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不死の彼女は三度目に俺を殺すーPQ: Rebirth Protocolー  作者: 深蒼 理斗


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第45話:戻る導線

非常階段の手すりが冷たかった。


 マリアは息を殺しながら一段ずつ降りた。靴底がコンクリートに触れるたびに小さな音が反響し、それが自分の心拍と重なった。捕虜用の軟底靴は走るには向かない。だが音を殺すには悪くなかった。


 格納区画の方角から断続的に警報が鳴っている。REMNESISの暴走――あの機体が放った出力は、この基地の電力系統を丸ごと揺さぶったはずだ。独房区画のロックが落ちたのもその余波だろう。兵士たちは格納区画に集中している。今この階段を使う人間はいない。


 三階。二階。踊り場で足を止め、耳を澄ます。


 足音はない。呼吸を整える。一つ、二つ。


 マリアは壁面の配管を辿るように視線を走らせた。捕虜生活のあいだに覚えた基地の構造が頭の中で地図になる。日和が面会に来るたび、護衛が通る動線があった。監視員が交代で使う通路の幅と照明の間隔。食事を運ぶカートが通れる廊下は、地下一階でドック方面に繋がっている。監視員同士が交わす何気ない会話の断片を、マリアは一つ残らず拾い集めていた。いつか使う日のために。


 手順通りに動け。


 身体が覚えている。Crown Hubクラウン・ハブで育った記憶が、混乱を手順に変換する。事故が起きたら避難経路を確認する。パニックより手順を信じる。混乱より規格を優先する。それがHub育ちの骨に染みた常識だった。


 地下一階。非常灯だけが赤く点滅する通路に出た。電力が不安定で天井の照明が明滅を繰り返している。ゲートロックの表示灯が消えている区画がある。マリアは迷わずそちらへ進んだ。


 通路の角を曲がるたびに、自分の中で何かが切り替わっていくのを感じた。


 NIVARAで昴と水を運んだ朝。独房で日和に手を握られた温度。扉越しに聞いた昴の声。あの場所にいた「マリア」が、一歩進むごとに薄くなっていく。代わりに識別番号が戻ってくる。AS-17-VEIL-09。Aion Sphereアイオン・スフィアの資産。手順で動き、規格で判断し、合理で帰還する兵士。薄くなっていく「マリア」は抵抗しなかった。抵抗する力がもう、残っていなかったのかもしれない。


 ドック区画の隔壁は半開きのまま停止していた。非常電源への切り替えが中途半端に終わったのだろう。身体を横にして隙間を抜ける。肩が金属の縁に擦れ、捕虜用制服の袖が引っかかった。布が裂ける小さな音がした。構わず進む。この服はもう二度と着ない。


 薄暗い格納スペースに、小型の輸送艇が三機並んでいた。民間転用の機体で、貨物と人員の短距離輸送が用途だ。武装はない。飛べるだけ。Genea Accordジェネア・アコード規格だが、基本操作系は星間共通フォーマットに準拠している。パイロットの所属を問わない汎用設計。戦争をしている両陣営が、操縦系統だけは共通規格を捨てなかった。皮肉だと思う余裕はなかった。


 一番手前の機体のハッチを開けた。コックピットは二人乗り。計器類の配置はAS-17と大きく違わない。座席に滑り込み、ハーネスを引く。電源を入れる。起動シークエンスが走り、操縦桿のグリップに振動が伝わった。計器のバックライトが青白く顔を照らした。久しぶりのコックピットだった。NIVARAでVEGAの手のひらに乗って以来、機体の内側に座るのはこれが初めてだ。あの時は昴が操縦していた。今、操縦桿を握っているのは自分だ。


 帰還行動。


 その言葉が自然に浮かんだ。脱走ではない。帰還だ。所属する陣営に戻る、正当な行動。合理的で、手順に沿っていて、誰にも咎められない。


 ――Aion人らしい変換だ。


 自分でそう気づいて、否定しなかった。否定する理由がなかった。



 離陸は静かだった。


 ドックの天蓋は手動で開く構造だった。油圧レバーを引き、隙間から機体を滑り出させる。警報は鳴らない。追跡もない。黒瀬が追わないと判断したのか、それとも混乱が収まっていないのか。理由はわからなかったし、知る必要もなかった。


 夜空に出た。


 この惑星の大気は澄んでいる。地上の灯りが遠ざかり、雲を抜けると星が広がった。操縦桿を握る手に力がこもる。Aion側の監視衛星が付近に展開しているはずだ。識別信号を送れば回収される。あと少しで終わる。


 高度が安定したところで、マリアの手が止まった。


 日和の顔が浮かんだ。


 独房のベッドに腰かけて、少し照れたように笑った顔。「戦争が終わったら子供が欲しいんです。お兄ちゃんみたいに優しい子」。あの声は今も耳に残っている。マリアはあの時泣いた。自分には永遠にできないことを、二十歳の女の子が当たり前のように語った。FERTILITY RELEASEファーティリティ・リリースで生殖権を手放した身体では取り戻せないものを、日和は欲しいと言った。


 そしてヤヒロが死んだ夜。格納区画が静まり返った後、日和が独房に来た。何も言わずにマリアの手を握った。細い指だった。震えていた。それでも離さなかった。


 普通なら、温かい記憶だ。人に渡せば「良い思い出」に分類されるものだ。


 だがマリアの中で、それは違うものに変わった。


 あの子は優しかった。だから辛い。触れなければ痛くなかった。あの場所にいなければ、あの温度を知らなければ、失くす恐怖も生まれなかった。日和の手の温度を覚えてしまった自分は、覚える前の自分より確実に脆くなっている。


 痛みは不具合だ。原因を特定し、除去する。感情の揺らぎは管理すべき変数であり、制御不能になる前に処置する。CIP(記憶整理処理)はそのための制度であり、Aion Sphereアイオン・スフィアはそうやって千年以上の文明を維持してきた。


 あの基地にいたこと自体が失敗だった。


 日和の手の温度も、昴の「辛かったな」も、NIVARAの夜空も。すべてが「失敗」のカテゴリに吸い込まれていく。数百年で鋳型のように固まった思考回路が、温かいものを一つ残らず、悪い方向に変換していく。変換するたびに楽になる。楽になるたびに、何かが死ぬ。



 自動航行に切り替え、マリアは背もたれに体重を預けた。


 ヤヒロの記憶が来た。


 会ったことはない。顔も知らない。整備士。昴のことを「家族」と呼んだ男。独房の壁越しに漏れ聞こえた笑い声の中に、一度だけヤヒロのものがあった気がする。粗野で大きくて、それでいてどこか安心する声だった。


 だが昴が扉越しに語った声は、あの笑い声とはまるで違っていた。


 「ヤヒロが死んだ。お前を取り返そうとして」


 取り返す。マリア・シンクレアという捕虜を奪還するために、Aion側が基地を襲撃した。その防衛で整備士が死んだ。昴が大切にしていた人間が死んだ。マリアの名前を冠した作戦のために。自分が存在しなければ、あの男は今も笑い声を上げていた。


 透は死んだ。戦争の爆撃で。

 彼方は死んだ。寿命で。

 そして昴の傍にいただけで、ヤヒロという男が死んだ。


 繋がりは害だ。


 等式は完成している。マリア・シンクレアが誰かと繋がれば、その先に必ず死が来る。透で証明された。彼方で確認された。ヤヒロで三度目の補強がなされた。もう反証の余地はない。


 CIPは使わない。記憶を消せば、また同じことが始まる。声に惹かれ、仕草に気づき、「見つけた」と思い、繋がり、失う。忘れて出会い、忘れて出会い、永遠に同じ円環を描く。消して繰り返すくらいなら、覚えたまま断つ方がいい。


 記憶を持ったまま殺す。


 「愛している」と知っていて殺す。それだけが千年の循環を止める唯一の方法だ。


 論理としては完璧だった。隙がなかった。だからこそ、それが合理の皮を被った悲鳴であることに、マリア自身は気づけなかった。手順が感情を上書きし、規格が痛みを分類し、Aion人としての鋳型が全てを処理してしまう。処理が終われば、あとは実行するだけだ。


 ――戻るのは、終わらせるためだ。



 計器が反応した。


 Aion側の通信帯域を検知。所属艦隊の監視衛星が、この宙域をカバーしている。識別信号を送信すれば、数時間以内に回収される。


 送信ボタンの上で、指が止まった。


 昴の声が蘇った。


 「辛かったな」


 独房の面会室で、不器用に肩に手を置いた男の温度。何も解決しない一言。何の約束もない接触。何の力もない言葉。それなのに、あの瞬間だけ、数百年ぶりに呼吸ができた気がした。


 振り払え。


 振り払えなければ終わらせられない。


 マリアは目を閉じた。一秒。二秒。三秒。暗闇の中で、昴の手の温度が肩から消えるのを待った。


 四秒。


 消えた。


 目を開けて、識別信号を送信した。



 応答は速かった。


 管制の声が無機質にコックピットを満たす。


 『VEIL-09、識別確認。回収手続きを開始する。現在位置を維持せよ』


 マリアは「了解」とだけ返した。声が震えていないことを確認した。震えていなかった。もう震える部分は、四秒前に消した。


 管制が続ける。


 『なお、帰還後の処遇について通達がある。エヴリン・ヴォスが待機中。到着次第、出頭せよ』


 エヴリン。


 制度の顔。資産管理の手。規格と手順で人間を処理する、Aionの制度圧そのもの。


 マリアは操縦桿を握り直した。恐怖はなかった。エヴリンに何をされようと構わない。査問でも降格でもCIPの勧告でも、好きにすればいい。


 自分を消しに来たのではない。


 スバルを殺す準備をしに、戻ってきたのだ。


 輸送艇の窓の外で、監視衛星の光が一つ、冷たく瞬いた

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