第48話:NOW OR NEVER
マリアがいなくなって、二ヶ月が経った。
独房は空のまま使われていなかった。昴は基地内を移動する途中で、その扉の前を通ることがある。足を止めたことは一度だけだった。止めた自分に気づいて、すぐに歩き出した。PQは何も言わなかった。
二ヶ月。戦争は止まらなかった。小規模な衝突が断続的に続き、Genea Accordの物資は目に見えて減っていった。格納区画の予備部品棚に空きが増え、食堂のメニューが三種類に固定され、ヤヒロがいた整備班は二人減った。補充はなかった。
VEGAの整備を引き継いだ班員は真面目だったが、ヤヒロの勘はなかった。誰のせいでもない。ヤヒロが一人しかいなかっただけだ。
格納区画の奥に、REMNESISが立っている。
起動から二ヶ月。亘一は毎日のようにコックピットに入り、朔と言葉を交わしていた。適合テストではなく、ただの会話だった。それが運用手順に含まれるかどうか、黒瀬もセラも何も言わなかった。
昴が格納区画に入ると、亘一がちょうどコックピットから降りてくるところだった。
「朔、何て?」
「楽しみにしてるって」
亘一は笑っていた。笑いの下に苦さがあるのは昴にもわかった。
「怒らないのか」
「怒らない。怒ってたら一緒に戦えないだろ」
継承計画への怒りは消えていなかった。消える種類のものではない。だが亘一は、それを抱えたまま朔の隣に立つことを選んだ。合理ではなく、兄として。
「スバルは?」
「何が」
「準備できてるかって聞いてる」
昴はVEGAを見上げた。ヤヒロが命をかけて守った機体。PQが乗っている機体。この二ヶ月で三回出撃して、三回とも帰ってきた。
「できてる」
亘一が頷いた。それ以上は聞かなかった。
黒瀬の作戦説明は簡潔だった。
司令室に集まったのは昴、亘一、セラ、そして主要な部隊指揮官だけだった。黒瀬は立ったまま、壁面ディスプレイに宙域図を表示した。
「物資の備蓄があと六週間分を切った。人員の補充見込みはない。Meridian Combineからの支援も、最後の船が先週入った」
数字が並んでいた。弾薬残量、燃料備蓄、機体稼働率。どれも右肩下がりだった。
「この作戦で戦況を動かせなければ、Geneaに次はない」
黒瀬の声は平坦だった。怒鳴らない。煽らない。事実だけを並べて、判断を迫る。
「ORIGIN二機の同時投入を決定した。VEGAとREMNESIS。初の共同作戦だ」
昴と亘一が同時に頷いた。
「Aion側の前線艦隊主力がHELIOS CORRIDOR(ヘリオス回廊)の中間点に展開している。VANTAGE ORBITAL FLEET(ヴァンテージ軌道艦隊)の一部。その中にパラス隊が含まれている」
パラス隊。ルシアンの隊。双子の隊。
昴の頭の中で、一つの可能性が浮かんだ。マリアがAion側に戻ったなら、前線に再配置されている可能性がある。パラス隊はVEGAとの交戦実績がある部隊だ。
PQが内側から囁いた。
『スバル。集中して』
昴は目を閉じて、開けた。
「了解」
出撃は二日後だった。
その夜、昴は居住区画で日和と会った。
食堂は閉まっていたので、通路の端にある小さなベンチに並んで座った。日和が持ってきた携行食を半分ずつ分けた。味はしなかったが、隣に誰かがいる温度はわかった。
日和は少し顔色が悪かった。
「大丈夫か」
「うん、ちょっと朝から気持ち悪くて。食堂のメニューが合わないだけだと思う」
日和は笑った。昴はそれ以上聞かなかった。
「亘一と三人で食べたかったな」
「亘一さんはREMNESISの調整だって。朝早く出てった」
「そうか」
沈黙があった。静かで、悪くない沈黙だった。
「お兄ちゃん」
「ん」
「必ず帰ってきて」
前にも同じことを言われた。ヤヒロがまだ生きていた夜に。あの時昴は「帰ってくる」と答えた。今回も同じことを言うべきだった。だが口を開く前に、日和が続けた。
「亘一さんもね」
「当たり前だろ」
日和が昴の肩にもたれた。軽かった。昴はその重さを覚えておこうと思った。
格納区画。深夜。
昴がVEGAのコックピットに座り、ハッチを閉めた。
PQの声が来た。
『スバル。一つ聞いていい?』
「何だ」
『マリアがあっち側にいたら、どうする?』
昴は操縦桿を握ったまま、天井を見た。
「わからない」
『正直だね』
「わからないことをわかってるふりしても仕方ないだろ。会った時に考える」
PQは少し間を置いた。
『それでいいと思う。僕がサポートする。いつも通り』
隣のREMNESISが低い駆動音を立てていた。亘一がまだコックピットにいるのだろう。シルエットがモニターの光に浮かんでいる。その奥で、朔の脳が動いている。
二機が並んでいた。
ヤヒロが守ったVEGA。朔が眠るREMNESIS。格納区画の照明が落ち、非常灯だけが機体の輪郭を浮かべている。二日後、この二機が同時に出る。
昴はバイザーを下ろさず、天井を見ていた。
『スバル』
PQの声は静かだった。
『明後日まで体力を残して。少しでも休んで』
「ああ」
閉じた目の裏に、日和の重さがまだ残っていた。




