汁5
江戸の春の旬といったらアサリがあげられる。現在では想像もつかないけれど、太古の昔、海だった江戸のあたりではアサリが沢山獲れたのだそうだ。で、春になるとアサリをむき身にして売るむき身売りが風物詩になっていたらしい。それは、多分、1934年でもそんな雰囲気はあったのだと思う。
ここに来て、アサリのむき身の包みを私の想像する乱歩先生に持たせてみた。
1934年。この年のアサリの味噌汁は、いつもより甘味噌の苦味がキツく感じられたかもしれない。
ネットでは横溝先生が『悪霊』の設定のダメ出しをしてそれで中止になった。と、出てくる。
私は一次資料を見てないのでこれについて、本当かどうかも分からないし、ネットでなんでも暴露される時代にいると、例え、そういった記事が出回っていたとしても、それが本当に横溝先生の話したニュアンスを汲み取って書かれたかも分からない。とか考えてしまう。
まあ、情報なんてものは視点を変えれば、また、違う物語を作れてしまうものである。
ここで証言者が横溝先生と言うのがポイントになる。
そう、私の考えた 乱歩先生が横溝先生を助けたくて書き始めた説では、これでも話を作り出せるのである。
だって、人間は嘘をつく。
それは、悪いことだけでなく、相手を思いやる為にも嘘もつくし、本心を隠したりもするものなのだ。
私は細かい昭和の作家の私生活を調べられる時間も金もコネもないから、ここはネットで調べた話で作ってみる。
横溝先生は1932年に担当していた雑誌が廃刊になってフリートして働く事になる。
で、1933年コナンドイルの『霧の国』の翻訳をしている。
同年5月には肺結核で重体になるのである。
これが事実だとすると、乱歩の心も騒いだと思う。本物はどうかは知らないけれど、名古屋旅行を目の前にして、剛に死なれた私の乱歩の心は騒いでいた。
横溝先生は好きでフリーになったわけでもない廃刊で仕方なしに、だ。そして、なんとか新しい職業環境で頑張っていた横溝先生の突前の病気の知らせである。それも肺病。当時は不治の病と言われた病気で重病である。私ですら、それほど仲がいいってわけでもない剛の死に悲しんでいるんだから、本当に仲良しの乱歩先生の落胆や混乱は想像するに哀しいのである。
この時、人は何を考えるのか?なんとかして延命を考える。乱歩先生は私と違って一流なんだからやれる事も少なくはないと思う。こんな時、有名人って魔法使いにでもなった気分でできる全てを考えるのではないだろうか?
まずは金である。生活費がない事には養生もできないし、心が休めない。
ここで、自分の成功体験を思い出すに違いない。
1931年出版された『江戸川乱歩全集』は出版元の平凡社の経営状態を立て直したのだそうだから。
それなら、1930年に亡くなったコナン・ドイルの横溝先生が翻訳した話も宣伝の仕方で売れるかもしれない。とか考えると思うのは普通だと思う。印税だから休んでいても本が売れればお金が横溝先生のところに入るじゃないか。
だから、それほど好きでも明るいわけでもないオカルトものを作ろうとしたのではないかと、私は思った。
何でオカルトに乱歩先生が明るくないと思うのか、と、言われると、『悪霊』がオカルト好きの私が見て面白くないからだ。
これは私見だけれど、本格推理とかを書いている作家のオカルトものは大概、つまらない。
異論はあるだろう。でも、私が読んだ作品はなんか、痒いところに手が届かない、そんな感じがするものが多かった。
例えるなら、ロマンスと西洋の時代コスが見たくて『ロミオとジュリエット』を借りて来たのに、敵対する家の抗争の話ばかりが書かれている本だった、みたいなガッカリ感なのだ。
オカルトが好きな人はモンスターが見たいのだ。人間のドヤりではなく、モンスターやオカルト知識にパァぁぁんと、電気がつくような、なんか呪文とか、解説したくなるデジャブな怪奇現象なんかが。
でも、推理小説作家が書くと、なんだか説明くさくて、それでいて、オカルトの知識が間違ったり、変だったり、なんかパァァァンって、気持ちにならないのだ。
私は初めて『悪霊』を読んだ時、読みづらかった。特に違和感があったのは降霊会の様子だった。
で、不満を言いながら思った。そうだ、謎解きで新しい話は多分作れないと思う。とんでもない人がこの作品の解決を考えただろうから。絶対、批判かパクリ疑惑が出るに違いない。
が、オカルトならそれほど気にしないだろうし、書いてる人も少ないのではないか、と。
そして、文句を言っても乱歩ファンも気にしないのではないかとそう考えた。
で、これで考えたために『幽霊作家』の文月が暴走する事になるのだ。
ま、その話は置いておいて、乱歩先生は連載していた34年に横溝先生とやりとりしていたのは確かなようだ。
では、私の乱歩で話を作るとどうなるのか。
横溝君が病気で金銭面が大変だから、僕が今度の作品で彼の翻訳した『霧の国』でも使われたオカルト要素を入れて書いてやろう。ドイルもホームズ以外はそれほど売れないけれど、僕が一押しすればもっと売れるかもしれない。そして、安心して養生できるように支援したい。
できれば、今回の連載のアドバイスをもらってご意見番としてギャラを払うことも、この後の連載の枠を貰うことも可能かもしれない。
なんて事を考えたって乱歩先生も、本人には言わないと思うし言わない。そんな嫌味な乱歩は私だって嫌である。
でも、乱歩先生が内心、そんな風に考えていたとしたら、少しは同情もする。私は剛に何もしてあげられなかった。
現実はどうあれ、私の世界では乱歩先生はそんな感じで横溝先生に『悪霊』の意見を聞いたとして、それをすごくダメ出しされたとしたら、どうするだろう?
ここで、横溝先生と乱歩先生の見る風景は違うのである。
横溝先生はただ、小説の出来について話していたのかもしれない。
でも、乱歩先生の目には、やつれて今にも消えそうなそんな友人の姿が映っていたかもしれない。
真実がどうあれ、横溝先生の容態は悪化して、7月にはサナトリウムに行くことになるのだ。
3月のその時、乱歩先生は友人の姿と、容体を知りながら何を考えたのだろう?
剛が死んで、小説を書く気力がなくなりかけた自分が込み上げてくる。
何のために私はこの物語を描いているのだろうか?
この横溝説の真実は私には分からない。そのインタビュー記事が乱歩先生の生前か死後かでも印象は変わる。そして、私には調べる術はない。
ただ、なんとなく、横溝先生のこの発言が正しいなら、まさか筆を折って謝るなんて思いもよらなかったという印象を受ける。
そんな事を考えながら、江戸の味噌でアサリの味噌汁を飲んで見るのもいいかもしれない。私はそんなことを思った。




