第53話:銃口の距離
岩塊の影が、コックピットを横切った。
小惑星帯の深部。太陽光は岩に食われ、センサーの有効距離が三分の一まで落ちている。VEIL-09の排熱痕は三つ目の岩塊の先で途切れていた。出力を絞って潜んでいる。
『正確な位置は掴めない。この岩の密度じゃ、隣にいても見えない』
VEGAの速度を落とし、岩の隙間を縫う。暗い。宇宙は元々暗いが、ここは質が違った。光そのものが岩に飲まれている。
昴は共通帯域を開いた。
「マリア」
応答はない。岩が擦れ合う低い振動だけが返ってくる。
「……聞こえてるんだろ」
沈黙。
「NIVARAで一緒に戦っただろ。略奪者が来た時、お前は『今は敵じゃない』って言った」
返事はない。排熱痕も、推進器の反応も、何も見えない。闇の中に声だけが吸い込まれていく。
「俺は——マリアと戦いたくない」
一拍。
「——うるさい」
声と同時にセンサーが叫んだ。
『左下方!』
VEIL-09が岩の影から躍り出た。至近距離。主砲の光がVEGAの胴を薙ぐ。昴が操縦桿を引いて横に転がした。光条が装甲を掠め、背後の岩塊が砕けた。
「戦いたくないなら追ってこないで!」
VEIL-09が岩の裏に回り込み、別の角度から撃つ。昴は岩を蹴って回避する。応射しない。
「追ったのはお前が先だろ。体当たりまでして」
「それとこれは——違う!」
「どう違うんだよ」
「黙って!」
VEIL-09が岩を蹴った。VEGAの上を取り、降下しながら連射する。障害物を壁にして、VEGAの速度を殺し、短い射線で削ってくる。正しい戦い方だった。この地形を選んだ判断も、VEGAの機動を封じる動きも。
昴はVEGAを岩の間に滑り込ませた。
「お前が独房で言ったこと、覚えてる。もう来ないでって。——あの時、俺は引き下がった」
「だったらなんで今——!」
「分からない。でも来なきゃいけないと思った」
「『分からない』で人を追い回すな!」
光条が頬を叩くように飛んできた。岩の破片が散る。
「じゃあ聞く。お前こそなんでパラス隊を抜けてきた」
「——」
「答えろよマリア」
「終わらせるためよ!」
VEIL-09が死角から飛び出し、VEGAの横腹を狙う。昴は機体を捻って受け流した。装甲が削れる。浅い。
「何を終わらせるんだ」
「全部!」
また撃つ。岩が割れる。
「全部よ! 声を聞いて、探して、見つけて——何百年もそうやって——!」
射線が荒れた。速いが、正確さが崩れている。
「殺せば終わる! 殺して——繋がりを断てば——もう二度と——!」
『スバル』
PQの声が、昴だけに届いた。静かな声だった。
『マリアの射線。機体中心から0.2度、外側を通っている。一発目から今まで、ずっと同じだ』
0.2度。
マリアほどの腕前で、全弾が同じ方向にずれるわけがない。偶然じゃない。身体が知っている。殺意が本物なら、弾は中心を通る。
「マリア」
「もう喋るな!」
「お前の弾、全部外れてる」
「——外してない! 当たらないだけ!」
「同じだろ」
「同じじゃない!」
VEIL-09が正面から突っ込んできた。岩を蹴り、破片を引き連れ、最短距離で。主砲が光る。
「あたしは本気で——」
PQの補助が入り、VEGAが横に跳んだ。光条が右肩の装甲を削り取る。浅くない。今のは、本当に当てにきた。
「本気よ……!」
また撃つ。岩が砕ける。射線が揺れる。速くなっている。だが荒くなっている。戦術が崩れ、感情がそのまま弾道に出ている。
「本気で、殺す、つもりで——」
「マリア」
「黙れって言ってるでしょ——!!」
VEIL-09が全出力で突進してきた。もう戦術も何もない。ただぶつかりにきている。
『自滅する。止めるなら今だ、スバル』
VEGAが加速した。射線の内側に潜り込み、VEIL-09の懐に入る。マリアが後退しようとした——背後に岩塊。退路がない。
VEGAの右腕がVEIL-09の主砲を掴んだ。力任せに引き剥がす。金属が軋み、砲身の接合部が折れた。
「離して!」
VEIL-09が左腕でVEGAを殴る。装甲がぶつかる鈍い衝撃。VEGAは離さない。
「離してよ——!」
「終わりだ」
「終わりじゃない!」
VEIL-09の推進器が悲鳴を上げた。警告音。出力限界。構わず全開にしている。
『スバル、離れて。推進器が——』
昴がVEGAを引いた瞬間、VEIL-09の左半身が爆発した。
衝撃波。破片。コックピットブロックが射出され、岩塊の間を回転しながら弾き出されていく。
『コックピット射出を確認。パイロットのバイタル——あり。意識反応、なし』
昴は操縦桿を倒した。VEGAが射出ブロックに追いつき、手のひらで受け止める。回転が止まった。外装は焼け焦げ、亀裂が走っている。
「PQ、開けられるか」
『外装をこじ開ける。十秒』
VEGAの指がブロックの外装に食い込み、引き剥がした。
中にマリアがいた。ノーマルスーツのバイザーが割れ、額から血が流れている。だが胸は上下していた。呼吸している。
昴はコックピットハッチを開放した。非与圧の一瞬。ヘルメットのシールを確認してから、マリアの身体を引き寄せた。
軽い。
こんなに軽かったのかと思った。NIVARAで共に過ごした時も、あの手を引いた時も、この軽さには気づかなかった。
コックピットの中に抱え込む。ハッチが閉まり、与圧が戻る。
狭い。パイロットシートの上に昴が座り、その膝の上にマリアがいる。割れたバイザーの破片を慎重に外した。額の血を、グローブの甲で拭った。
力の抜けた顔だった。
怒鳴っている時も、撃ってきた時も、NIVARAで初めて顔を合わせた時も——マリアはいつも何かと戦っている顔をしていた。
今は何も戦っていない。
『……スバル。大丈夫?』
「ああ」
PQには嘘がつけない。大丈夫なわけがなかった。心臓がうるさい。手が震えている。戦闘の後だから——だけじゃ、ない。
マリアの瞼が、動いた。
薄く開く。焦点が合わない。天井を見て——昴の顔を見た。
一瞬だけ、瞳が揺れた。
それから、光が変わった。
マリアの右手が腰に伸びた。ホルスターの留め具を外す音がコックピットに響いた。黒い銃身が引き抜かれ、銃口が昴の眉間に突きつけられた。
三十センチ。外しようのない距離。
マリアの目に涙はなかった。濡れてすらいなかった。額の血が頬を伝い、顎から滴っている。その下で、歯を食いしばった口元が白くなっていた。
瞳が昴を射抜いている。殺意だった。あるいは、殺意であろうとする何かだった。
引き金に指がかかった。
マリアの呼吸だけが聞こえていた。荒く、浅く、壊れかけた呼吸だった。




