしたんで」
「リリャちゃんにそこまで言わせるなんて、その人はよっぽど幸せ者だね、だって、リリャちゃんは、実質その人のために死ぬ気で頑張るってことでしょ?」
「ええ、おっしゃる通り私は死ぬ気ですよ」
「それで破れぬ約束ということか、だが、死ねば約束は永遠に保留、それは反故したことと同じことだ。何事も加減は適度が一番だよ」
私はそんな先輩の言葉を一度跳ねのけた。それは私の中では考えられない選択肢のひとつだったからで、いくら頭が良くても、やはり人は人の気持ちを完全に見透かすことは不可能であることの証明でもあった。
「シースイ先輩は、やっぱり、分かってないんですね。だから私からも勉強のお返しに教えておいてあげます」
私は難問を前に頭を悩ませながら続けて、思考よりも口が動いていた。
「人はどんなことにも命を天秤にかけられる生き物なんですよ」
私はシースイ先輩がその時どんな反応をしているか見ている余裕がないほど、目の前の難問に頭のリソースを消費していた。
先輩は言った。
「君のそういうところ、本当に面白い」
二年目の春というみんなが新しい空気を吸っている中、私はシースイ先輩と共に勉強を続けた。
そのおかげで、春が終わる頃には私は特待生になり、黄金翼杯にのぞむ訓練の時間を確保した。




