マリア様は知っている2
新しい年になっていた。いつまでもうだうだはしていられない。
こうなったら、こうなったで先に進むしかない。
マリア様が気になるなら、気になるように調べるしかない。なんにしても、ネットと私が知り得る情報で何かがあるとは思えない。
ということで、ネットで検索して見る。
何でも、キリスト教ではマリア崇拝とマリア崇敬という考え方があるらしい。で、カトリックはマリア崇敬、マリア様を尊敬はしているけれど、マリア崇拝、神様のように敬うことはしていない。と、ネットでは書いてある。
レヴィは尊敬から、崇拝をしてしまったということでカトリックの人たちから退去されたのだそうだ。
なんだか知らないけれど、マリア様は様々な解釈と合祀が可能なので扱いがデリケートなんだと思う。
うーーん。どうしよう?
なんだか面倒くさい話だな。と、思う。でも、それをおしても認められたのだから、なんだかすごいんだろうな、とは思う。
それでも、第一次世界大戦の終戦の前の年で様々な事が起こった年ではあったと思う。
ただ、そこに『トミノの地獄』は関係ないとは思う。
たとえ、1919年出版の前月のファティマの少年フランシスコが亡くなったとしても。
何となく、登場人物の構成が似ていたとしても。それは偶然でしかない。
そう、第266代ローマ法王。マラキの予言の最後の法王と呼ばれた法王と名前が、ローマ法王としてフランシスコと名乗ったはじめの法王だとしても。2026年現在、それはすべてただの偶然という事なのである。
そうだとしても、やはり、調べ始めると、2000年に列福されたファティマの聖母の少年フランシスコの祝祭日である2月20日ごろから容態が悪くなった法王が同じくフランシスコ少年が亡くなった4月4日あたりに容態が良くなって、20日に復活祭まで勢力的に働く様子には、何某かの悲壮感や使命感というもの、人間の力を超える、何かを異教徒の私ですら考えてしまう。
そして、偶然にしてはドラマティックなアメリカの副大統領との最期の会談。そこからのベネゼエラへのアメリカの攻撃である。
フランシスコ法王は、史上初の南アメリカ出身の法王なのである。




